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土着怪談 第一話「池作りの禁忌」(上)



あらすじ

私は、普段東京で会社員をしながら休日は趣味がてら郷土研究や執筆活動に勤しむごく普通の一般人である。
しかしながら、私が生まれ育った地は東北の片田舎、自然豊かで今でも伝説や古い民間信仰が信じられているような場所だった。
そんな地元への興味もあったからか、大学時代は民俗学を専攻し、人々の生活に息づく伝承世界の研究にのめり込んでいった。
現在は休日、趣味がてら各地の伝説や面白そうな伝承を興味の赴くまま調べているが、現在までの調査研究の中でたまたま採集した不思議な話をここに書き連ねていく。
今や失われつつある、かつて人々が当たり前に話していた不思議な世界の一部を、読者の方々にお届けできたら幸いである。

はじめに


私の親戚筋では庭に池を作ってはならないという禁忌がある。
詳しくいえば、私の母方の実家、今でも伝説や古い信仰が根強く残る東北のとある片田舎である。
今回はこの池の話をしたいと思う。

池というとみなさんはどのようなものを思い浮かべるだろうか。
古く、日本各地にある伝説では池を舞台にした話も少なくはない。
池というのは、昔の人々の飲水や生活用水の源として貴重な場所であり、重宝されていた反面、大雨による氾濫や水没事故もあった。

私は様々な人への聞き取りやフィールドワークの中で特に「池」に関する話を多く採取する機会があった為、「池」の話は今後も複数回に分けて話したいと思っている。

前置きが長くなってしまったが、まずはじめの池の話は私の実家にまつわる話、「池を作ってはならない禁忌」についてご紹介しよう。

読み切り時間:5分少々

池を作ってはならない話


私は幼い頃から生き物が大好きな子供で特に、魚類には目がなかった。
暇さえあれば手持ちサイズの魚類図鑑を片手に、田んぼやあぜ道の用水路に顔をのぞかせては魚を探したものである。

特に小学生になってから、学校帰りに川へ行くことも多くなった。
網を片手に、どじょうや鯉、イワナやヤマメ、ハヤにカジカを捕まえるのである。

最初はなかなか取れないものの、水辺に生えてる草の下を丹念に網で探ったり、石をひっくり返して掬ったりすると、驚いた魚が出てきて面白いように取れるようになった。
取った魚は家にあった水槽に入れてずっと眺めたり、餌をくれて懐かせた。魚好きにはたまらない至高の時間であった。

水槽の魚が徐々に増えてくると、より大きいスペースを求めるようになってきて、水槽だけでは事足りなくなってくる。

そんなある日、友達の家遊びに行った際、庭先の立派な池とそこで泳ぐ大きな数匹の鯉、そんな雄大な景色にすっかり心を奪われてしまった。

私の家にも池が欲しい。

喉から手が出るほど池が欲しくなった。

さっそく家に帰り、足取り軽く母に掛け合った。
私の母は普段から厳しく口うるさい人だったが、生き物のことに関しては寛容で、水槽の導入や新たに生き物を入れる際などには嬉々として話を聞いてくれた。
そんな母だからこそ、今回の私の池の話も必ず手伝ってくれるだろう。
そう考えていた。
話の切り口はそう考えず、自然に話した。

「今日○○の家で、でっけぇ池さ鯉が泳いでんの見できた!」
「んだべ、〇〇の家はでっけがらなあ。」
「うちにも庭の前さ池つくっぺや?」
「んー、うちの庭はあんなにでがぐねえがら無理だ。」

そういって母は笑った。ここで断られるとは思わなかった。

「いや、でもスコップでちょごっと掘ればすぐでぎっぺな(できるでしょ)。」
すっかり池のとりこになっていた私は食い下がらなかった。

母は一瞬顔を曇らせてから困ったようにこう言った。
「いや、池はだめだ。作らんに(作ってはいけない)。水槽にしっせ(しなさい)。」

生き物のことで母が難色を示すのは初めてだった。
難色を示す母に一瞬戸惑ったが、駄々をこねて怒られるのも嫌だったのでこの話をするのはやめることにした。

それから数年後、とあるきっかけから再び池作りを試みようとする私に、不気味な出来事が襲い掛かるとは、この時は思いもしなかった。

(1,656文字)

続編


土着怪談 第一話「池作りの禁忌」(下)に続く。

土着怪談 掲載中作品 (全101,289文字)


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