共感しなくても行動していいじゃないか
だれかの想いに共感して、行動するということがあまりない。
魅力的なでっかい夢とビジョンを掲げて、人を引っ張っていく人がいて、「すごいな」と思う一方で、僕はそこについていかない。きっと、その人は大衆を味方につけるだろうから、僕はわざわざ行く必要はないと思うからだ。
だから、クラウドファンディングというものの接し方を未だに戸惑っている。
想いに共感してお金を出す感覚がよくわからない。
3回くらい支援をしたことがあるのだけど、どれもその内容に特別共感を覚えて支援をしたわけではなかった。それはたとえば、近しい人に依頼をされたから支援したり、あと少しで目標金額を達成しそうだったりしたからだ。
特典が欲しかったわけでもないし、それほど共感を覚えたからでもない。高尚な人間ではないので、見返りが欲しいか欲しくないかでいえば欲しいのだけど。
ただ、共感してるわけじゃないんだけど、お金出すって人がいてもいいんじゃないかって思っている。
共感ベースで何事も進んでしまうことは、ベタベタしすぎていて、僕にはしんどい。もしかしたら、僕はそういう自分の存在を肯定するためにお金を出しているのかもしれない。
久々にクラウドファンディングに支援をして、ふとそんなことを思った。
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