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消雲堂自分史 阿武隈川

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駄目な人間の私が、どうやって生きてきたのかを再確認するマガジンです。自分のためのものですが、興味のある方はどうぞご覧下さい。
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2020年7月の記事一覧

平和荘綺談

平和荘綺談

*写真は、昔、撮影したモデルさん

僕は、高校を最低の成績で卒業すると、群馬県の伊勢崎市にあるJ大学に入学した。僕は生まれつき“興味のあることしかできない”性格で、学校の勉強が嫌いで、学友たちと交流することも苦手だった。これは現在でも同じで、アスペルガー症候群ではないか? と思うことがある。

高校は父親の縁故を頼った裏口入学のようなもので、3年の間、落第することもなく1976年に卒業した。大学も

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釣魚大全「山中湖のブラックバス」

釣魚大全「山中湖のブラックバス」

「おお、ナベちゃん、バスじゃん!」
背後から音量調整のできない頭の悪そうな声が聞こえた。岩井夫婦だった。

「何だ、お前ら、キャンプ場に行ったんじゃねぇのか」
「美紀ちゃんが、ナベちゃんをひとりにしたら可哀想だって言うから戻ってきたんだよ」
「ナベちゃん、可哀想じゃん…あ、凄いね、魚釣ったじゃん。針外してあげなよ、可哀想だから」
「オレとブラックバスはどっちが可哀想なんだよ…」
「へへへへ」

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釣魚大全「山中湖のブラックバス」

釣魚大全「山中湖のブラックバス」

*写真は僕が集めたルアーの一部

30年前…僕は山中湖畔の駐車場にいた。

スピニングリールを着けた2ピースロッド(釣り竿)を、当時の愛車ハイラックスWキャブの後席から取り出すと、ラインの先に結んだ小ぶりなスプーンルアーを外して、可塑剤で柔らかくしたソフト樹脂性の黒いワームに結び替えた。ワームはあらかじめ4センチほどの専用釣り針に差し込んである。それをラインの先にクリンチノットで結びつけた。

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「死に逝く者…母の場合」2014年11月~2015年1月の日記

「死に逝く者…母の場合」2014年11月~2015年1月の日記

2014年

11月13日に東林間東芝病院の医師に母の肺に癌があるようで、しかも末期癌であり、年齢からして余命僅かであろうことが伝えられた。その後、大和市立病院を紹介されて診察を受けるが、医師が気に入らず、国立相模原病院で診察を受ける。この翌日に咳が酷く、救急車で相模原病院に入院。

「2014年11月13日 東林間 東芝病院にて…」

「お母さんのレントゲン写真を見て、水が溜まっていたので、もし

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死に逝く者 母の場合「冬の命日1」

死に逝く者 母の場合「冬の命日1」

 雲ひとつない空は、澄んだ水をたたえる湖のように僕の頭上に拡がっている。母が死んだ哀しみにこの晴れた空は違和感がある。僕たち家族の哀しみを無視して母の死を天が祝福しているかのようだからだ。そういえば、15年前に父が死んだ時も 同じように晴れていた。
 おまけにワザとらしいお涙頂戴ドラマでも小さな子供のようにすぐに反応して泣きじゃくる僕が、愛する母親が死んでも一滴の涙も出てこないのだ。哀しいのだ、哀

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東京万景 「鷹美術アトリエ村」

東京万景 「鷹美術アトリエ村」

目黒駅から目黒通りを白金方向に歩き、自然教育園前の交差点を渡ると、すぐに狭い路地があります。その路地を右折して、しばらく歩くと、小さな魚屋さんがあります(残念ですが、今は閉店しています)。その魚屋さんの脇に狭い坂道があって、ここを100メートルほど下って行くと、左側の路地の袋小路に僕がデッサンを勉強しに通った鷹美術アトリエ村がありました。

▲この坂を下ったところに鷹美術アトリエ村がありました。中

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