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JW170 父親は二人いる

【孝霊天皇編】エピソード25 父親は二人いる


第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

すなわち、紀元前255年、皇紀406年(孝霊天皇36)1月1日、大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくる・のみこと)(以下、ニクル)が日嗣皇子(ひつぎのみこ)に定められた。

それから数日後か、数か月後、饒速日命(にぎはやひ・のみこと)(以下、ニーギ)の子孫たちによる「ニーギ集会」が開かれたのであった。

集会の参加者は下記の通り。

物部出石心(もののべ・の・いずしごころ)(以下、いずっち)。

その息子たち。

大水口(おおみなくち)(以下、みなお)と大矢口(おおやぐち)(以下、ぐっさん)。

そして、尾張建斗米(おわり・の・たけとめ)(以下、ケット)。

その息子の建宇那比(たけうなひ)(以下、うな吉)。

更に、ぐっさんの息子、鬱色雄(うつしこお)(以下、コー)。

来賓(らいひん)にニクルを迎えた、合計七名による集会である。

系図(ニーギ集会)

さて、今回は、前回に引き続き、三嶋田神社(みしまだじんじゃ)を紹介していきたい。

京都府京丹後市(きょうたんごし)の久美浜町金谷(くみはまちょう・かなや)に鎮座する神社である。

地図(三嶋田神社)
三嶋田神社(拝殿)

ケット「金谷の地は、我(われ)らが生きていた頃は、生嶋(いくしま)と呼ばれとったでよ。そこに、ある人物が、三柱(さんはしら)の神様を祀ったんが始まりだがや。」

ニクル「その・・・ある人物とは誰じゃ?」

ケット「建諸隅(たけもろすみ)だがや!」

いずっち・みなお・ぐっさん・コー「なんやてぇぇぇ!!」×4

ニクル「何を驚いておるのじゃ?」

うな吉「四人が驚くのも無理ないわさ。建諸隅は、わしの息子なんだがや!」

ニクル「汝(いまし)の息子・・・ということは、ケットの孫ということか・・・。」

ケット「その通りだがや! では、紹介します。孫の建諸隅(たけもろすみ)だがや。ケモローと呼んでちょう(呼んでください)。」

ケモロー「お初にお目にかかりまする。我(われ)が『ケモロー』だがや。」

系図(建諸隅)

ニクル「うむ。よろしく頼む。して、なにゆえ、この地に神社を建てたのじゃ?」

ケモロー「建てたかったんで、建てたんだがや。」

コー「答えになってないんやないか?!」

ケモロー「ちなみに、建てた時は『三嶋神社(みしまじんじゃ)』だったんが、いつの間にか『三嶋田神社』になったんだがや。」

いずっち「名前が変わった理由は有るんか?」

ケモロー「これぞ! ロマンだがや!」

ケット「ケモローよ。建てたのは、そこだけじゃないがんねぇ(ないよね)?」

ケモロー「その通りだがや。他にも、二つの神社を建てたがや。」

ニクル「二つ?」

ケモロー「矢田神社(やたじんじゃ)と丸田神社(まるたじんじゃ)だがや。」

みなお「一つずつ、説明していこか。まずは、矢田神社やな。こっちは、同じ京丹後市久美浜町の海士(あま)に鎮座してるで。」

地図(矢田神社)
矢田神社(鳥居)
矢田神社(拝殿)

ぐっさん「誰を祀(まつ)ってんねん?」

うな吉「大綿津見神(おおわたつみのかみ)、建田背命(たけたせ・のみこと)、そして、ケモロー自身も祀られとるがや。」

コー「ちょっと待っておくんなはれ。大綿津見神は、海の神様っちゅうことで分かるんやけれどもな、もう一柱(ひとはしら)の建田背命は、どういうことなんや?」

ケモロー「我(われ)の父上なんで、祀られたんだがや!」

ぐっさん「おい! 汝(なれ)! 舐(な)めとんのか! さっき、汝(なれ)の親父は『うな吉』、言うてたやないかい!」

うな吉「諸説有りなんだで! 父親は、わしの兄弟の建田背とも言われとるでよ!」

系図(建田背)

そこに、件(くだん)の建田背がやって来た。

建田背「やっとかめだなも(久しぶりだね)!」

ぐっさん「おい! 建田背! どうなってんねん?!」

建田背「どうなっとると言われてもなぁ。尾張氏(おわり・し)と海部氏(あまべ・し)で、いろいろ語り継がれとるんだわ。いろんな系図が溢(あふ)れとって、困っとるんだがや。」

ニクル「海部氏? 初耳じゃな。」

うな吉「海部氏は、丹波国(たにわ・のくに)の海部(あま)・・・すなわち、漁師さんを管理する役職の一族なんだわ。」

建田背「ちなみに、丹波国は、京都府北部や兵庫県北東部に位置する地域で、わしが治めていたと言われとるげな(言われているそうです)。」

地図(丹波国)

ニクル「なるほど。そのときから派生した、同じ一族というわけか・・・。」

ケット「そういうことになるがや。ただ・・・。」

ニクル「ただ?」

ケット「実際は、どういう風に分かれたんか、よう分かっとらんでよ。諸説紛々(しょせつふんぷん)なんだがや。丹波にいた一族が、のちに尾張に来たという説も有るんだわ。」

ケモロー「どっちが本家か、論争中なんだで。」

いずっち「おかげで、わてら物部氏も困ってんねん。」

ニクル「なるほど。複雑怪奇ゆえ、この物語では、あえて触れて来なかったというわけじゃな?」

うな吉「まあ、そういうことですな。」

建田背「でも『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』では、うな吉の息子となっとるんで、それでええんでないきゃ?」

ケモロー「我(われ)は、どっちでもええがや。」

コー「それでええんか?」

ニクル「どちらにせよ。親子で、矢田神社に祀らておるということじゃな?」

ケモロー「その通りだがや!」

ケット「海部氏については、またいつか、詳しく解説するがや。」

ニクル「そうじゃな。それよりも、まずは、神社解説が先であろう。」

いずっち「せやった! もう一つ残ってるんだった!」

みなお「ほな。次は、丸田神社を紹介するで!」

ニーギ集会は、まだまだ続くのであった。 

つづく

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