土着怪談 第三話「公園の池で出会った不思議な魚」
はじめに
第一話で、池を作ってはいけない禁忌で少し触れたが、あの一件があってから偶然なのか必然なのか、私の人生で池・沼というのが大きな関わりを持つようになる。
さらに言及すれば、私が今まで体験してきた場所の多くが池や沼といった水辺だった。曽祖父の血筋を強く受け継いでいるのが関係しているのか、はたまた私の天性なのかは分からない。
しかし今これを書いている中で小学生以来思い出さなかった不思議な経験を思い出したのでここに書くことにする。
読者諸君は幼いころ、夢か現か、よくわからないまどろみの中をさまよった経験のある方はいないだろうか。よくあるのは起きているのか起きていないのかよく分からない状態に陥ってそこでの記憶が強く残るといったパターンだろう。
もっと最近よく聞くようになったのはデジャヴ、いわゆる夢が正夢になるといった現象である。
またこれの逆をメジャブといって経験したはずなのに初めてのように感じることがあるという。
私が今回紹介する体験は少し特殊でこのどちらにも属さない、未だに思い出しても不明な点が残る話である。
読み切り時間:10分少々
公園の池での魚とり
私の小学校の頃、休日の過ごし方と言えば、そのほとんどがドジョウ取りと言っても過言ではなかった。
あのぬるぬるしてつかみづらい、それでいてひげのある愛嬌の塊のような顔立ちと獲ったドジョウの大きさを競うそのゲーム性に私は虜になっていた。
朝からどじょうがいるポイントに行き、昼も食わずに夕方までひたすら泥をかぶりながら掬い上げる。
どじょうを獲るとき、その多くは泥の多い、どぶだまりのような場所にいることが多い。目視でとらえることは不可能なため、奴らがいそうな場所を見つけたらその一帯の泥ごと救い上げる。
泥を道路や岸にぶちまけてその泥に指を突っ込んで丁寧に探っていく。
泥の重さは時として1キロを超えるため100円ショップなどで売っている竹の網ではすぐに首がもげてしまう。少し高めのスチール網をお盆や正月、親戚にねだって買ってもらい、それを大事に使うのである。
私が普段どじょうとりをやっていたのは公園にある池の下流だった。
さすがに管理している池の鯉はとれないため、その下流に100m程度続く小川で、膝丈程度の浅さに浸かりながら泥をあげる。
そこでのどじょうとりは主に私と3つ年下の従兄弟、幼馴染の女の子二人と二人の弟たちを含めた合計6人程度でドジョウ取りをしていた。
当初は縄張り争いやどじょうの大きさの競い合いもあったが、両者が協力することで更なる漁獲高が得られることを知り、協力関係を結ぶようになった。
そのようにして、その日も朝早くから6人が集まり、みな真剣にどじょうをとっていた。
100mある川の途中には子供が下をくぐれる幅3mほどの小さな石橋があった。
今日は普段人が立ち入らない石橋の下を徹敵的に探ってみよう。
どこからともなくそんな話が上がった。
たしかにどじょうは物陰に隠れる性質を持っているし、前から気になっているスポットではあった。
石橋の下にもぐるのは初めてで、外からのぞいても鬱蒼と暗く、かび臭いので、少し躊躇する。
できればもぐりたくはなかったが、一番の年長者で経験年数が長い私が特攻隊長として選任されるのは当然の流れであった。
石橋の下は膝丈程度の水嵩ではあるが、小学生の身長でも腰を折らなければ下をくぐることはできない。
たった3mの石橋だが、中は思いのほか暗く、目を細めながら恐る恐る腰をかがめて入っていく。
小学生ながらベテランという自負があった手前、怖気づいているわけにはいかない。
意を決してどんどん暗闇の中に入った。
中はやはり想像以上にかびくさく、空気がよどんでいた。
頭にクモの巣がかかるのを必死に振りほどきながら進むが、水と泥は異常に下水臭がきつい。
向こう側の木漏れ日はチラチラと漏れているが、果てしなく遠いように感じた。
ぽちゃん、ぽちゃん。
歩を進めるたび、あちこちで水の跳ねる音がする。
おそらくカエルだろうが、石橋の中ではそれすらも不気味に聞こえた。
他の子どもたちの声がどこか遠くからしか聞こえない、何を言っているのかすらも聞き取れない。
そんな感覚になった。
気が付くと照り付けるまぶしい太陽の下にいた。石橋を通り抜けたのだ。途端に様々な音が入ってくる。
やかましいセミの音、子供たちが口々に話す声、水の流れる音、木々の葉がこすれる音。
あの石橋の下では聞こえなかった、様々な音が耳に入ってくると私は安どした。
同時にもうあの下には入りたくないとも思った。
なにか言葉では言い表せないが、胸の内側から感じる気味の悪い感覚が石橋を抜けてなお、残っている。
石橋を抜けた先に…。
その後、二人の弟が私が出てきた方から入り網で探っていく。
そして私が入っていった方から姉二人が入って網で挟み撃ちにする作戦を立てた。
私といとこはそれぞれ両者が入っていくところを橋の上からのぞき、網を逃れて逃げてきたのを上から救う係になった。
照り付ける太陽が水面にきらきら反射してどこか水の中も見えづらい。
そんなことを思いながら石橋の下に潜り込んでいく姉二人の背中を見送った。
二人の背中が石橋の下に完全に消えたその時だった。
石橋の下から響く子供たちの声が消え、セミの声が消え、水の音が消えた。
たしかに私は今ここにいる。
しかしまるで夢の中にいるように目の前が朧気で、どこかはっきりしない。照り付ける太陽の中、自分の頬を汗がつーっと垂れる感覚はあるものの、それが熱いのか寒いのかも分からなくなっている。
顔をまるで固定されているようにじっと水面を眺めていると石橋の下から見たことのない生きものがゆっくりと姿を現した。
大人のこぶし大ぐらいある、洋ナシのような形をしたもの。
下半分は緑色で上半分が赤色。口先に銀色の針のようなくちばしがついていて、生きものとは思えない無機質な体表のテカリ。
それでいて光のない真っ黒な目は生物のそれではなかった。
その生き物はゆっくりと石橋の下から姿を現し、石橋の少し先でじっと止まった。まるで水中にホバリングするかのように、微動だにせず。
私はその得体のしれない無機質な生物を目にし、初めて生物に対して怖いという恐れを抱いた。
しかし同時にこの生き物に今まで感じたことのないほどの魅力を感じた。
それはまるで南国のカラフルな九官鳥を初めて見たときのような感覚に近い。
何分ぐらい立っただろうか。
その生き物はその針のようなくちばしを石橋の方に向けて踵を返すと、ものすごいスピードで石橋の下へ入っていった。
しばらく呆気に取られていた私だが、ふと我を取り戻すと、得体のしれないこの生物をどうにか獲りたいという欲求がふつふつと芽生えてきた。
再び水面を注意深く観察する。
この時点で3分以上は立っていたが、向こう側の弟どころか、姉二人の姿も見えなかった。
しかしこの時の私にはそんなことなど全く頭になかった。
とにかくあのへんな生き物を捕まえる。
この思いで頭がいっぱいだった。
するとまたも石橋からどじょうではない生き物が姿を現した。
40センチぐらいの錦鯉だった。
綺麗な赤と黒、そして白地に少し桃色がかかった肌をした、綺麗な錦鯉だった。
錦鯉はゆっくりと石橋の下から姿を現した。
途端私は手元の網を川に投げ入れる。
バチャン、
網が鋭く川に入った。
そして間髪入れずにその網を瞬時に手元に引き上げた。
ビチビチッ、
網の中で魚が跳ねる音がする。
やった。獲った。
網はずっしりと重く、網の中ではおそらく錦鯉が跳ねまわっている。
はやる気持ちを抑え、慎重に網の中をのぞく。
えらをしきりに動かしながら、体をくねらせる錦鯉が網の中にいた。
青色の網も相まって鱗に移る赤、黒が美しい。
その美しさに目を奪われていたその瞬間、気が付くと石橋にもたれかかって一人川をのぞいていた。
まるで映画のシーンが切り替わるかのように、自分の視点が切り替わった。
途端やかましいセミの声、子供たちのにぎわう音、川のせせらぎが一気に流れ込んできた。
石橋の下には誰もいなかった。
その下流、いつものポイントで5人は必死に泥を救い上げていた。
網は、網はどこだ。
探す間もなく手元にあった。
しかしその中にさっき獲った鯉はいない。
それどころか、網は濡れてもいない。
「おーい、○○(私の名前)、何やってんだそこで。早くこっちさ来てとればいいべや。」
下流でそんな声が聞こえた。
なんでだ?錦鯉はどこに行った?
疑問を抱きながら、私は下流に下り5人に尋ねた。
「なんで?いつの間に石橋の下からこっちさ来てた?」
姉の一人が言う。
「はあ、何言ってんの?石橋の下見でくるって言って自分で行ったくせして、いつまでも出てこながったべした?こっちは何回も呼んでんのに何にも言ってよこさねし(返答がないし)。一人で全部取ろうとしてんのがと思って、みんな呆れてこっちさ降りてきだがら。」
つまり、姉二人と弟二人は石橋の下にもぐっていない。
いとこも石橋を覗く係をやる前にみんな下流におりていたというのだ。
では私が作戦を始めてから見ていた人たちはいったい誰だったのだろうか。
よくよく思い返してみると作戦が始まってから、私は彼らの後姿は見送ったが、声を聞いていない。
それどころか、他の音すらも。
石橋を抜けてから、私が石橋の上で見張っていた子供たちの正体は一体…。
しかし手にはあの錦鯉の跳ねる振動、その重み。
あの奇妙な緑色の生き物がびっちりと脳裏に焼き付いて離れない。
ポイントで泥上げにいそしむ子供を脇に見ながらも、その日はもう水に入る気さえなくなってしまった。
石橋での不思議な体験から幾年後の出来事
それから十数年近く経過し、池の話を書いていると久方ぶりに思い出した。幼いころ、特に中学に上がる前まではあの石橋を通るたびに思い出していた。
一応、あの後も何度か橋の下で見たあの生きもの、そして鯉の話を姉二人にしたものの、そんなものは見てないし、橋の下にももぐってないと言い張るばかりだった。
それどころかその話を毎度石橋を通るたびにするので気味悪がられていつしか人にその話をすることはなくなっていた。
今考えれば幼心に不気味な経験であったため、心のどこかで記憶を封印していたのかもしれない。
しかし久方ぶりに思い出しても未だにあの鯉の感覚、重みははっきりと覚えているし、あの生きものの姿も細部まで思い起こすことができる。
今、あの生きものに何か既視感を覚えインターネットで探してみた。
するとその形はなんとなくバス釣りのルアーに似ていた。
まるっきりカエルの形ではなく、球体に近いルアーで、赤と緑の色が入っている。
しかし今だったらバスルアーに似ていると分かるものの、当時小学生だった私は知る由もない。
なにより大きさは全然違う上に、あの生きものは確かに生きて、動いていた。
きつねにつままれた話と言えばそれまでだが、デジャブでもメジャブでもない、現実と現実のはざまに起きた、いわば宙づりのような夢が起こした不思議な話である。
それと気になるのはなぜこのタイミングで、私は思い出したのだろう。最近の池の夢といい、このような話を書き連ねようと思い立ったのにも何か見えない理由があるのか疑うのは尚早だろうか。
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