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#欲
悪魔とは契約しないで済みそうです。(笑)
「そんなにそれが欲しいなら、 お前が今持っているものの中で命以外の一番大切なものと引き換えでなら、くれてやってもいいぜ。」
と、提案されたら。
……まあまず断ろうと思うので、 私の人生、 そこそこ精神的には事足りているようではあります。(笑)
以下は、少々長い余談だけど。
先日、軽度だが認知症を患っている方とやりとりすることがあり。
「記憶内容」は勿論、「自分で自分を」「現在という時間を」
精神の「金満主義」に陥ってないか
働く意味とか、
行動する目的とか、
「全てがお金基準・お金中心」
っつーのは、
どうも抵抗があるし。
確かにお金は大変便利なもので、
「ほとんど何でも」
買えてしまったりするのは
事実かもしれないけど、
でも、それで
「何でも買ってしまえ!」
って思考回路になるのにも
また抵抗がある。
(「お金で買っちゃいけない」
あるいは
「そんな高いお金出して
買うべきじゃない」
そんなものもある、というこ
「純然たる楽しみ」を取り戻せるなら
欲を満たす行為は、概して(大雑把に表すと)楽しいものである。
が、必ずしもそれがなくとも、つまり、欲を満たすことを介さずとも、「楽しい」は、生じ得るはずでもまたある。
そろそろ、食欲だの色欲だの物欲だの金銭欲だの自己顕示欲だのと無縁なところにある、そんな「楽しい」を、取り戻したい気が、(ごくごく個人的に)最近している。
(私は人として相当不器用なほうなので、結局は欲が絡んでくると、精神的にそれ
「本当に大切なこと」から、何なら「それだけ」を。
「本当に大切なことから順に、
――いや、何ならそれだけを
大切にすればいい。」
と、そう決めてしまえば、
何だかラクだと思った。
だって、
「本当に大切なこと」って、
自分の場合は
そんなにたくさんないし、
そうなるとほとんどのことは
まあ(言い方は悪いけど、笑)
テキトーでよくなるし。
――ああ、楽。
もう、どんどん楽になろう。(笑)
で、
せっかくなので、
そのたっぷり目の「余
「直観」は何故失われたか
最後に笑えるように。
……なんて言い方もあるけれど。
最後だけ笑ってたって仕様がない!
自分は、
今を笑いながら
生きていきますのでっ!!
(宣言。笑)
子どもの頃には確かに持っていた
「直観」みたいなものを、
大人になるにつれ育った(育てた)
欲目が、
邪魔しているような気が、
最近するんだよなあ。
――頭だけで考えること、
言うなれば「計算」が多くなると、
勘って、
やっぱ鈍くなるよ
「欲」とは「生命力」のことだ
「欲(それは良いものも悪いものも含めて)とは、即ち生命力のことだ」というのは、私の「自論であり極論」であるが。(いつもの。笑)
生命体としての一番初めの欲――「自分の生命を維持する欲」が何不自由なく満たされるようになれば、その次の欲へ、で、今度はそれが満たされるようになれば、更にまた次の欲へ、……と、「欲に際限がない」のは、当然と言えば当然のことなのだ。
言うなればそれは生命体として元気な証だ
欲望のクリスマスツリー、輝かしていこう?(笑)
と、上記を昨日の記事の最後に、後で書き足したのだが、――多分、タイミング的にこの部分を書き足す前に、記事を読んだ方も多くいるかもしれないから、改めて。
(と、いうわけで、昨日の記事の続きとして。)
「欲」は、明るく楽しく、持っていこ?
――欲望のクリスマスツリー、飾っていこ?
――野望のイルミネーション、輝かしていこ?
(何言ってんの??笑)
いや、でもこの寒い季節の、そのうえ長い夜の、その
「欲」と「不満」はセットになりがち
「欲」は元気の証なので、
悪いものではないというのが、
私の自論である。
しかし、
持った欲が全て叶えられることもない、
ということもある。
(一つ叶えば次が出てくる、
それこそが
「元気の証」の「欲」なわけだから。)
――で、あるならば。
「欲と不満はセットになりがちなもの」
と、予め踏まえておいたほうが
いいのかもしれない、なんてことも思うのだ。
そもそも。
求めなければ、不満は出な
「お客さまは神様」って客のほうが言い出すおかしさ
自分のことを「私は神様です」って言い出した時点で、若干、頭がおかしいわけである。
あと、自分の立ち位置に「様」つけて呼ぶのも、どうかしているとしかいいようがない。
「客として金を払う」と「約束したサービスを提供する」というのは、単なる「そういう契約を結んだ対等な関係」でしかないのだから、どちらが上も下もないのである。
習俗的に下手に相手が出るからって、それで何を勘違いしてしまうのだか、どうも