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日々の思考と記録

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毒にも薬にもならないけれど、身体に染み込むように、思ったこと、考えたことを自分の言葉で書きます。拙くたって、伝わらなくたって、真摯に書く。
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2019年9月の記事一覧

運の良さの素

運の良さの素

 僕は自分が運が良い人間だと思っている。

「もうダメかも……」と思った時に、必ずと言っていいほど喜ばしいことが起こる。救いの手が差し伸べられることもあれば、めげそうな時に努力が報われるような結果が出る時がある。

 だから、ギリギリな状態になっても持ちこたえられる。

 ただ、運の良さってなにもないところには訪れないんじゃないだろうか。
 ボーッとしているだけでなにか幸運が起こることはない。少な

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せめて不機嫌でいることを受け入れたい

せめて不機嫌でいることを受け入れたい

 その人らしくある。
 ありのままでいる。

 そういう言葉をしばしば見聞きする。それがどういう状態を言うのか、僕は正直なところわかっていない。わかっていないけれど、僕も使っている場合がある。

 ただ、少なくとも自分の現在の状態と真逆なことをするのではないと思うのだ。

 たとえば、しんどいのに笑顔を浮かべて「大丈夫」と言う。
 やりたいと思っているのに我慢してしまう。

 体調が悪い時は体調が

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現状はネガティブではない

現状はネガティブではない

 課題とはそこにあるものだ。

 洗濯物が溜まっていたら目につくし、ゴミがあれば視界に入る。けれど、その課題が悪いかと言われたら、別に悪いことはない。一人暮らしだったら毎日洗濯をするよりも経済的かもしれないし、ゴミがイヤだったら一日中掃除し続けなければならない。

 ただ、実際のところ「課題がある現状」はネガティブに捉えられがちだ。

 それは「完全な状態ではない=過不足がある」ことに意識が向いて

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本当に楽なのは

本当に楽なのは

 やると決めたことができる日々が1週間以上続いている。

 なぜかはよくわからない。でも、決めてやりきることが実は一番自分にとって楽だと実感したのかもしれない。「気づく」ではなく「実感」だ。

 たとえば、最近毎日走りに行っているのだけど、行く前はだいたい面倒くさい気持ちが出てくる。けれど、走り出してしまえばそんなことは気にならない。一方で、面倒さが優って行かなかった場合、「あの時行っておけば」と

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正しさを論じない

正しさを論じない

 僕達は日々なにかを感じていて、言葉でそれを表現しようとする。そして、時に他者と対話するのだけど、意見の正しさを主張し始めると、なんだかおかしくなってしまうのかもしれない。

 僕はらくだメソッドという算数・数学のプリントをやっている。今やっているプリントの中で何度やっても間違えてしまう問題があった。
 解答を見た上で、「どうしてもこれはおかしい!」と思ってしまう。自分の答えこそが正しくて、模範解

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共感しなくても行動していいじゃないか

 だれかの想いに共感して、行動するということがあまりない。

 魅力的なでっかい夢とビジョンを掲げて、人を引っ張っていく人がいて、「すごいな」と思う一方で、僕はそこについていかない。きっと、その人は大衆を味方につけるだろうから、僕はわざわざ行く必要はないと思うからだ。

 だから、クラウドファンディングというものの接し方を未だに戸惑っている。

 想いに共感してお金を出す感覚がよくわからない。
 

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無の思いやり

無の思いやり

 だれかのためになにかをしてあげたい。

 その思いやりは尊いものではあるけれど、時にその思いやりが相手にとって邪魔になる場合もあることを忘れてはいけない。

 手を差し伸べるなら最後まで面倒をみろ、という話ではない。手を出すこと自体が害になることもあるのだ。

 せっかく自分の力で立とうとしている人に対して、求められていないのに支えるのは違うのだ。つまり、それは自分が見てられないから手を出すだけ

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作り置き

作り置き

 時間があったので、作り置きの料理を何品か作った。

 きちんと料理ができる時は自分に余裕がある時だ。時間がなくても料理はするけれど、雑になったりインスタントのもので済ませてしまう。味はよくても、なんだか物足りなさを覚えてしまう。

 明日や明後日まで、これを食べよう、あれを残しておこうと献立を考えられると食べていなくても満たされた気分になる。

 自分の食べたいものが自分で作れるってのは本当に幸

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不完全な正常

不完全な正常

 完全な状態っておそらくないんだと思う。

 心身共に充実していて、環境も最高、なにも欠けることのないことを万全というならば、そんなことがこれまでの人生でどれだけあっただろう?

 緊張していたり、僅かに疲れが残っていたり、天候に恵まれなかったり、そういう足りなさはどこでもついてまわる。だから、あらゆる不調を潰そうとする発想は焦燥感を生む。

 不完全であることが正常なんだ。だから、人は変化をする

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だれが、だれを苦しめているか

だれが、だれを苦しめているか

 周りの人を恨んで、苦しいのは自分だ。
 自己嫌悪をして、落ち込むのは自分だ。

 SNSで飾り立てて、現実とのギャップに息苦しくなるのは自分だ。
 他人に笑顔を振りまいて、消耗していくのは自分だ。

 生きていくためにしているはずのことが、自分の首を絞めていないだろうか?
 今の自分を保つために、四苦八苦しながらもがいていないか?

 それだけ苦しんでまで守りたいほど、今の自分は大切だろうか?

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視界の先を見透かす

視界の先を見透かす

 今日、人生初ドローンを操作した。
 本当に短い時間だったけど、とっても楽しかった。

 そして、驚いた。カメラ付きのドローンは画質がよく、そのままyoutubeにあげられるくらいの高画質で、写真も録画もできる。面倒な機器もなく、スマホやタブレットのアプリをダウンロードすればそれだけで動かせる。

 しかも、そんなものが1万円ちょっとで買える。

 僕の知らない間にものすごいスピードで技術は発展し

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飛び込んで伴走する

飛び込んで伴走する

 人に伴走する。

 そんな言葉が2年くらい前から僕の中核に近い部分にある。さながらマラソンのペースメーカーのように、途中まで走り、あるところまでいったら、ひっそり離脱する。

 走っている人は自分のことに集中できる。

 最近1つ気づいたことがあって、その伴走は中継車や自転車に乗っていたらダメなのだ。つまり、スポーツにおける監督やコーチのように、安全地帯からあれこれ言うことがしたいんじゃない。

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約束をへらす

 今日はヘマをして、ちょっとへこんでいる。ただ、自分の言動が原因なのに、自分が傷ついているという事実におかしさを感じた。

 なぜかを考えてみたら、自分との約束事が守れなかったからだと思った。

 たとえば、「意識上は相手をコントロールしようとしない」ということを僕は決めているのだけど、この約束を守るのは難易度が高くて、僕はしばしば破ってしまう。その時、相手を誘導したことよりも、自分が決めたことを

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近況

近況

 ここ2週間くらいよく身体を動かしている。

 ヨガをやっているので、毎日身体を動かしてはいるのだけど、それに加えてここ2週間くらい毎日走りに行っている。
 別に特別な理由があったわけではないけれど、なんとなく衝動に突き動かされるように走っている。

 とはいえ、速く走るというよりも自分の身体の使い方を確かめるようにじっくり走る。左右均等に使えているか、余分な力は入っていないか、そういうことを点検

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