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土着怪談 第十六話「温泉街のちんつぁま」(上)

はじめに

私は一時期、温泉街をテーマに民俗調査を行っていた時期があった。
かつて温泉は人々の間で「湯治」と呼ばれ、万病に効く民間療法の一つとして親しまれていた。
温泉が湧き出る各地では、湯治宿が設けられ、病気を患った人々が1か月分の米や味噌などの食料をもって訪れる。
現在の旅館のように、従業員がいるわけではなく、そこへ訪れた湯治客が自分たちで食事や洗濯など身の回りの事を行う。
そうして1か月程度、のんびりと療養を行って英気を養い、また各々の故郷へと戻っていくのである。
湯治宿では様々な人が行き交い、時にそこでは色々な話で盛り上がった。
そして湯治宿の文化は戦後まで続いた。


上越の湯治場 野中昭夫 写真サロン 1956年2月号より



一方、近年の旅館宿では、多様なニーズに応えるべく色々なサービスを展開している。
私が実際、話を聞いた中でも、かつて高度経済成長期からバブル期ごろまでは団体の社員旅行も多く、宿の大半はそういったニーズに対応すべく大広間や座敷の部屋が当たり前であった。

一方、近年においては大型バスによる団体の社員旅行の文化はほぼなくなり、個人客がその大半を占めるようになった。
そこで元々の大広間や座敷を潰し、部屋数を増やすことによりそのニーズに応えるようにしたという。

私が宿を営む人々に聞いて特に驚いたのは、かつて会社の団体旅行が主流だった時代、女性が一人で片田舎の温泉宿に泊まりに来ると、自殺を考えているのではないかと疑っていた時代もあったという。
今ではむしろ、バイクのツーリングによるソロ客の方が多いぐらいだが、当時はそれほどまでに個人や少人数で田舎の温泉宿に訪れることは珍しかった。

大正期には芸者や旅芸人なども多数いたらしいが、今やそれを見る影もない。

著者自身も温泉が好きで、3か月に1回は各地の温泉を巡っている。
特に、冬に行った北海道の登別温泉で入った雪景色の露天風呂は格別だった。
各地の温泉街には長い歴史が刻まれ、今も多様なニーズに応えながら進化を遂げている。
各地の湯けむりに思いを馳せながら、私が調査中に出会った不思議な話をご紹介しよう。

温泉街のちんつぁま

今から7、8年前に、東北のとある地方で聞き取り調査を行なっていた際に聞いた話である。
その街は昔から温泉が有名で、街の至る所から湯煙が立っている。
街の中心には切り立つ峡谷になっており、崖っぷちに切り立つように温泉宿が並ぶ。
峡谷の下には深緑に染まる大河がゆっくりと流れており、峡谷の歴史を物語る。

温泉街で旅館を営むつなゐさん(昭和25年生まれ)は、明治にこの宿が開業してから自身の代で実に4代目であるという。

15年前、夫に先立たれてから女将として、今日まで宿に訪れるお客を現役で迎えている。
当時、御年74歳には思えぬパワフルさに、私も驚きを隠せなかった。

旅館はかなり小規模ではあるものの、大正時代の建物を一部改築・改修しており、趣ある内装が珍しいと最近は外国人も多いという。
旅館というよりは民宿、といった方がイメージが近いかもしれない。

聞き取り調査を行った7年前当時、温泉宿で働く人々をテーマに調査を行っていた私は、温泉街でも1番古い歴史を誇るつなゐさんが営む旅館絹衣(きぬい)へ訪れた。

旅館の名前の由来を尋ねると、つなゐさんは笑いながら話してくれた。

「むがしのはなしだげんども、温泉やる前、江戸の頃だべな。その頃は、オカイコ様(※)やってただ。んだから、絹の衣って書いて、きぬいって名前にしたって、おらいの爺様が言ってた。ほんとか分かんねえけどな。」

※お蚕様→養蚕のこと。戦前までは、東北地方の農村部で冬場の副業として盛んに行われていた。

そんな旅館絹糸には、不思議な開湯由来がある。
民宿の広い玄関に入ると、目の前に2階の座敷個部屋に上がる階段、右手には食堂につながる長い廊下がある。
廊下の途中には、旅館にまつわる歴史や由来を示す書物や写真などがガラスケースに展示されている。

つなゐさんに一つ一つ丁寧に説明を聞きながら、展示品を眺めていると、玄関から「こんにちわぁ、お世話になります○○です〜。」と声が聞こえてきた。

はあい、今行きますと元気よくつなゐさんが答えると、玄関の方へトコトコと歩いていった。

展示品の続きをガラス越しにのんびりと眺めていると、ふと目に止まる昔の新聞記事が目についた。
明治期の地域新聞のようで、所々文字が潰れて見にくい。
目を細めながらそっとガラスケースに顔を近づけると、何やら面白そうな記事が書いてあった。
要約すると、下記の通り。

「古来より温泉が湧き出でたる〇〇集落に、近頃旅館絹糸たる一大名所あり。由縁を下記に記す。明治初めに集落の〇〇氏は古来より温泉発する地より、西へ1里離れた地にて温泉を掘削し旅館を営まんと私費を費やした。氏の念願叶い、先日遂に泉脈当てて温泉湧き出でたるが、その際に龍骨出たり。土人(※)、此れを祟りと恐れ、龍骨を〇〇神社へ奉納す。秘宝龍骨を一目見んと集落へ数多訪客あり、記者も現地にて神社へ向かった。神社本殿へ確かに龍骨奉納されている事、然と見れり。今は旅館絹衣と龍骨にて〇〇集落、大いに盛況す。明治〇〇年〇月○日 記者 〇〇」

※ここで云う土人とは、差別用語ではなく、土地の人という意。戦前までの地方紙においては、土地に昔から住む人たちをこのように表現している事が多々ある。

「それは、おらい(自分の家)の宿の始まった時の話だな。」

ふと、後ろから頭にバンダナを巻いたつなゐさんが顔を出した。
さっきの訪客は、チェックインを終えて2階の座敷へ上がったようだ。

「この龍骨って、なんですか?」

私が不思議そうに尋ねると、

「あぁ、ちんつぁまんどこにあったやつだな。おれも昔みだごどあんだ。」

そう答えると、つなゐさんは手を後ろに組みながら踵を返し、食堂の方へゆっくりと歩き出した。
私もその後に続き、龍骨の話についてさらに詳しく問いかけようとしたところ、食堂の扉をガラガラと開け、つなゐさんは振り返った。

「そごさ、腰掛けろや。今、お茶淹れっから。龍骨の話だべや?」

さすが旅館業を半世紀以上営んできただけあって、私の表情で何を聞きたいのか既に察したらしい。

畳に長テーブルが並ぶ食堂の椅子を少し引いて腰掛けると、給湯ポットでお湯を入れてお茶を湧かしたつなゐさんが、お盆にお茶を載せて戻ってきた。

よっこらせ、と椅子に深々と腰を掛けると、つなゐさんはニヤリと笑い、話し出した。

(2,649文字)

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