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土着怪談 第十五話「彼岸獅子」(中)


はじめに

福島県会津地方には、「彼岸獅子」と呼ばれる獅子舞が存在する。
一般的にイメージする赤い獅子頭に緑の唐草胴幕とは異なり、漆黒の獅子頭に大きな牙を剥き、3匹1組で編成される。
縁者が頭上に獅子頭を載せて演舞を行うためか、彼岸獅子の身長は2m前後あり、普通の獅子舞よりも威圧感や恐ろしさすら感じる。
笛や太鼓のお囃子とともに、正月ではなく春の彼岸に各家を訪れ、家内安全や商売繁盛を願う。

筆者は祖母の妹、芳子(ヨシコ)から、小学生の頃に経験した、彼岸獅子にまつわる不思議な話を聞くことになる。

芳子は物心ついてから小学校卒業まで、不思議な体験やほかの人には見えないモノが見えたりしていた。
姉であるヒデコや、母のミツコには、気味悪がられていたためその話は極力しないようにしていたが、小学生3年の年末年始で再び不気味な体験をする。

家の至る所で、謎の気配を感じるのだ。

一回目は、年末に縁側でうたた寝をしていたところ、枕元にヒトではない何かがじっと立っていた。
二回目は、年始の三が日のこと。戦争から帰ってきて重病を煩い、寝たきりの父信一の部屋へ料理の御膳を運んだ時だった。
謎の気配に耳元で囁かれた。何と言っているかは聞き取れないが、生気のない低い男の声だった。
怖くなり信一の部屋に入ると、青白い顔をして寝ている信一の枕元で、人の影のようなものが、座りながら信一の耳に何かを囁いていた。
黒い影は瞬時に煙をかき消すように消え去り、芳子は御膳を信一の枕元に放り投げて、その場から逃げ出した。


彼岸獅子(中)

信一の部屋で不気味な黒い影を見てから1か月後、2月初旬に芳子は高熱を出して学校を休むことになった。
近くの医者を家に招いて診断してもらうものの、原因は不明。
高熱による関節痛と体のだるさに襲われ、次第に食が細くなっていく。
奥の座敷で仰向けになりながら、ぼぅと天井を眺めて眠りに入ろうとするが、それ以上の体の激痛に襲われ睡眠もままならない。

日に日にやつれていく姿を見て、姉のヒデコと母のミツコも心配し、代わる代わる看護を続けたが一向に快方へ向かわなかった。

1週間も経った頃、初めて平熱まで熱が下がった。
睡眠不足と体の疲れもあって、芳子はやっと深い眠りに入ることができた。

一週間分の睡眠を貪るように、芳子は死んだように眠った。

どのぐらい経っただろうか。
深い眠りから目覚めた芳子が、寝ぼけ眼をこすり、頭上の大時計を覗くと、25時を回るところだった。

ゴーン、ゴーン、ゴーン….。

古びた大時計の鐘が、部屋中に鳴り響く。

芳子は、夜に聞く大時計の鐘の音が嫌いだった。
低い濁った音を鳴らす大時計は、時なり聞こえる磐梯山の方からの地鳴りの音に似ていて、怖かった。

大時計は大正の頃、父の信一が買ってきたものらしい。
重い瞼を開けながら、冷たい隙間風を感じて部屋の入り口を覗く。

ゲスヌケだ…。

この地方では、隙間が空いていてしっかり扉が閉まっていない状態の事をそう言う。

節々が痛む体を持ち上げ、ゲスヌケの引き戸を閉めようと布団から半身を出した瞬間、ギョッとした。

引き戸の近く、布団を仕舞っている襖もゲスヌケになっている。

奥座敷で寝ているのは、芳子だけであり、ここ1週間は布団の出し入れをしていない。
そして襖を閉め忘れたなど、几帳面な姉ヒデコや母ミツコの仕業とは到底思えない。

節々が痛む身体をやっとこさ半身起こしたところだったが、芳子は何やら嫌な予感がした。

再び布団に入りこもうとしたその時だった。

ヒィッ…。

ゲスヌケの向こう側に見える暗闇から、青白い顔の男がヌッと現れた。
やつれたその顔は、白目を剥きだしにして薄ら笑いを浮かべている。

「…ンデ…ツェ…。」

またも低く正気のない声で囁き始める。

恐ろしくなった芳子は急いで布団に身体を埋めた。

ふと襖を見ると、襖からも影のように黒い腕が何本も生え出している。
まるで襖の奥で大量の人がもがくように、無数の手はジタバタと動いている。

入り口の引き戸から顔をのぞかせていたのは、男だけではなかった。
おかっぱ頭の子供、日本髪の女、そしてやつれた男、ゲスヌケにひしめき合いながら、白目をむいて、一様に芳子の方をじっと見つめている。

芳子は目を固く瞑り、頭まで布団をかぶりながら、震えて朝まで過ごした。

翌日、芳子は熱も下がり関節痛も嘘のように消え、症状は快方に向かっていた。
姉ヒデコと、母ミツコも安心し、芳子の容態は無事回復したようにみえた。

しかし一方で当の本人は浮かない顔をしている。
芳子はその日を境に、以前にも増して家の中で人影を見るようになった。

座敷や居間、味噌樽が並ぶ蔵や風呂場など。

昼夜問わず、ふと振り返ったり、顔をあげたりすると、人影が立っていて、煙のようにすぐに消えてしまう。
あの一件以来、はっきりと顔が見えるわけではないが、おおよそ影の大きさや輪郭から、女・男・子供のいずれかであることの判別はつくほどになっていた。

3月に入る頃には、1日に一回は視界に入るほど影を見る頻度が増えていった。
最初は黒いもや程度にしか見えていなかった影は、徐々に輪郭や顔立ちもはっきりと見えるようになる。

いずれもボロボロの着物を着ているが、いずれも芳子にとっては全く面識もない、知らない顔である。

時同じくして、姉ヒデコが体調を崩して寝込んでしまった。
父信一の容態も悪化し、いよいよ家業の味噌作りもままならなくなってきた。

母ミツコは、家の前の畑で採れていた野菜を遠くまで売りに行ったり、蔵の中の骨董品を質屋に出したりして日銭を稼いでいるが、一時の気休め程度にしかならないことは芳子も感じていた。

日に日にやつれていく母の姿を見ていると、芳子も胸が苦しくなった。

いよいよ売れる野菜も、蔵の骨とう品も空になったある夜に、芳子は不思議な夢を見た。

続く。

(2,355文字)

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