土着怪談 第十二話「戦争の怨恨」
はじめに
読み切り時間:10分少々
今から約150年前、日本各地では内戦が勃発したのはご存じだろうか。
当時、江戸幕府が大政奉還をして、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府が設立され、王政復古の大号令を行い時代は大きく変わる事となった。
明治維新である。
私は郷土史家である以上、この問題に関しては簡単に説明できるほど単純であるとは考えていない。
ここではなるべく私見を控えようと思うが、ざっくりと概要だけお伝えしよう。
150年前、鳥羽伏見や薩摩など各地で勃発していた内戦だが、東北に深い関係がある戦いといえば、やはり戊辰戦争であろう。
とかく最近でも綾瀬はるかによる大河ドラマ「八重の桜」は記憶に新しい。
白虎隊や新選組など、戊辰戦争に関わるキーワードをお聞きした事がある方も多いのではないだろうか。
福島県の会津地方では、今でも山口県・鹿児島県に対する怨恨の思いが払拭されたわけではない。
2007年に山口県出身の故安倍晋三元首相が選挙演説の際、会津若松市を訪れた際に「先輩たちの非礼をお詫びしなければならない」と発言したことや、2011年の東日本大震災時に会津若松市が山口県萩市から義援金や救援物資の寄付を受け、市長が萩市訪問を行った際も「お礼の意味での訪問であり、和解や仲直りという意味合いではない」と発言したことが反響を呼んだ。
※ちなみに昭和61年時点(戊辰120年)時点で、萩市は会津若松市に対し、3度目の友好都市を申し入れるも、全て断られている。
一方、近年の研究では、会津若松市民から新政府軍に対して一番の反感を買う行為であったとされる「会津藩士の死体の埋葬を禁止し、野ざらしにさせた」という定説を覆す新史料の発表を、会津若松市史研究会の野口信一副会長(当時)が、自身の著作 2017「会津戊辰戦死者埋葬の虚と実」(歴史春秋社) で明らかにしたことが話題を呼んだ。
かくも150年を経て未だに続く両者のわだかまりであるが、重要なのは史実に基づく適切な歴史の普及であると筆者は考えている。
小説やドラマ、映画などで描かれる世界が必ずしも正しいとは限らないが、やはりそこに住まう人々からすれば、どうしても映像や分かりやすいストーリーによる情報によって判断されやすい。
その点でいえば、上記の野口氏による両者のわだかまりの要因ともなった定説を覆す新史料の発掘と公表の功績は大きい。
歴史の教科書で見れば、1Pにも満たない戊辰戦争であるが、ひとたび現地に赴けば、今もまだそこに住まう人々の思いが交錯し、あらゆる場面で見え隠れしている。
今回は、そんな戊辰戦争にまつわる不思議な話を、ご紹介しよう。
戦争の怨恨
市内から車で1時間、私の地元である〇〇町の山中にある山神社で現地調査を行っていた時の話だ。
ちなみに同行したのは、土着怪談 第五話「猿の手」でお馴染みの、平吉爺さんである。
最近、この辺は隣町とのトンネルが開通し、幾分交通の利便性が上がった。
トンネルから続く道幅の広い国道から、途中で右折し、山道に入ってから車で20分ほど。
何ら変わりない雑木林の途中に車を止め、山の傾斜面に向かって平吉爺さんが歩き出した。
後に続いて傾斜面を登り始める。
登り始めて10分程度、本当にこんなところに山神社があるのかと疑問に思っていると、平吉爺さんが
「ほれ、着いたべ。」
と私に向かって声をかけた。
すでに汗だくの顔を上げると、そこには廃村と思わしき集落と、その入り口に佇む今にも崩れ落ちそうな、木製のお粗末な鳥居が掲げられていた。
まるでホラーゲーム「SIREN」に出て来そうな廃村の雰囲気があり、圧倒される。
ここに集落がかつてあって、人々が生活していたのか…。
廃村の集落は戦後すぐに人が絶え、今は茅葺き屋根の家が4、5軒残るのみである。
神社の苔むした階段を一歩ずつ歩くたびに、集落の歴史を感じることができる。
階段を登る途中、かつて信仰されていたであろう道祖神や石像の数々を見た。
「首もがっちる(取られてる)やつもあっぺや。それは、博打うちが昔は持ってっただ。」
平吉爺さんが階段脇に転がる首のない石像を指して言った。
昔、博打や賭け事をする際は、縁担ぎで石像の首をもいで、それを願掛けとして賭博場まで持ち込む事があったらしい。
現代の人々の感覚では、罰当たりと感じるが、昔の人からすれば割と当たり前にあったという。
階段を登り切った先にはトタン屋根の社屋があった。
鳥居に比べてこの社屋は幾分手入れされているようであった。
平吉爺さんの話では、この廃村出身の方1名が、時たまここへ来て掃除や手入れを行っているという。
しかしその世代ももはや75歳を過ぎ、年々ここへ来るのが難しくなっている。
おそらくこの方がこの廃村出身最後の世代であろう。
社屋をぐるりと一周すると、社屋の裏には2軒ほど朽ちた茅葺き屋根と土壁の廃屋が並んでいた。
その脇には、おそらく2.3軒家が続いていたことを思わせる石垣でできた土台が残されていた。
朽ちた家屋をまじまじと見つめる私を横目に、平吉爺さんはあたりの雑木林をなにか探すようにウロウロと歩き回っている。
「平吉爺、何探してんだよ?」
私が問うと、平吉爺さんは
「昔、ここさ銃弾埋まってただよな。どこさか、行っちまったべか(どこへ行ってしまったんだろうか)」
銃弾…?
なんとも物騒な単語を耳にした私を見て、平吉爺さんは、この集落出身の人から聞いた話をしてくれた。
明治以降に造られたこの集落にはおかしな規律があった。
デレスケボッホウが鳴いたら、家から出るな。
デレスケボッホウとは、この辺の方言でフクロウのことである。
フクロウは夜行性であるため夜が更けてから鳴き始める。
つまり、フクロウが鳴く夜は、家から出るなということである。
平吉爺さんの中学校の同級生で、この集落出身の茂朗(しげろう)さんは、父から強く言い聞かされたという。
中学生になったある夜、別の集落でお祭りがあった茂朗さんは家に帰るのがおそくなってしまった。
祭り会場だった下の集落の神社を出たのが8時、自分の集落の近くまで着いたのは8時半を回っていた。
集落の入り口にある鳥居をくぐり、足早に階段を駆け上がる。
集落とはいえ、5軒程度しかないので辺りは雑木林に囲まれ真っ暗であった。
少し不気味だと思いながら急足で家路に着く。
すると、暗闇のどこかで細々と何かの音が聞こえる。
ホーッ、ホーッ、ホーッ、
茂朗さんはサァーッと血の気が引いた。
デレスケボッホウだ…。
足に力を込め、石段を全速力で駆け抜けようとしたその時だった。
ワァァァァァァア!!!
けたたましい大勢の叫び声と共に、大量の足音が暗闇の森の中にこだまする。
叫び声の中には、聞いたこともないような言葉も混じり、頭の中に直接響いてくるような感覚に陥る。
茂朗さんは恐ろしくなり、耳を塞いで全速力で石段を駆け上がった。
パンッ、パンパンッ、
耳を塞いでいるはずなのに、暗闇のあちこちから大量の銃声が聞こえてくる。
中には、叫び声と共に刃物のぶつかりあう金属音や悲鳴まで混じっていた。
ようやく、石段を上り切り、切らした息を整えようと顔を上げた瞬間だった。
赤い髪の毛を逆立てて、黒い軍服を来た男が目尻を釣り上がらせて、銀色に光る日本刀を頭上に掲げていた。
あっ、と思うが早いか、高く掲げられた日本刀は茂朗さんの頭上に振り落とされた。
視界がぐるりと一回転し、目の前が真っ暗になった。
ひどい頭痛で目が覚め、気づくと夜明けの鳥居の前でひっくり返っていた。
石段の上から1番下までひっくり返ったようだ。
大きなタンコブを抑えながら急いで家に向かうと、鬼のような形相で両親が待ち構えていた。
両親にはこっぴどく叱られたが、あの日の晩、帰ってこない茂朗さんを心配して、両親祖父母は集落の下まで探し回ったという。
ただ全然見つからないので、一旦家で帰りを待つことにしようとしたところ、デレスケボッホウが鳴いてしまったため、出るに出れなくなってしまったという。
茂朗さんから聞いた話を一通り話した平吉爺さんは、また辺りをウロウロと歩き始めた。
「銃弾ってまさか…。」
私が恐る恐る平吉爺さんに聞くと
「戊辰の時の、銃弾がこの辺の木さ打ち込まっち(打ち込まれて)あっただよな。昔は。どごさかいっちまったべか(いってしまったのだろう)。」
強風に揺られ、木々が擦れ合いサワサワと動き出した。
結局銃弾も見つからなかったため、その日はそそくさとその場を後にした。
あとで調べてみるとこの集落は、幕末の戊辰戦争時、栃木方面から白河の関を抜けた新政府軍と、迎え討つ旧幕府軍の激戦地となったらしい。
当時は、旧街道の小さな宿場町であったため、新政府軍によって5軒ほどの民家はすべて焼き払われたという。
一方、旧幕府軍は集落よりさらに山の頂の方から降りていって新政府軍と戦った。
おそらく先に潜んでいた旧幕府軍が土地の利を生かしてゲリラ戦に持ち込もうとしたのだろう。
しかし多勢に無勢、旧幕府軍の抵抗も虚しくこの山での激戦も新政府軍の圧勝を収めて、会津藩領地へ新政府軍が押し入りることとなる。
時は過ぎて、明治後期に再び集落は再建されたという。
その日、茂朗さんが見たのはあの山が見た記憶だったのだろうか。
それとも幕末に儚く散っていった、無念の亡霊たちが今もなお戦いを続けているのだろうか。
そして気になることがもう一つ、デレスケボッホウである。
集落に伝わる、「デレスケボッホウの鳴き声」は、戦闘開始の法螺貝の音だったのではないだろうか…。
デレスケボッホウ、つまり法螺貝がなると、いないはずの新政府軍と旧幕府軍が夜の森で戦いを繰り広げる。
かつて集落に住み始めた人々は、当然法螺貝の存在を知らず、森に似ている声のデレスケボッホウとして当てはめたのではなかろうか。
ついに集落として終わりを迎えた今では、誰も知る由はない。
(4,000文字)
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