”自分の価値観”は他人に押し付けても良い
「自分の価値観は他人に押し付けてはいけない。人それぞれ考え方も感じ方も違うのだから。」という意見を持つ人は多いですよね。
その背景には「個人の尊重」や「個人主義」などの欧米の考え方を取り入れ始め出したという事実があります。
しかしこの
「自分の価値観は他人に押し付けてはいけない」
という考え方、僕はそれは少し人間として冷たすぎるのではないかと感じてしまいます。
特に最近の「個人の尊重」「個人主義」という流行っている考え方からすれば、確かに聞こえは良いし耳障りの良い言葉なのですが、これは人間の悪い面しか考えていない、それこそこの考え方の本質は真逆の”悪魔的な考え方”だと、そう思いませんか?
だから僕は人間が社会を成り立たせる上で、この考え方は正しくないと考えていますし、個人的には大嫌いです。どこのバカがこんな考え方を広め始めたのやら。
多分全員がこんな考え方になったら、この世界は本当に終わってしまいますからね。というか人間は生きていけなくなる。
価値観は他人に押し付けても良いものだし、押し付けてはいけないという考え方自体がそもそも価値観の押し付けです。
ということで、今日は「自分の価値観は他人に押し付けても良いんだよ」ということついてお話ししていこうかなと思います。
心理学歴10年、まひろです。
僕の記事では心理学を10年間勉強することによってわかった、人間の本質的な行動原理である「自然の法則」を元にビジネスメソッドの発信をしています。
要するにまひろは心理学の知識を使ってビジネスのやり方を発信している者です。
多くの人が指す「自分の価値観は他人に押し付けてはいけない」
多くの人からすれば驚きではないですか?
「いやいや、価値観は押し付けてはいけないでしょ。相手には相手の価値観があるのだから」って思いますよね。
例えば、自分は好きな仕事をする事を目的としているのに、お金を稼ぐ事を目的として仕事をする人が、自分にお金の価値観を押し付けけてくる事。この「自分の価値観は他人に押し付けてはいけない」という言葉を説明するために、こんな例えが引合いに出される場面を度々目にしますし、多くの人が想像する「価値観の押し付け」とはこういうことでしょう。
✔︎自分の価値観は他人に押し付けても良い
じゃあこの場合はどうでしょうか。
満員電車で席に座っていた時、目の前に杖をついた老婆が人に揉まれながら苦しそうにしていた。そんな光景を見た僕は自分の価値観に従い、その老婆は少し遠慮がちにためらっていたのだが自分の席を譲った。
これも自分の価値観の押し付けですよ。
なぜなら電車で相手に頼まれてもいないのに席を譲るというのは、自分の「老人・妊婦・身体障害者には席を譲る」という価値観を勝手に相手に押し付けているだけですから。
もっと言えば「誰かに誕生日プレゼントを渡す」「レディーファースト」「お礼を伝える」こんな世間一般では倫理や道徳で教えられる行動なんかも、全部自分の良心という名の価値観を押し付けているだけです。
この世には絶対的な善も悪もありません。ある観点から見たり、偏った捉え方をするから善悪・良悪は存在します。
ならば道徳や倫理なども、人間の価値観の前では意味をなさない。
そして「自分の価値観を他人に押し付けてはいけない」という言葉が正しいのなら、こんな自分の他人への良心すらも「価値観の押し付け」に含まれることになります。
冒頭でも話したのですが
「自分の価値観は押し付けてはいけない」
⬆︎この言葉は人間の悪い面しか見ていない悪魔の言葉だ
この考え方は人間の悪い面しか見ていない悪魔的な言葉です。
なぜなら多分今この記事を読んでくださっている方もだと思うのですが、多くの人が想像する「価値観の押し付け」とは1つ目の例えの好きな仕事とお金の価値観みたいな話のことですよね。しかし「価値観の押し付け」とは、先ほども話した通りそれだけではない。自分の良心や感謝を伝えることも立派な価値観の押し付けです。
しかし先日もこんなお話をしたばかりなのですが、確かに人間には汚い面もあるのですが、それと同時に綺麗な面も存在しています。
だから「良い面だけを見ろ」とも「悪い面だけを見ろ」とも僕は全く思わない。大切なのはどちらも同じぐらいに見てあげることだと僕は思うんですよね。そういう綺麗な面と汚い面の両方を含めて一つの人間という生き物なのですから。
だから「人間の悪い面」だけしか見せようとしないこの言葉が僕は本当に大嫌いです。それは人間ではなく悪魔なのですから。
苦しそうな老人に電車で席を自ら譲ることは・人に自分の判断で誕生日プレゼントを渡すことは・男性が率先して女性を優先してあげることは・他人に自ら感謝を伝えるのは悪いことなのでしょうか?
因みに僕はそうは思いません。なぜなら、それが悪いことなのならこの人間社会は必ず破綻するということが理解できるから。
現に近年、この様な個人主義の捉え方を間違った人間が多くなっていて、人間同士の心の距離がどうも年々開いてきているとまひろは感じます。これは悲しむべきことです。
人間社会は人と人が互いを支え合い補い合い、協力し合いながら成立しています。
協力に必要な感情は”信頼”です。互いに”感謝”や”思いやり”を伝えあう事すらできない人間が、どうして互いを”信頼”し合えましょうか。
そんなのは人の理想でも目指すべき場所でもない、ただの地獄の妄想だと僕は思います。
だから、自分の価値観は他人に押し付けても良い。
正確に言えば押し付けても良い価値観も存在する。
やってはいけない価値観の押し付け
ただ、お金を稼ぐ事を仕事の目的としている人が、自分の好きな事を仕事にしている人に向かって仕事の価値観を押し付ける、これは確かに良くない事ですよね。
なぜならこういう、他人の自分との違いを侮辱する価値観の押し付けは相手を不快にさせるからです。
昔に「差別をする事自体は悪いことではない。いけないのは自分と他人の違いを侮辱することだ」という記事を確か書いたことがあるのですが、これもそれと同じです。
自分と他人の差を侮辱する人間は他人からすれば害でしかないからです。上でも書きましたが、人間社会はお互いを支え合い補い合い、協力しあってこそ成り立っています。
ならば自分と他人に違いなどあるのは当然のことで、その違いを否定してしまうとこの社会は全員が同じ考えで同じ行動をする世界になってしまいます。
しかし人間はそうはなれない。人間はロボットではないのですから。
だから正しい考え方はこうです。
自分の価値観は他人に押し付けても良い。ただ、他人に害を与える自分と他人の差を侮辱する行為はしてはいけない。
本日の雑談「日常のほっこり」
まひろ自身年を取るにつれて年々ほっこりする事が増えてきているのです。例えばこの間も、コンビニで小銭を財布から4000円分ぐらいこぼした時も、好青年に手伝ってもらいまひろはとってもほっこりしました。
後は、小さなプレゼントや感謝を伝えて相手が嬉しそうに笑っている瞬間などを見る時にもほっこりします。
以前までのまひろならなんとも思わなかったし意識すらしていなかったのですが、最近はそれがすごく僕にとってほっこりして幸せで、そんな時間も大切にしていきたいなと思う機会が増えています。
もちろん、自分から動いて何かを掴みに行ったり何かの目標に向かって頑張ることもとても楽しいのですが、しかしこういう静かでささやかな幸せも大切にしていきたいなと、最近は特に思います。
人間は生き物ですから、動き続けることはできません。たまには休憩して心身ともに充電できたら、また思う存分走れるようになります。
ふとした日常のほっこりは自分自身の心にそんなエネルギーを与えてくれる。
読者様は日常に”ほっこり”を見つけていますでしょうか?
最近は特に、不安定や不確定な事が色々起きて精神的にも疲れている人が多いですから、たまにはゆっくり休憩してみるのも意外と長い目で見れば、それも重要な仕事の一つだとも言ええうのかもしれませんね。
それでは、あなたの人生がより豊かになる様にまひろは心の底から応援しています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
もらったら社会貢献のためにユニセフに募金します。 ※こいつは嘘をついています。募金せずに帰り道でコンビニに寄ってたばこ買うに違いありません。