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土着怪談 第十話「大黒天・恵比寿天の話」


はじめに

土着怪談 第一話「池作りの禁忌」にも出てきた祖父に関する不思議な話はまだある。

先の一件を聞くと、私の祖父は迷信好きで、不思議なものに関心がある面白い爺さんだと感じた人もいるかもしれない。
しかしそれは逆で、本来は仕事一筋の堅い人間である。
あまり自分からそういう話はしないし、そういった話にあまり興味も持たない。

どちらかというと、小学校の図書館で放課後になると、「学校の怪談」や「日本の妖怪」などの書籍に読み耽っていた著者の方がむしろそういう話に関心が強かった。

高校入学を機に、少し栄えた隣町への通学が始まると、私の住んでいる地域というのは、いまだに不思議な話や狐に化かされた話などが、ごろごろ転がっている土地だという風に改めて気が付かされた。

今までの話はもちろん、幼いころに何げなく聞いていて覚えている話も載せているが、高校生、大学生になって関心を持って収集している話の方が多い。

おそらく私ぐらいの年代で、このように物珍しがってこんな話を収集している者はほぼいないだろう。だが、一方で、私ぐらいの年代がおそらくこのようなことを聞ける最後の年代であるような気もする。

事実、私の祖父母世代になるとそういった話をする人もほぼいなければ、信じる人も少ない。話せる人もいなくなっている。

私は別にこれを集めることになにか大義名分を見出してやっているわけではないが、少なくとも無駄にはならないだろうと思って書き連ねている。

同年代でもしこの読み物を手に取ってくれる人がいたならば、どうか一つ二つ自分の周りの人、特にお年を召した人になにか聞いてみてほしい。

きっと今や失われつつある不思議で、どこか懐かしくもある話が聞けるかもしれない。

前置きが長くなってしまったが、私の祖父の不思議な話をしよう。
今回は私の祖父が営む会社に今もある木彫りの大黒天、恵比寿天の話である。

大黒天・恵比寿天の話

私の祖父は御年79歳を迎える。思えばだいぶ年を取ったと思う。
なかなかの年齢だと思うが、さらにこの年でトラックを運転して、現役社長として田舎の小さながら会社を運営している姿は、我が祖父ながら誇らしい。

私はそんな祖父が営む活気あふれる会社が好きで、幼いころからよく出入りしていた。
会社は10年ほど前にリニューアルして新しい社屋となり、工場も一回り大きくなった。
外装、内装ともに多少小綺麗になって、客足も前より増えたという。

高校生の頃、たまたま部活が冬期テスト期間で休みだったため、リニューアルしたての会社に赴いたことがあった。

駅から雪道を徒歩で15分。
会社に着く頃には7時を回っており、辺りは真っ暗だった。

外装は暗くてよく見えないが、会社の中に入ってみると、内装は綺麗になっていて、昔の年季の入った社屋の見る影はもう無い。
少し寂しさを覚えつつも、祖父が手招きをして私を呼ぶ。

「こっちさ、来て、これ見てみろや。」

祖父の指す柱は、そこだけリニューアルには似つかわしく無い古めかしい茶色の柱が残っていた。
そこには何やらマジックで落書きやら、数字が書き残されている。

ああ、たしか私たち孫が事務所に遊びに来た時に、祖父はよく私たちの身長を測って、柱にマジックペンで記録していた。
たまに、戸棚の上に置かれているマジックペンを背伸びして取って、落書きなんかもしたっけか…。

回想に耽っていると、祖父も柱に触れながらこう言った。

「これは、残すんなんねべや(残さないといけないでしょ)。」

少し懐かしい気持ちに浸りながら会社を見回す。
この辺りも随分様変わりしたな…。

しかし会社には今も昔から変わらず、同じ場所で鎮座している古めかしい置物が私の目に留まった。

会社を入ってすぐ左の棚にある高さ1m、幅60センチはあろう大きな木彫りの大黒天・恵比寿天である。

子供の頃は何とも思わなかったが、久々に会社を訪れると、その大きさに改めて驚いた。

これは中々の品物では…?

下品ながら、その値打ちはいかにという疑問だけが沸々と湧き上がってきた。

久方ぶりの会社でコーヒーを飲みながら一息ついていたものの、すでに会社は店じまいを始めていた。
祖母は先に家に帰っていたので、雪が降る真っ黒な窓の外の夜を眺めながら、一人会社に残る祖父に尋ねた。

「この木彫りのやつってどこで買った?」

祖父は会社の床を拭くモップの手を止め、頭をかきながら言った。

「むがーし、ジサマ(爺さん)が、たがって(持って)きただ。」

コーヒーを飲むのを止め、首をかしげる私に、祖父はモップを置いて向かい側に座りながら話し始めた。

その日もこんな雪が降っていた夜だった。

今では考えられないが、約40年前、まだこの田舎にあまり車が普及していなかった頃に祖父は祖母と二人三脚で小さな車屋を立ち上げた。

国鉄の運転士だった曽祖父には「列車関係の仕事に就職しろ、安定しているから」と勧められた。
しかし戦後の高度経済成長により、都会では車を持つことが当たり前になりつつあった世の中を見つめ、先を読んで「これからは車の時代」と考え事業を起こしたという。

しかし若い二人の思いもむなしく、業績は芳しくなかった。
それもそのはず、まだ当時のこの辺りでは車を持つ家はあったものの、一集落に1,2台、カラーテレビほどの貴重な存在だった。

必死に毎日売り込みを続けるものの成果は思うように出ない毎日が続く。
二人がそこまで必死になるのもそのはず、祖父母には既に幼い娘がいた。
私の母である。

娘を食べさせるために毎日一生懸命働くものの、小さな営業所の二階で家族三人寝泊まりする毎日であった。

半年、また半年と月日は流れ、初めての冬が来た。

福島の冬は長く、そして寒い。

営業所は土地を借りて立てていたため、土地の支払いと営業所のローンに追われる日々。

部屋の大きさに対して小さすぎるストーブの前で、毎日体を温めて布団に入る娘を見ると、祖父はなんともやるせない気持ちになった。

冬のある日、とうとう土地や営業所の支払いにも首が回らなくなり、今まで一日たりとも閉めたことのなかった店を初めて閉めてしまった。

朝から夕方、そして夜になるまでしんしんと雪が降り積もる窓の外を見つめながら、会社に一人籠った。

自分の何がいけなかったのだろう、事業を起こしたのは失敗だったのだろうか…。

今まで考えないようにしてきたマイナスの感情と初めて向き合うことになった。

夜7時を回ったころ、橙色の電球一つを付けてカーテンを閉めた営業所のドアをノックする音が聞こえた。

「今日はもう店やってねえがら、明日にしてけろや(明日にしてください)」

ドア前に立ち、やつれた声で言った。
しかしそんな祖父をしり目に、なおもノックは続く。

しびれを切らしドアを開けると、そこには腰が曲がった白髭の老人がたたずんでいた。

背中には大きな黒い風呂敷を背負い、頭には雪が山のように積もっていた。
そしてその震える手で、しっかりと自分の首元で結ばれた風呂敷を大事そうに握っていた。

その姿を見て哀れだと思った祖父は老人を会社の中に入れ、熱いお茶を出してあげた。
老人はそのごつごつした手で湯のみを握ると、一言も話さずに、煎れたてのお茶を一口で飲みほした。

「そんな一気に飲んだらやけどしっちまあべや(してしまうでしょ)、いまっとゆっくり飲ませ!(もっとゆっくり飲んでください)」

そんな声をかけたという。
しかし相も変わらず老人は無口で何も語ろうとせず、祖父の方をじっと見つめたままだ。
少し気味が悪くなった祖父は早めに帰ってもらおうと声をかけようとした。

その時、その老人が口を開いた。
小さく、低い、しかしなぜか頭に響くような声で一言。

旦那ァ、買って下せえ。

訛りや話し方で、この辺の人ではないなと思った。

しかしそんなことを考えてる間にもまた一言、

旦那ァ、買って下せえ」。

何を買うんだ…?と不思議に思ったが、老人が座った椅子の脇に、大事そうに置かれている大きな風呂敷の塊を見た。

「それは何入ってんだ?」

祖父が聞くと老人はおもむろに風呂敷をほどいた。
中から出てきたのは立派な大黒天と恵比寿天の木彫りだった。
まるで今さっき大木から削り出したような、真新しい白茶色だった。
新築の家のような、新鮮な木の香りまで漂ってくる。

しかし大きい。1mはあろう大作である。

老人はこの木彫りを指さし、またも言った。

「旦那ァ、買って下せえ」

正直、そんなもの買う余裕はない。
しかしなぜかその木彫りに祖父は不思議な魅力を感じた。
大黒天・恵比寿天のその眼付き、動きはまるで今にも動き出しそうなほどである。

「い、いくらだ?」

これだけの白物、相当高いだろう。そう踏んだ祖父は恐る恐る聞いた。

「ヘェ、10万で。」

10、10万?!

確かにこれだけ立派な木彫りなら10万は下らない。
しかしそんな金はない。ましてや当時の10万円は現在とは比べ物にならない大金である。
しかし、ふと金庫に残る金を思い出した。
ちょうど10万、本当にここぞという時に使うと残しておいた10万である。
老人はまた続ける。

「旦那ァ、買って下せえ。10万でェ。」

普段だったら、絶対買わないだろう。
しかし祖父は何か、不思議な縁をこの木彫りに感じたという。
またこの老人を助けたいとも思った。

この寒い雪の中、一人年老いた爺さんが重い木彫りを背負って手が震えるまで一軒一軒回ってきたのだろう。
ここで追い返せば、もしかしたら道端で死んでしまうかもしれない。

そう思ったときには金庫の10万円に手を伸ばしていた。
10万円きっちり老人の前で数えると、札束のままおもむろに手渡した。

今まで無表情だった老人が顔を上げるとにっこりと笑いながら、そのごつごつした手で手を握り

旦那ァ、ありがてえ。旦那ァ、ありがてえ。

と繰り返した。その笑顔を見ていると祖父もいつの間にか顔がほころんでいた。

ああ、こんな風に人前で笑ったのはいつぶりだろうか。

祖父の心にずしっと乗っかっていた重しのようなものが外れた気がした。
なんだかがんばれそうな気がしてきた。

前向きな気持ちになった祖父は会社の外まで老人を送り出した。
外は吹雪が止み、すっかりおとなしくなっていた。

暗闇の雪道をとぼとぼと歩き出した老人の背中を見送る。
老人が少し歩き出したその背を見ながら、会社の中に老人の黒い風呂敷が置きっぱなしである事に気づいた。

慌てて風呂敷をつかみ、再び外に出る。

「おぉい。」

ヨタヨタ歩きの爺さんに声をかけようとすると、暗闇の雪道に老人の姿はなかった。


わずか数秒ほどの出来事だった。

慌てて辺りを見回してみるが、老人の姿どころか足跡もない。
雪はもう降っていないのに。

手元には老人の残した黒い風呂敷だけが残されていた。

そこまで話すと祖父はおもむろに席を立ち、再びモップを片手に掃除を始めた。

そっから会社の業績があがりはじめでな、雪が解けて春になるころにはすっかりよぐなっただ。

先月はこのエリアで一番の売り上げをたたき出したという。
そういうと祖父は珍しく「カカッ」と声を上げて笑った。

「んだげども、あのジサマは神様だったか、仏様だったか、分かんね。いっつもおてんと様(お天道様)は見でっから、何事も一番。努力すんなんねだぞ(努力しなくちゃいけないぞ)。」

話がいつものお小言の流れになってきたので「先に車に乗ってっから」と伝え会社を後にする。
確かに不思議な話だと思ったが、私はわりと本当に神様だったのではないかとも思っている。

祖父はあまり不思議な話をしないといったが、毎朝会社に入ると決まって神棚に手を合わせ、一礼二拍手をしてから

「家内安全、商売繁盛」

を威勢よく唱える。
毎日お供えや榊の交換も欠かさない。

きっとその不思議な老人は、その一身に心動かされた神様だろう。

そんなことを思いながら車までの雪道を歩いていると、暗闇のどこかから老人が見ているような、そんな気がした。


(4,811文字)


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