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土着怪談 第六話「白猿」(下)



はじめに

筆者の大叔父、喜太郎爺さんとその息子、克人(カツヒト)さんが30年以上前に体験した不思議な話である。

喜太郎爺さんは無類の釣り好きで、息子のカツヒトさんを連れてはよく魚釣りに出かけていた。
カツヒトさんが小学5年生の夏休み、地元の川でマス釣り大会があり、漁協の組合員であった父喜太郎爺さんと2人で参加する。
釣り竿に閑古鳥が鳴くカツヒトさんと対照的に、喜太郎爺さんはものの5分で魚籠をいっぱいにしてしまった。

家に帰り風呂に入っていると、窓の外から山から下りてきた猿の集団を見つけた。
畑の作物を荒らされて怒っていた喜太郎爺さんは、素っ裸のまま外へ出て、なんとガスガン片手に猿の集団を追い払い始めた。

あまりの可笑しさにカツヒトさんが頭を抱えていると、暗闇の森に潜む一匹の大猿を見つける。
白い毛並みに赤い目を爛々と輝かせたソイツは、ゆらゆらと喜太郎爺さんの方へ近づき始めた。
見た瞬間、全身の鳥肌が立ったカツヒトさんは即座に父に向って叫び、平吉爺さんもソイツを見た途端、恐怖に歪んだ面持ちで家に全速力で駆けだした。
喜太郎爺さんは急いで風呂場の戸を閉め、裏口の扉に施錠したのち、カツヒトさんを抱えたまま居間に飛び込んだ。


白猿(下)

居間に飛び込んだのち、しばらくカツヒトさんは茫然としていた。
喜太郎爺さんは、親戚の中でも身長が高く、当時は180近くあった。
年老いて腰が曲がった今でも、175はある。

そんなガタイの良い父と、その後をゆらゆらと追う大猿の大きさは遜色なかった。
明らかに今まで見てきた、猿の集団とは全く違う。
普通の猿がこげ茶色の毛並みをしているのに対し、大猿は白い毛並みに赤い目をしていた。

一体あれは何なんだ…。

カツヒトさんはたまらず、父の喜太郎爺さんに問う。

「おとぅ、あのおっかねぇ猿は、何なんだよ。」

喜太郎爺さんは震える手で煙草をくわえ、中指で額をかいた。
ふうと一息、煙草の煙を吐くと、少しの間をおいたのち、大猿について語り始めた。

カツヒトさんが生まれる前に建てたこの家は、元々田んぼであったという。
今や国道沿いで民家もズラリと並ぶが、昔は車の往来もそこまで多くなく、民家もぽつりぽつりと点在するぐらいであった。

家を建てる前、予定地の田んぼの下見に来ていると、白髪の老人が喜太郎爺さんの元へ来てこう言った。

この辺は、大猿が出るっつうだ。猿様の土地だがら、家なんか建てんでねぇ。

当時の喜太郎爺さんは20代そこらであり、血気盛んであった。
老人の戯言だと思い耳を貸さず、家を建てた。

家ができてから2週間後、いつものように風呂に浸かりながら、窓の外に見える森を見ていた。
イメージはスタジオジブリのトトロに出てくるお風呂から見える景色に近いかもしれない。
夏場ということもあり、窓を全開にして森を見ていると、森の奥で白くうごめく何かを見かけたという。
窓枠から身を乗り出し、暗闇の森にじっと目を凝らす。

暗闇に慣れてきた目に飛び込んできたのは、白い体毛をした大猿であった。
猿はこちらに背を向けて座りながら、何かを捕食しているようだった。

喜太郎爺さんが興味深くじっと見ていると、グイと大猿がこちらを振り返った。
その瞬間、喜太郎爺さんは反射的に窓を閉めた。

普段は肝が据わっている喜太郎爺さんでも、さすがにこの時ばかりは背筋が凍るような感覚に陥ったという。

暗闇の中で、白い大猿が捕食していたのは、子ザルであった。
真っ赤に光る爛々とした目つきで、口の周りは鮮血で真っ赤に染まっていたという。

それから十数年が経ち、記憶にふたをしていたこともあってそのことをすっかり忘れていたが、今日の白猿を見て思い出した。あいつはあの時のやつと同じ猿だ。

それだけ言うと、喜太郎爺さんはカツヒトさんに

早ぐ寝ろ、山さは近づくな。

と話し、寝室に戻っていった。


カツヒトさんはここまで話すと、

「ま、信じらんに(信じられない)話だべや。おれもあれは夢じゃねぇかと何度も思った。あれからおどぅは一切猿の話しねくなったしよ。まあ俺もあの家もう出っちまったけども、今はいねぇんじゃねえかな。」

そう話すと、カフェのアイスラテを一口飲んだ。
カツヒトさんは現在、東京で働いている。
東京で一戸建てを買い、家族もいるので、今のところは喜太郎爺さんの家で生活する予定はないという。

一方、私は気になる点がいくつかあった。

一つは、7,8年前ほどに喜太郎爺さんと釣りに行った際、白い猿の話を聞いた事である。
その時は、カツヒトさんが語ったような話は一切出なかったが、少しだけ

最近、エ(家)のメ(前)さ、白い猿いんだ。でっけくてよぉ(大きい)。畑荒らすだよな。

とつぶやいていた。
当時は特段気にも留めていなかったが、カツヒトさんの話を聞いた後では何か関係があるのではないかと疑ってしまう。
ただ、その時は恐れているというより、普通に畑が荒らされていることにポイントを当てているような話し方だったので、もしかしたら違うかもしれない。

もう一つは、私が十数年前にK沼の大蛇伝説を研究している際、地元の郷土誌をあさっていると、猿に関する伝説を見つけていた事を思い出した。
当時は、K沼と何の脈絡もなかったため、放念していたが思い出してみると少しだけに通った部分があったような気もする。

伝説の概要は下記の通り。

昔、平安か鎌倉の時代の頃に、朝日岳(仮称:地元の山の名前)と、二本弓岳(仮称:同じく朝日岳と対をなす山の名前)にそれぞれ山の頭領である大猿の大将がいた。
ある時、互いの山を自分のものとしようと、両陣営で大きな争いが起きた。
猿の大群を従えた両者の戦いは寝ずに三日三晩続き、ついに二本弓岳の大猿が勝利を収めた。
一方、朝日岳の大猿は負けた事により仲間の猿からも居場所を奪われ、行きつくあてもなく、今の泉下集落(いずしも:仮称)に流れ着いた。
泉下の谷底の河原に行きつき、ついに力尽きて腰を落とすと、何やら尻の方が温かい。
掘り返してみると、温泉がコンコンと湧き出ていた。
喜んだ大猿は、穴を深く掘りだして河原に自分の温泉を作り、そこで充分に療養した。
すっかり英気を養った大猿は、再び二本弓岳の大猿に勝負を申し込み、見事逆転の勝利を収めた。
それから、泉下集落の温泉に猿の子分たちを従えて度々訪れるようになり、それを見かけた人間たちが温泉を発見した。
これが今日の泉下温泉の由来と伝わっている。

7年前に見た郷土誌を見た私の記憶で、概要はこの通りである。
ちなみに、喜太郎爺さんが住む集落から泉下集落までは幾分も離れておらず、近しい距離にある。

ちなみに、白い体毛の猿についても少し調べてみると、日本には「白変種」と呼ばれる体毛が白い猿がいるという。
これは何万年も前、日本がまだ氷河期時代に雪に覆われていた時代、外敵から身を守るために有利な資質であった名残と言われている。
その他にも、体毛が白くなる要因としては老化先天的なアルビノ種であることが挙げられるという。
ちなみにアルビノ種である場合、目が赤く見える。(シロウサギなどは代表的な例。)
これは、実際に目が赤いわけではなく、目の光彩に色素がないため光の反射で赤く見える。

いずれにせよ、カツヒトさんと喜太郎爺さんが見た大猿がなんであるかは、今となっては明らかではないが、あの森に昔から不思議な猿が棲みついていたことは間違いない。

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