極貧ホームステイ

中学生の冬に一種のキャンプ的なホームステイを経験した。この時泊めてくれた方をジョーと呼ぼう。(偽名)

これ自体はむしろ良い思い出も多い。

しかし、金銭感覚は激変した。というか、この世の貧困というものが、体感的にどのような状況かを思い知る経験となった。

泊まる予定だった場所は、一軒家というふれこみだった。

確かに、そこは大きな一軒家ではあったのだが、実際はジョーが一階の部屋を一つだけ借りていた。

その一室には、大きなキングサイズマットレスが置かれており、ベッドを買わずにマットレスだけ購入することで、高級感ある非常に寝心地の良い環境を作れたと言っていた。ぎっしり色々詰まった部屋には、デスクトップ(大きなパソコン)と大きなスピーカーがあり、大きなハードドライブも机の下に置いてあった。

安価で購入した物を主軸に、パーツを入手して、値段は抑えていても、機能は市販のものよりも上だとジョーは得意げに自慢した。

到着してまず真っ先に行われたのは、私の所持金チェックだった。

私は勘が鋭い。

ジョーに所持金があると伝えてしまったら、私の物だけではなく、ジョーの買い物も私の所持金がゼロになるまで使い切られると、なんとなく感じた。

元々、遠方から行ったので、現金は極力少なくして、トラベラーズチェックをどっぷり持参していた。しかし、国境を跨ぐことに慣れていた私は、これを分散して分かりづらい隠れポケットに、さらに別のポーチに入れて隠し持っていた。絶対にスラれないようにするのは、鉄則でもあり、常識でもある。

ジョーに私の懐を知られることに本能的で自覚しきれない危機感を抱いた私は、お金は一切持っていないと伝えた。その理由も一応、言い添えたことだろう。(鞄の中をチェックするほどのことはなく、多少は見たとしても、貪り調べるようなことはなかった。){私は嘘がつけない。けれども、自分を守るためには、「あなたがたかれるお金は一切ないよ」→「お金なんてないよ。もう、事前に大人同士でそこはやってるでしょ。」という嘘じゃない範囲で、無防備に自分の首を差し出さない程度の良識?必要な工夫はできないこともない。(下手なりに、できないというわけでもないと自負はしている。あと、アホや無知のフリは下手じゃない。外人に見えるけど、実は日本語ばっちり理解していることもある。けど、見ず知らずの交流もなくて、接点も無い人ならば、わざわざ自分から聞かれてもいないのに「日本語も知ってる」ことを言わない方が楽しいという場面はあるのよね。まぁ、子供の頃はそういうこともあった。相手は私が一切理解できないと思い、内輪の話を堂々としてくれる。なんとありがたいことか。)

寝泊まりはその小さな一室で一緒にすることしか出来なかった。
しかも、同室なだけではなく、キングサイズのマットレスにジョーと私は一緒に寝た。

ジョーはイビキが酷かったので、それを私が指摘した後は、うつ伏せに寝て、私は壁側に普通に寝た。掛け布団は同じ一枚を二人で使うことになった。(「お前のために、イビキしないようにうつ伏せ寝してやっているんだぞ」と言われたが、それでもイビキはゼロではなかった…… 夜中にジョーが舌根沈下?で起きる状況では、私も一瞬目が覚めて、直ぐにまた眠りに落ちた。その心遣いは嬉しいっちゃ嬉しい。)

食べ物は、上手く行けば、学校のカフェテリアの職員食堂で朝食を食べれた。(学校のカフェテリア食の評判はネットで調べれば、一般的には「美味」とか「ラッキー」と子供が好むことが少ないことも載っているだろう。炊き出しを3倍の水で薄めて、余り物主体にした感じだろうか?日本の給食の米と汁物だけにした感じだろうか?)

昼は職員ラウンジで皆が代わる代わる持ってくるお裾分けも食べた。(ケーキなども多く、「だから太る人が多いのか」と納得する一方で、温かくて和気藹々とした雰囲気にほっこりする部分もある。食料を選べずに空腹を癒すしかない状況を悲しくも思う。)

自宅?自室?(ジョー宅)では、昼食や夕食は缶詰のニョッキなども食べた。

ニョッキなんて高級そうでカッコいいと思ったそこのあなた、それは誤解だよ〜。

ひと缶1ドル強、高くても2ドル程度(記憶の中の写真では、$1.25ないし$2.15と缶の紙に書かれているが、この記憶の正確性は定かではない。)(当時は円とドルがそんなに大差なかったので、100円強から200円強の超安物。)トマトピュレを煮過ぎて、水も多すぎた感じで味がほとんどしない。ハーブは多分入っていない。(あるいは、あんまり効いていない。)そこにただニョッキが入っているだけ。それでも、ニョッキの食感は良かった🤣🤣🤣 味はね…… 残念…… 缶なんて、美味しいわけないよね。これが昼食や夕食一食ね。中学生の育ち盛りには足りない。

毎日、野菜は買ってもらえた。多くの場合はきゅうり一本が一食分の野菜。

それを自分でユニットバスのシンクで洗って齧った。

ある日、ニョッキだけでは栄養不足だとジョーに伝えて食べ物(野菜や果物)が欲しいと伝えた。すると、トマトが入っているから、缶詰は野菜が入っている上、1日に一本は生のきゅうりを食べているから、しっかり野菜を摂っていると反論されてしまった。そして、締めには「お金がなくて、他の食材は買えない。我慢しろ。食べれるものがあるだけでも感謝しないといけない。」と言われてしまった。

それでも、地元のエチオピア料理店に連れて行ってもらって、「これはこの地域で一番美味しい、エチオピア人が作る本当のエチオピア料理だ!美味いだろ。素手で食べるのがマナーだ。」と大皿に大きな独特なヒラパンっぽいようなパンケーキやクレープっぽいような焼き生地?蒸し生地?が大皿に敷かれ、その上の皿の淵沿いに8つくらいの具材の山が作られて並んでいた。(8つというのは、明確に覚えている。もうひとランク上のメニューがあり、それを食べたいとジョーに伝えたが、予算的に2番目に良いこっちになった。)これらの具を下のパンクレープっぽいふかふかで薄いうっすらピンクがかった生地をちぎりながら、一緒に食べる。独特で初めて食べる味ばかりだが、とっても美味しい。

たまにはね、安いけど美味しいレストランに連れて行ってもらえたのよ。文化や地域の良さも体験して欲しいと、ジョーなりに大事にはしてくれていたみたい。それは嬉しい。

たしか、スーパーのお惣菜も値段上限が決められて、それに収まるように容器に入れて買った。まだ隙間がある容器を購入したのは覚えている。(油が多そうなメニューや炭水化物ばかり多い品が多かったため、私が好みの食べ物の選択肢が少なかったのか、あるいは値段的にそれ以上買わせてもらえなかったのかは覚えていない。)ただ、これも「美味しい」というジョーの推しではあった。

このような生活をしていたのはたった1ヶ月や2ヶ月だったが、風邪をひいた。

その時、ビタミンCが入った生の野菜や果物が食べたいと申し出た。この時、「毎日きゅうりを食べているだろう、金がないのだから、それで我慢しろ」と反論されてしまった。しかし、この辺は遠慮なく私も反論した。「きゅうりはビタミンC豊富ではなく、むしろビタミンCを壊す野菜だ。ビタミンCはトマト、それも生のトマトやオレンジなどに含まれている」と。

ジョーは、「それは知らなかった。きゅうりにはビタミンCが含まれていると思って、食べさせていた」と。

その後、スーパーでトマトを買ってくれた。(オレンジはどうだったかな?)

洗って丸齧りする時、汁が飛び散らないように、トイレの上で食べるように指示された。(この時、ユニットバスだったので、これを疑うことも気分悪く感じることもなかった。)普通に、一口目こそ念のためトイレで食べたが、以降はシンク近くに立っていたり、ユニットバスの浴槽の淵に腰をかけて残りのトマトを食べた。

風邪をひいて喉がどんなに痛くても、病院には連れて行ってもらえなかった。

一回の外来診察料費が数百ドル(日本円で数万円)なので、その場で全額自費(自己負担)だとジョーは払えないとも言っていただろうし、風邪なんて寝ておけば治るようなもので受診などしないのが当たり前だった。

しかし、いよいよ咳が周囲から見ても「マズイやつ」に変わっていった。

咳の強さも、COPDのような喘鳴も聴こえるようになってきた。

周囲からも病院を受診した方がいいと言われるようになっていた。

私は保険があると、保険の情報を見せ、ジョーに緊急時のお金が保険のところに入っていたと、自分でも非常に驚いたとぼけた。

病院には連れて行ってもらえた。

女性医師は、聴診器を当てるのも及ばないほど、気管支炎なのは明白だろう、と言いながら聴診してくれた。一瞬で気管支炎との臨床診断が下り、抗菌薬が必要だと告げられた。この時、医療保険に関して聞かれた。ジョーはスタッフに私が保険に加入していないと伝えていた。病院では、「保険未加入ならば、無料サンプルの抗菌薬をあげる」と1週間だか10日分の抗菌薬をもらって、私は指示通りに内服した。この際、保険の払い戻し請求のための情報や書類をジョーに渡した。(「払い戻し請求は絶対にされなければ困る。your mom won’t do it. 自分が書類を責任もって全て届けるから、払い戻し請求書類は置いていけ。」この時は、普通に私の親はちゃんとやるだろうと、一回は書類を渡さずに帰宅後処理すると申し出たものの、払い戻し請求書類を渡すことで損害リスクもなさそうだったので、一式ジョーにあげた。)

その1から2ヶ月程度の冬の滞在を経て、私は我が家と家族の元に帰って行った。

飛行機に乗せるスーツケースは、夜中に準備した。午前3時くらいから起きることで、時差ぼけ対策として飛行機内で眠れるようになるとジョーは力説した。当然、午前3時なんかに起きても、眠くて起きてなどいられない。だから、必要な作業すると飛行機に乗るまで起きていられるとか。午前5時頃に、作業終了時に仮眠して寝坊してしまわないように、注意が重要だそうな。ジョーの計らいのおかげか、この時の時差ボケの記憶はない。(ただ、人体には、修正しやすい方向への時間シフトと、修正が難しい方向とがある。例えば、日→米や日→欧はわりと修正しやすいが、米→日は修正に少し時間がかかる。単に、その時の日中のやることの量や従兄弟や友人達とのお泊まりなどの影響もあるかもね。)

幸い、帰宅する頃までには、咳も大分マシになっていた。それでも、抗菌薬は飲み切った。(帰宅後も飲み切る分が残っていたか、帰宅前に飲み切ったかの記憶は不確かだ。)

親に咳について聞かれたが、ボヤっとした感じに誤魔化した。

このジョー宅での極貧とその状況下での感染などを経験した私は、経済に関わるワードが非常にストレスかつ極度に苦手になった。特に「お金がない」と聞くと、危機感を抱き、非常に不快に感じる。本当に大嫌いだし、もにすっごく苦手な言葉だ。

PTSDとまではいかないだろう。けれども、大きな爪痕は残されてしまった。

今でも、つい1円でも節約しようとする。節約が不要でも、ついつい目先の1円まで計算してしまう場面がある。(今では、大分この傾向も抜けてきているとは思う。)それでも、「お金がない」というありふれた言葉を聞いた時には、食料も満足に得られず、感染しても病院に行けない極貧を想像して身震いする。

世界には、色々な人がいる。

実に様々な環境で、実に多彩な経験をしている人がいる。

自分の世界以外にも想像を膨らませて、多種多様な人々と背景への寛容や理解を高めたい。

今を大切に生きよう!

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