見出し画像

「欲」と「不満」はセットになりがち

「欲」は元気の証なので、
悪いものではないというのが、
私の自論である。

しかし、
持った欲が全て叶えられることもない、
ということもある。
(一つ叶えば次が出てくる、
それこそが
「元気の証」の「欲」なわけだから。)

――で、あるならば。

「欲と不満はセットになりがちなもの」
と、予め踏まえておいたほうが
いいのかもしれない、なんてことも思うのだ。


そもそも。

求めなければ、不満は出ない。
「もっと」と求めるから、
不満は出るわけだ。

しかし、
「何も求めない」人生も
(精神的に「その域」に達することには
憧れはあったりするけれど、)
それはそれで、少々、
「元気がない」気もまたするわけで。

と、なると。

「求める」けれど
「不満」は出ない、と、
そうするには、
どのように心の状態を
置いておけばいいのだろう?と。
(だって「不満」って、
ツラいじゃないですか?
――「あまりにも強すぎる不満」は、
地獄の入り口だとも思うしね。笑)


「執着しない欲」とか?
――「この欲を持っていると
何だか不快になってくるな」
と、思ったら、
しがみつかずに、
躊躇なくパッと手離せる、
で、さっさと次へ行く、
そんな心持ちでいるとか?

あるいは
「風のように」、
ゴオッと吹くけど、
いずれ止む、向きが変わる、みたいな、
そんな「欲」とか?


「欲」について、
「強い」のはいいとして、
「重い」には
なるべくならないようにしたいところだ。



やっぱキーワードは
「上機嫌」かなあ?

「上機嫌・至上主義」。
――自分の機嫌を損ねるものは、
「欲」だろうとなんだろうと、
頭の中から即排除、みたいな、
そんなフットワークならぬ、
「気分」ワークの軽さで
生きていけたらいいよなあ、
なんてことを思う。