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ジャパンウォーズ(JW)第一部 神武東征〜欠史八代

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ジャパンのウォーズについて、改めて書いて参ります。いろいろ新しい情報が入ったので、書き直そうと思ったわけです。写真も載せて参ります。
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ジャパンウォーズについて

ジャパンウォーズについて

以前、書いていたジャパンウォーズですが、改めて書き直そうと思います。

新しい情報が入ったのと、写真の載せ方を学んだからです。

なお、本編を載せる前に登場人物の紹介をここでやっておこうと思います。

主人公は、狭野尊(さの・のみこと)。のちに神武天皇(じんむてんのう)と呼ばれる人物。一人称は我(われ)だが、たまに「わし」も使う。基本的には君主のような話し方だが、時折、宮崎弁が出る。

主人公には

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ジャパンウォーズ1 狭野尊の決意

ジャパンウォーズ1 狭野尊の決意

【神武東征編】エピソード1 狭野尊の決意

今は昔の物語。

地上世界を治めるため、高天原(たかまのはら)より天孫が降り立った。

神の名は、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎ・のみこと) (以下、ニニギ尊)。

降り立った地は、吾田(あた)の長屋の笠狭崎(かささのみさき)という。

今の宮崎県の高千穂峰(たかちほのみね)といわれている。

ニニギ尊は、この地を治めることから始めた。

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ジャパンウォーズ2 出航前夜

ジャパンウォーズ2 出航前夜

【神武東征編】エピソード2 出航前夜

手研耳命(たぎしみみ・のみこと)の説明が終わったところで、狭野尊(さの・みこと) (以下、サノ)は、末席に坐(すわ)る白髪の老人に声をかけた。

サノ「天道根(あまのみちね)よ。汝(いまし)には、別の命を与えたいと思うておる。」

唐突に声をかけられた天道根命(あまのみちね・のみこと) (以下、ミチネ)が、慌てて返答する。

ミチネ「何事にござりましょうや?

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ジャパンウォーズ3 出航、そして

ジャパンウォーズ3 出航、そして

【神武東征編】エピソード3 出航、そして

八朔(はっさく)(旧暦の8月1日)の朝早く、子供たちの声が響き渡る。

子供たち「起きよ。起きよ。」

時刻は午前四時過ぎ。

ここは宮崎県(みやざきけん)日向市(ひゅうがし)美々津(みみつ)。

狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)ら天孫一行が出航したことを祝う「おきよ祭り」が始まったのである。

子供たちは、短冊飾りのついた笹の葉を手に、各家をた

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ジャパンウォーズ4 君の名は

ジャパンウォーズ4 君の名は

【神武東征編】エピソード4 君の名は

大分市(おおいたし)佐賀関(さがのせき)は、関鯖(せきさば)、関鯵(せきあじ)の水揚げで知られる港町である。

小さく突き出た半島の先端に位置し、四国の佐田岬(さだみさき)との間に、豊予海峡(ほうよかいきょう)を成している。

古代の人々は、この海峡を速吸之門(はやすいなと)と呼んだ。

潮流の激しい海域である。

当然、狭野尊(さの・のみこと) (以下、サ

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ジャパンウォーズ0.5 高千穂の復習

ジャパンウォーズ0.5 高千穂の復習

【神武東征編】エピソード0.5 高千穂の復習

ここで、旅立つ前の狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)のことを説明したいと思う。

と言うのも、旅立つ前にも伝承がいろいろ存在するからである。

まず、台本・・・もとい「記紀(きき)」に書かれているのは、二つの出来事だけである。

15歳で「日嗣(ひつ)ぎの皇子(みこ)」すなわち皇太子になったことと、吾平津媛(あひらつひめ)を娶り、手研耳命(たぎし

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ジャパンウォーズ5 菟狭の出迎え

ジャパンウォーズ5 菟狭の出迎え

【神武東征編】エピソード5 菟狭の出迎え

前回は、狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)らの旅立つ前の伝承を紹介させてもらった。

今回から、再び旅の物語を綴っていこうと思う。

激しい潮流の豊予海峡(ほうよかいきょう)こと、速吸之門(はやすいなと)を椎根津彦(しいねつひこ) (以下、シイネツ)の案内で見事突破した天孫一行。

そして、筑紫(つくし)の国の菟狭(うさ)に辿り着いた。

現在の大

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ジャパンウォーズ6 新たなる希望

ジャパンウォーズ6 新たなる希望

【神武東征編】エピソード6 新たなる希望

菟狭(うさ)(現在の大分県宇佐市)を訪れた、狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)一行は、菟狭の民が建造した、足一騰宮(あしひとつあがり・のみや)にて歓待(かんたい)された。

歓待・・・すなわち宴(うたげ)が催されたのである。「記紀」では、これを大御饗(おおみあえ)と表現している。簡単にいえば、大宴会ということである。

宴もたけなわ、ここで菟狭の長

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ジャパンウォーズ7 崗に舞う米

ジャパンウォーズ7 崗に舞う米

【神武東征編】エピソード7 崗に舞う米

紀元前667年11月9日、狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)ら天孫一行は、筑紫(つくし)の国の岡水門(おかのみなと)に到着した。ちなみに、筑紫とは、今の九州のことである。

台本の一つ「日本書紀(にほんしょき)」では、滞在が二か月余りとなっているが、もう一つの「古事記(こじき)」では、一年滞在したと記録されている。

この違いは何なのか、今では判然と

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ジャパンウォーズ8 竹島たそがれ

ジャパンウォーズ8 竹島たそがれ

【神武東征編】エピソード8 竹島たそがれ

さて、狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)たち天孫一行は、竹島(山口県周南市平野)の丘陵に行宮(あんぐう)(仮の御所)を設(もう)けて滞在していた。

「記紀(きき)」には書かれていないが、この地に立ち寄った一行は、半年ほど滞在したと伝わっている。

ここで椎根津彦(しいねつひこ) (以下、シイネツ)が解説を始めた。

シイネツ「ここから先は、うちも

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ジャパンウォーズ9 安芸の怪煙

ジャパンウォーズ9 安芸の怪煙

【神武東征編】エピソード9 安芸の怪煙

狭野尊(さの・のみこと。以下、サノ)ら天孫一行は安芸国(あき・のくに)に辿り着いた。

現在の広島県西部である。

ここで一行は空高く昇る煙を見た。

黒い煙が幾筋にも分かれ、空を覆い尽くさんばかりである。

その光景を訝(いぶか)しく眺めながら、一行は、広島湾内に突き出す岬に停泊した。

松が、うっそうと生い茂る森である。

そこに、一人の男が現れた。

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ジャパンウォーズ10 安芸探訪

ジャパンウォーズ10 安芸探訪

【神武東征編】エピソード10 安芸探訪

狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)たち天孫一行は、安芸国(あき・のくに:今の広島県西部)に到着した。

「古事記」においては、七年も滞在したと記録されており、これは水稲耕作(すいとうこうさく)の伝播と灌漑工事のためだと考えられる。

サノ「じゃが(そうだ)。陸稲(りくとう)から水稲に換えるよう指導したのじゃ。」

ここで、三兄の三毛入野命(みけいりの

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ジャパンウォーズ11 芸北旅情

ジャパンウォーズ11 芸北旅情

【神武東征編】エピソード11 芸北旅情

安芸国(あき・のくに:今の広島県西部)に滞在中の狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)一行は、各地に稲作技術教育や灌漑工事をおこなっていた。

そんな中、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと) (以下、イツセ)の陣所という地を紹介させてもらった。

広島市安芸区瀬野の生石子神社(ういしごじんじゃ)である。

その時、目の周りに入れ墨をした大久米命(おおく

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ジャパンウォーズ12 出雲と鬼と

ジャパンウォーズ12 出雲と鬼と

【神武東征編】エピソード12 出雲と鬼と

芸北地方(げいほくちほう:広島県北部)を訪れた狭野尊(さの・のみこと) (以下、サノ)たち天孫一行。

その理由は、出雲との接触および交渉にあったと推理してみた。

今回は、出雲の君主、伊佐我(いさが)も交えて、更に推論を進めていきたいと思う。

というわけで、三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと) (以下、ミケ)が、出雲の君主、伊佐我(いさが)に解説

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