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土着怪談 第五話「猿の手」


はじめに

近年、地方では猿による農作物の被害が相次いでいる。東京では見ないかもしれないが、地方の高齢化が進む町村では、猿の集団を見かけることもしばしばだという。

いつの時だったか、栃木の日光東照宮の猿被害についてテレビで特集をやっていたのが印象に残っている。

参拝客のお土産を山賊のように略奪し、我が物顔で参道を闊歩する猿たちに対し、地元の人々や土産屋の店主たちもついに堪忍袋の尾が切れて、爆竹やガスガンなどで対抗していた。

インタビューを受けた土産店の老婆は、似つかわしくないM-16のガスガンを武装して、「憎たらしい猿」と発言していたのには、幼心に面白おかしく笑ってしまった記憶がある。

ただ、動物に知見のある方や、勘のいい読者の方々は薄々気づいていると思うが、猿ないし野生動物が自ら積極的に人間に対し攻撃を仕掛けることはそうそうにない。

始まりは、無責任な観光客が物珍しさに猿へ土産屋で買った食べ物を餌付けしたことだ。
普段野生で獲物を採取するよりよっぽど餌付けの方が楽と覚えると、それに執着するようになる。
迷惑しているのは地元の人々とそしてサル自身であろう。

では昔からサルと人間は近しい距離で生活していたか。
否、少し前の昭和まではサルと人間はそこまで近しい距離にはいなかった。

特に、私が聞き取り調査を行なっていた南東北のある集落では、猿を見かけるようになったのもここ十数年そこらの話だという。

今から10年も前になるが、ある山奥の集落にいた、95歳の長老が猿についていくつか不思議な話を語ってくれたことがある。長老は最近猿が出る理由について、

「里山が手入れされなくなったり、使わない畑が増えてきたことで、かつて人間が生活していたエリアにサルが出没するようになり、人とサルの距離が近くなっていった。」

と話していた。
私が聞いた猿のいくつかの不思議な話を通して、猿と人間との距離をもう一度見つめ直してみよう。

読み切り時間:5分少々

1.猿の手

今から10年ほど前、大蛇伝説の調査をしていた私は、大蛇伝説の話に出てくる猟師の子孫がいる、南東北の山奥の集落へ向かうことにした。
ちなみに、この大蛇伝説が伝わっているのは、人口4000人弱の小さな町村、私の地元だ。
山奥の集落の長老と親交があった大叔父の平吉爺さん(仮名)は、山の事や地元の伝承に精通し、度々調査研究では世話になっていた。
山奥にある集落までは、平吉爺さんが住む麓の集落から車で10分ほど。

道中、その集落について話題に上がると、平吉爺さんは思い出したように、切り出した。

「あすく(あそこ)の集落の、〇〇あんにゃげの玄関さ(あんにゃ→年上の男性を親しみを込めて呼ぶ時・げ→家)、猿の手がこうやって掛かってただよなぁ。ほがの家さもあんだべか。」

信号待ちの車内で、こう話すと平吉爺さんは両手をクロスさせた。

どうやらこれから行く集落の一部では、玄関先に猿の腕をバツの字にして飾っていた風習があったらしい。

「なして、そんなことして飾ってたんだべな?」

私が疑問を抱いて質問する。
平吉爺さんはうーんと首を傾げながら、

「玄関先さ飾っといたって事は、魔除けにしただべな。あれはおっかねがった(怖かった)ぞ。大した立派だったけどなあ。今もあっかもしんにな(知れないな)。」

目尻を下げてカカカッと笑うと、平吉爺さんは

「ほら、見えてきたべ。あすくだ。」

雪化粧をした立派な茅葺き屋根の平屋建てが、里山をバックに見えてきた。


広々とした敷地に入り、車を停める。
降りて見ると、日本昔ばなしに出てくるような茅葺き屋根の平屋に思わず心が躍る。
雪が積もった広い敷地を長靴で平吉爺さんに続く。

「こんちは。〇〇部落の平吉ですけども。八郎先生いっかよ(いますか)?」

平吉爺さんと玄関に入ると、旅館のような木目調の廊下が続き、目の前には屋久杉と思わしき置物まであった。
ひんやりとした玄関で、一息つくと白い吐息が漏れた。

呆気に取られていると、白髪頭の腰の曲がった老人が奥の座敷からヨタヨタと歩いてきた。

「おう、上がりっせ(上がりなさい)。上がりっせ。」

物腰柔らかい話し口調だが、眼鏡の奥に鋭く光る眼光が印象的だったのを覚えている。

長い廊下を歩いて、奥座敷に通されると、どっこらせとコタツに身を寄せた老人は、

「それで?なに聞きっちだ(聞きたいの)?」

とにこやかに話した。

改めて自己紹介をした後、研究している大蛇の伝説話について、質問を始めた。

会話するうちわかったのは、先生と呼ばれる老人は、平吉爺さんの中学校の担任だったらしい。
平吉爺さんが中学校を卒業してゆうに60年以上は経っているが、未だに先生は生徒1人1人を覚えているらしい。

教員という職業もそうだろうが、なにより60年前の生徒を覚えている95歳とは…。
人間の底力を感じた。

ひとしきり、大蛇伝説の話について聞き終わった後、出された茶を啜りながら平吉爺さんがふと口を開いた。

「あすくの、〇〇あんにゃげの玄関さ、飾らっちだ、猿の手の置物はまだあんのがよ?」

先生は首を横に振り、答えた。

「あー、むがしはあったけど、今はもうねえべな。ぶん投げっちまったでねえが(捨ててしまったのではないか)?」

さすがにもうないか…。

ガックリと肩を落とす私を見て、先生は思い出すように話を続けた。

「んだ、あすくの〇〇げの蔵ぶっくした(壊した)事あったべや?蔵ぶっくした時によ、蔵ん中から昔の細長い木箱出てきてな、なんだべこれ。って話した事あったな。」

「んだんだ、あったなし(あったなあ)」

なんと平吉爺さんもその場に居合わせていたというのだ。
今から30年以上前の話だという。

当時、ヤクザ者のようだったその家の主が病気で死に、跡継ぎもいなかったことから、集落のみんなで倒壊の危険があった土蔵を壊そうという話になったらしい。

土蔵を壊す前に、中に入っていた物品を整理していたところ、先ほど話した不思議な細長い木箱がでてきたらしい。

「中身は?」

私が聞くと、2人はしばしの沈黙のあと

「…腕だ。」

先生が答えた。

平吉爺さんも続くように話し始めた。

「〇〇は、ヤクザもんだったから、人の手だったかもしんにな(しれないな)。ミイラみてぇに干からびてだけどな。んだけどもよ、干からびてたけど、それにしてはなんだかちっちぇかっただよなあ。」

「んだんだ、あれはもしかしたら猿の腕だったかもしんに。」

先生もこたつの上のみかんに手を伸ばしながら頷く。

「その腕は今どこにあんの?」

息を吞んで、聞いてみる。

先生と平吉爺さんはこたつの上にあるミカンを頬張りながら

「気持ち悪くて、ぶん投げっちまった(捨ててしまった)。」

と、答えた。

「なんだ、投げっちゃったのか….。」

残っていれば、ぜひ拝見したいと思ったのだが。

話がサルに逸れると、最近はサルの農作物被害が酷いという話になった。
なんでも、害獣対策の電気柵を器用に通り抜けてきてしまうらしい。
やはりサル科の生き物というべきか。

そんな話をしていると、また思い出したように先生は、

「あぁ、俺の親父から聞いたんだけども明治の頃になぁ」

と話し始めた。
外の吹雪が一層強まり、ふすまがガタガタと揺れだした。

続く。

(2,923文字)

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