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東京万景 「鷹美術アトリエ村」

目黒駅から目黒通りを白金方向に歩き、自然教育園前の交差点を渡ると、すぐに狭い路地があります。その路地を右折して、しばらく歩くと、小さな魚屋さんがあります(残念ですが、今は閉店しています)。その魚屋さんの脇に狭い坂道があって、ここを100メートルほど下って行くと、左側の路地の袋小路に僕がデッサンを勉強しに通った鷹美術アトリエ村がありました。

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▲この坂を下ったところに鷹美術アトリエ村がありました。中央のシャッターが降りている建物は魚屋さんでした。

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▲写真のクリーム色の家の位置に鷹美術アトリエ村がありました。僕たちはこの前でウダウダと芸術について語り合っていました。

ここにはたくさんの絵描きや版画家や彫刻家たちが、日々、入れ替わりで、施設に設置してある大きなイーゼルやエッチング銅版の腐食機に印刷機、さらにリトグラフの印刷機などを使って絵を描いたり、エッチングやリトグラフを刷ったり、彫刻を制作したりしていました。

僕は、絵を勉強するために通っていましたが、描いても描いても少しも上手にならないので、絵を描くことに飽きてしまいました。そのうちに絵を描くことをやめて、彼らと話をすることが鷹美に通う理由になっていました。彼らは、みな仕事をしながら絵や彫刻や版画を制作している苦労人でしたから、話が面白く、僕のつまらない悩みがあるときには相談にも乗ってくれました。

鷹美には僕が21歳から23歳まで通いました。そんな年齢になっていても、きちんと働いたことがない幼児のような僕は、苦労しながら芸術家として精進し続ける彼らの生真面目な姿が神々しく仙人のように見えていました。

当時の写真がこれです。僕は撮影者なので写っておりません。絵を描きに行って写真を撮るというのは不思議ですが、カメラを向けると、みな、喜んで写真を撮らせてくれました。

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