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土着怪談 第九話「山の鳴き声」


はじめに


私が今まで調査してきたフィールドの多くは、山林に囲まれた集落、そして山奥にひっそりと佇む湖沼など、自然が生き生きと息づく場所であった。

そこで生活している人たちに話を聞くと、昔のみならず今も自分たちが住む集落を囲む山々や池に対し、尊敬と畏怖の念を持って接していると感じる。

私も現在は生活の主を都内で過ごし、日比谷などで平日働いていると、この栄華な築かれた文明社会の象徴であるビルの狭間に守られて、冷暖房の効いた部屋で目の前のPC画面を眺めて一日を過ごす事を当たり前のようにかまけてしまうことがしばしばあった。

そんな時、調査で出会った彼らの語ってくれる話を思い起こすたび、この発展した都市の中で暮らしているから、なんでもできるようになったと錯覚しているだけで、一度災害でも起きて全ての当たり前を失い、人1人の力だけで生き抜く事に直面したら、悲しいほど無力であろうことを強く痛感させられるだろうな、と思うのである。

常日頃、都市で生活しているからこそ、かつて自然が差し迫る環境で生き抜いて来た、また今を生き抜いている彼らから学ぶことも多い。

高校生まで自然豊かな土地で暮らし、現在は都心で生活している両方を知っている自身の経験からか、最近はそんな事を考えるようになってきた。

これを読んでいる読者の方々も、様々な環境で生活されてきたかと推察するが、自分の日常を見つめ直し、日常を支える技術の恩恵への感謝と、その技術が失われた時自分には何ができるのか、考えてみると、普段と見えている景色が少しだけ変わって面白いかもしれない。

特に上記のことを考えるきっかけとなった、調査で出会ったいくつか不思議な話の一つを、ご紹介しよう。

読み切り時間:5分少々

山の鳴き声

私の父方の祖父母が暮らす、とある町はラーメンと蔵の街として有名で、今も多くの観光客が多く訪れる。
古くは仙台藩会津藩を結ぶ街道の途中に位置しており、街並みも古くから整備されていた印象を受ける。
前話まで登場している祖父はじめ大叔父たちは、私の母方の親戚であり、母方の実家の方は今でも田畑が広がる農村である。

古くから商人の街として栄えてきた歴史があり、街としても幾分発展しているからか、母方の親戚筋に比べ、父方の親戚筋からはあまり不思議な話を聞くことはなかった。

その中で唯一、今思い返すと不思議だった話がある。

著者が中学生のとある夏、祖父母の実家に泊まりに行った時のこと。
いつものように、風呂に入りダラダラとテレビを見ながら、夕飯をつまむ。
父方の祖父母は夕飯を食べる時間が早く、その日も夕飯を食べているのは大体7時過ぎそこらだったと思う。
3人で食卓を囲みながら、テレビを見てああでもないこうでもないと話していた、その時だった。

テーブルの上に置かれていた醤油が小刻みに揺れ始める。

あ、と思うが早いか

ガタガタガタと、音を立ててガラス戸が揺れ始めた。

地震だ。

手元にあったリモコンを持って番組をNHKに変える。

しかし2分経っても3分経っても地震速報は流れない。
そればかりか、祖父母は全然平気な様子で夕飯を食べ続けている。
おかしい、震度3以上はあったはずだ。
少し前に東日本大震災の揺れを経験していたため、体感震度には自信があった。

結局、夕飯を食べ終わるまで地震速報は流れず、全く慌てる様子もない祖父母を見て、少し不気味に思った私は食器洗いをする祖母に聞いてみた。

「さっきのあれ、地震だべや?おっかなくねえのがよ?」

すると、祖母は食器洗いの手を止めて言った。

「違ぁ、あれは地震じゃねえよ。ただの山崩れだ。」

山崩れ…?ぽかんとする私を見て、祖母は続けた。

「〇〇山あっぺ?〇〇山の中で山崩れ起きてんだ。昔、噴火があった時に山ん中に空洞が出来たみてぇで、それがたまにガラガラ崩れてんだ。んだから、こっちまで揺れんだ。」

〇〇山とは、民謡に出てくるほど有名な山で、確かに明治年間に噴火が起こって一つの集落が湖底に沈んでしまうほどの被害を出した。

しかし、〇〇山からこの家までは車で30分程度、距離にして30kmはゆうにある。

「ほんとに〇〇山の山崩れがよ?こっからだいぶ離っちっぺした(離れてるでしょ)。なじょ(どうやって)して聞こえんだと。」

私が疑問そうに尋ねると、祖母は答えた。

「昔から聞こえてただ。今みたいに建物なくて、私ら子供んどきは、ゴーンだどか、ガラガラっていう山崩れの音もこっちまで聞こえてただ。今は大分もう聞かなくなったけどもなぁ。聞こえてくる方角は、〇〇山の方から聞こえんだ。」

そういうと祖母は再び止めていた食器洗いを再開した。

不思議に思った私は、ネットで一応地震速報を調べてみるが、やはり近隣で地震があった履歴は見られなかった。

後日談

ちなみに、すでに近隣にお住まいの方や勘の良い方はお気づきかもしれないが、〇〇山とは、会津磐梯山のことである。

この磐梯山はいくつもの不思議な逸話が残っているが、とりわけ目を引くのは「磐梯山の怪獣」である。
概要は下記の通りで、磐梯山に伝わる不気味でおかしな話である。

江戸時代の天明2年(1782)に、奥州会津での子供の神隠しが多発した。
この正体はどうやら磐梯山に棲みついた怪獣の仕業らしい。
ついに領主も対策に乗り出し、磐梯山で怪獣狩りを行った。
結果、背丈は1.5mほどのクチバシが長い毛むくじゃらの恐ろしい怪獣が捕獲された。

この様子が、瓦版として会津藩内で話題を呼び、現在にも「奥州会津怪獣之絵図」として記録が残されている。
(詳細を知りたい方はネットで検索していただくと恐らくすぐ出てくる。)

『博物館だより』89、福島県立博物館、2頁より 転載


真偽のほどは定かではないが、大学時代たまたま調べ物をしていてこの怪獣の絵図に出会った。

今中学生の頃の記憶を思い出しがてら書いていると、大学時代の調べ物の時の記憶も蘇り、なぜか私の中で二つの事象がリンクした。

昔から磐梯山では不思議な出来事が多発していたのかもしれないな、と思い、次に帰省したときには、また磐梯山についてのあれこれを祖父母に聞いてみようと思った。

(2,529文字)                         

土着怪談 掲載中作品

※いずれも一話完結。


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