マガジンのカバー画像

ジャパンウォーズ(JW)第一部 神武東征〜欠史八代

261
ジャパンのウォーズについて、改めて書いて参ります。いろいろ新しい情報が入ったので、書き直そうと思ったわけです。写真も載せて参ります。
運営しているクリエイター

2022年6月の記事一覧

JW160 讃岐上陸

JW160 讃岐上陸

【孝霊天皇編】エピソード15 讃岐上陸

孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

一人の皇女(ひめみこ)が使命を帯びて旅立った。

皇女の名は、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)(以下、モモ)。

伝承では、生母の倭国香媛(やまとのくにかひめ)(以下、国香)も共に旅立っている。

しかし、この物語では、旅の仲間が更に加わっているのであった。

まず一人目は、モモの弟、彦五十狭芹彦(ひこいさせ

もっとみる
JW161 雨降って稲作

JW161 雨降って稲作

【孝霊天皇編】エピソード16 雨降って稲作

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

一人の皇女(ひめみこ)が讃岐(さぬき:現在の香川県)を救うため旅立った。

皇女の名は、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)(以下、モモ)。

伝承では、生母の倭国香媛(やまとのくにかひめ)(以下、国香)も共に旅立っている。

しかし、この物語では、旅の仲間が追加されたのであった。

一人目は、モ

もっとみる
JW162 鯰が翔んだ日

JW162 鯰が翔んだ日

【孝霊天皇編】エピソード17 鯰が翔んだ日

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)(以下、モモ)は、讃岐(さぬき:現在の香川県)に滞在していた。

讃岐を実り豊かな地に変えるためである。

伝承では、生母の倭国香媛(やまとのくにかひめ)(以下、国香)も赴いているが、この物語では、モモの兄弟姉妹も同伴しているのであった。

すなわち、モモの弟、

もっとみる
JW163 西へ

JW163 西へ

【孝霊天皇編】エピソード18 西へ

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)(以下、モモ)は、讃岐(さぬき:現在の香川県)に滞在していた。

讃岐を実り豊かな地に変えるためである。

伝承では、生母の倭国香媛(やまとのくにかひめ)(以下、国香)も赴いているが、この物語では、モモの兄弟姉妹も同伴しているのであった。

すなわち、モモの弟、彦五十狭

もっとみる
JW164 池を求めて

JW164 池を求めて

【孝霊天皇編】エピソード19 池を求めて

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)(以下、モモ)は、讃岐(さぬき:現在の香川県)の開墾政策を押し進めていた。

生母の倭国香媛(やまとのくにかひめ)(以下、国香)も赴いているが、この物語では、モモの兄弟姉妹も同伴している。

モモの弟、彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)(以下、芹彦(せりひこ))。

もっとみる
JW165 熱から出た伝承

JW165 熱から出た伝承

【孝霊天皇編】エピソード20 熱から出た伝承

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)(以下、モモ)は、讃岐(さぬき:現在の香川県)の開墾政策を推し進めていた。

生母の倭国香媛(やまとのくにかひめ)(以下、国香)も赴いているが、この物語では、モモの兄弟姉妹も同伴している。

モモの弟、彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)(以下、芹彦(せりひこ))

もっとみる
JW166 衝撃は突然に

JW166 衝撃は突然に

【孝霊天皇編】エピソード21 衝撃は突然に

讃岐(さぬき:現在の香川県)の伝承紹介を終え、ヤマトに帰還する、彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)(以下、芹彦(せりひこ))と稚武彦(わかたけひこ)(以下、タケ)。

倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)(以下、モモ)は、淋しさを堪(こら)えるのであった。

そんなとき、倭迹迹稚屋姫(やまとととわかやひめ)(以下、ワカヤ)が衝撃発言を繰り出した。

もっとみる
JW167 消えた神社

JW167 消えた神社

【孝霊天皇編】エピソード22 消えた神社

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)(以下、笹福(ささふく))の御世。

讃岐(さぬき:現在の香川県)の伝承紹介を終え、彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)(以下、芹彦(せりひこ))と稚武彦(わかたけひこ)(以下、タケ)は、ヤマトに帰還したのであった。

タケ「・・・ということで、ここはどこじゃ?」

芹彦「吉備(きび)じゃ!」

タケ「吉備と言えば、二

もっとみる
JW168 日嗣皇子と呼ばれて

JW168 日嗣皇子と呼ばれて

【孝霊天皇編】エピソード23 日嗣皇子と呼ばれて

紀元前255年、皇紀406年(孝霊天皇36)1月1日、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

ここは黒田廬戸宮(くろだの・いおど・のみや)。

第七代天皇、孝霊天皇こと、大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとに・のみこと)(以下、笹福(ささふく))は上機嫌であった。

この日、立太子がおこなわれたのである。

皇太子となったのは・・・。

もっとみる
JW169 集会に行こう

JW169 集会に行こう

【孝霊天皇編】エピソード24 集会に行こう

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

すなわち、紀元前255年、皇紀406年(孝霊天皇36)1月1日、大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくる・のみこと)(以下、ニクル)が日嗣皇子(ひつぎのみこ)に定められた。

そして、それから数日後か、数か月の時が流れた。

ここは、大臣(おおおみ)の一人、物部出石心(もののべ・の・いずしごころ

もっとみる
JW170 父親は二人いる

JW170 父親は二人いる

【孝霊天皇編】エピソード25 父親は二人いる

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

すなわち、紀元前255年、皇紀406年(孝霊天皇36)1月1日、大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくる・のみこと)(以下、ニクル)が日嗣皇子(ひつぎのみこ)に定められた。

それから数日後か、数か月後、饒速日命(にぎはやひ・のみこと)(以下、ニーギ)の子孫たちによる「ニーギ集会」が開かれたの

もっとみる
JW171 そして、閉会へ

JW171 そして、閉会へ

【孝霊天皇編】エピソード26 そして、閉会へ

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

すなわち、紀元前255年、皇紀406年(孝霊天皇36)1月1日、大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくる・のみこと)(以下、ニクル)が日嗣皇子(ひつぎのみこ)に定められた。

それから数日後か、数か月後、饒速日命(にぎはやひ・のみこと)(以下、ニーギ)の子孫たちによる「ニーギ集会」が開かれたの

もっとみる
JW172 帰って来た神様

JW172 帰って来た神様

【孝霊天皇編】エピソード27 帰って来た神様

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

すなわち、紀元前255年、皇紀406年(孝霊天皇36)1月1日、大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくる・のみこと)が日嗣皇子(ひつぎのみこ)に定められた。

そして、あっという間に、九年の歳月が流れたのであった。

紀元前246年、皇紀415年(孝霊天皇45)のある日のこと。

ここは出雲国

もっとみる
JW173 鎮定に赴く者

JW173 鎮定に赴く者

【孝霊天皇編】エピソード28 鎮定に赴く者

第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

すなわち、紀元前246年、皇紀415年(孝霊天皇45)。

ここは黒田廬戸宮(くろだの・いおど・のみや)。

孝霊天皇こと、大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとに・のみこと)(以下、笹福(ささふく))は、腕組みをして、悩み込んでいた。

目の前には、出雲(いずも)の家来、明速祇(あけはやづみ)(

もっとみる