見出し画像

ジャパンウォーズ9 安芸の怪煙

【神武東征編】エピソード9 安芸の怪煙


狭野尊(さの・のみこと。以下、サノ)ら天孫一行は安芸国(あき・のくに)に辿り着いた。

現在の広島県西部である。

ここで一行は空高く昇る煙を見た。

黒い煙が幾筋にも分かれ、空を覆い尽くさんばかりである。

その光景を訝(いぶか)しく眺めながら、一行は、広島湾内に突き出す岬に停泊した。

松が、うっそうと生い茂る森である。

森に到着

そこに、一人の男が現れた。

謎の男「よう、来(き)んさったのう。」

サノ「い・・・汝(いまし)は誰ぞ?!」

謎の男「わしですか? わしが、この地を治める、安芸津彦(あきつひこ)じゃ。」

サノ「あ・・・安芸津彦?」

安芸津彦「天孫一行がやって来ると聞き、今か、今かと待っとりました。」

ここで、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと) (以下、イツセ)が代わって尋ねた。

イツセ「では、安芸津彦殿。汝(いまし)は、我らを歓迎すると?」

安芸津彦「そがんこと(そんなこと)当たり前じゃあ。たいがたい(慈悲深い)天孫御一行様の来訪を歓迎せんで、どう、せいっちゅうんですかいのう。」

イツセ「い・・・いやあ、まあ・・・そうやなっ。」

サノ「ところで、安芸津彦。あの煙は何じゃ?」

安芸津彦「ああ、あれは御一行を歓迎するために、烽火(のろし)を上げたんじゃ。」

サノ「歓迎するため? されど、なにゆえ烽火なのじゃ?」

安芸津彦「そりゃあ、おっけえ(大きい)烽火を見たら、喜んでくれると思うて、作ったんじゃ。ビックリしたじゃろ?」

サノ「しょ・・・正直に申さば、皆が訝しく思っておった。すまぬ。」

安芸津彦「なっ!? なんという正直な御心。わしは感服仕りましたぞ。」

皆が戸惑いを隠せぬ中、次兄の稲飯命(いなひ・のみこと)が安芸津彦に尋ねた。

稲飯(いなひ)「ところで、安芸津彦殿。あの煙はどこから上げとるんや?」

安芸津彦「よくぞ聞いてくんさった。あれは、二千年後の広島市と言うところの西部にある山から、烽火を上げとるんじゃ。これを記念して、山に火がついとるけぇ、火山(ひやま)と名付けるつもりじゃ。ちなみに、標高488メートルじゃ。」

火山1
火山2
火山3
火山4
火山5

その後、安芸住民による、天孫御一行様歓迎式典が行われた。

<安藝都彦(あきつひこ)、出迎えて奉饗(ほうきょう)せりとの傳説(でんせつ)あり>

地元の歴史を編纂した「廣島縣史」には、そう記されている。

ちなみに、火山(ひやま)であるが、現在、山頂には「神武天皇烽火伝説地」の碑が立っている。

火山の石碑

また、湾内に突き出た岬の森は誰曽廼森(たれそのもり)と呼ばれるようになった。

サノが上陸した際、土地の者に「汝は誰ぞ?」と訊ねた伝承によるものである。

たれその森1

その森の、すぐ傍に、サノたち天孫一行は行宮(あんぐう。仮の御所)を建てた。

これが、現在の広島県府中町にある、多家神社(たけじんじゃ)である。

「古事記」に記された多祁理宮(たけり・のみや)の跡地であるとの伝承が残る。

多家神社1
多家神社2
多家神社3
多家神社4
多家神社拝殿

ここで、五十手美(いそてみ) (以下、イソ)と味日命(うましひ・のみこと)が解説を始めた。

イソ「さきほど『古事記』に記されたと表現されておったが、それには理由がある。なんと『日本書紀』では宮の名前が違うのじゃ『書記』の方は、埃宮(え・のみや)といい、同一の宮を指すのか、それとも違うのか、今となっては、よく分からぬ。」

味日(うましひ)「多家神社(たけじんじゃ)では、同一の宮として扱っているみたいっちゃ。じゃっどん、埃宮(え・のみや)の跡地といわれる、別の神社も有り、諸説紛々という状況やじ。埃宮伝承地については、後日、お伝えするっちゃ。」

もう一つ、「古事記」と「日本書紀」で異なるところがある。

滞在期間である。

「古事記」では七年、「日本書紀」では二か月余りと、大きく違うのである。

この理由も定かではないが、七年という期間があれば、稲作の方法を教え、灌漑技術を整えることも可能であろう。

水稲耕作が、九州から本州へと広がっていったことは、考古学的にも証明されている。

誰かが伝えたことは間違いのない事実なのである。

各地に伝わるサノの伝承は、技術が伝播された際の出来事が、初代天皇と結び付いたものなのかもしれない。

安芸津彦「勝手にまとめるなっ! まだ上陸地点の紹介が済んでないじゃろう!」

サノ「誰曽廼森(たれそのもり)に上陸したと、先ほど説明があったではないか?」

安芸津彦「実は、他にも地御前(じごぜん)に上陸したという伝承もあるんですわ。」

稲飯(いなひ)「他にもあるんか?!」

安芸津彦「そうなんです。こっちの伝承では、わしは廿日市市(はつかいちし)の地御前(じごぜん)に上陸した天孫御一行を倉重(くらしげ)でお迎えしたことになっとるんです。地御前神社(じごぜんじんじゃ)の神社西側の入り江を有府水門(ありふのみなと)と言い、ここから上陸したという伝承があるですわ。その後、サノ様が火山に登られ、烽火を挙げとります。」

地御前と倉重
地御前と倉重2
地御前
地御前神社1
地御前神社2
地御前神社3
地御前神社拝殿
倉重

サノ「烽火を挙げたのは、我(われ)だったという話か・・・。」

安芸津彦「ほうです(そうです)。それが終わった後、休山(やすみやま)で休まれて、下山されました。そして、山本の出口から船に乗られ、祇園の帆立で帆を張って進まれて、対岸の戸坂(へさか)に上陸されたんです。そこから中山峠を越えて、森に入ったみたいですな。」

火山から帆立
帆立から戸坂
戸坂から多家神社
火山伝説

サノ「どのルートでも問題はない。大事なのは、安芸国に入ったことぞ。」

稲飯(いなひ)「じゃが(そうだ)。それより、安芸津彦自身の紹介も必要なのではないか?」

イソ「そうですな。では、安芸津彦殿、自己紹介を頼みまする。」

安芸津彦「わしが安芸津彦(あきつひこ)じゃ。安芸国造(あき・のくに・のみやつこ)の祖と言われとる。国造(くにのみやつこ)っちゅうのは、前回、紹介した通り、地方長官みたいなやつじゃな。それと、正式に国造に就任したんわ、わしの五世孫(玄孫:やしゃご)にあたる飽速玉命(あきはやたま・のみこと)じゃ。」

力説する安芸津彦に大久米命(おおくめ・のみこと)が合いの手を入れる。

大久米(おおくめ)「第十三代目の成務天皇(せいむてんのう)の時代っすね。」

安芸津彦「ほうじゃ(そうだよ)。それと、わしは『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』では、天湯津彦命(あまのゆつひこ・のみこと)として登場しとるんじゃ。」

続いて、三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと) (以下、ミケ)が合いの手を入れる。

ミケ「中つ国に降臨なされた、饒速日(にぎはやひ)殿を中心に書かれた書物のことっちゃね。」

サノ「で・・・では、汝(いまし)はニギハヤヒ殿を知っておるのか?」

安芸津彦「知っとるも何も、一緒に降臨した仲じゃけぇ。」

安芸津彦の告白を聞いて、天種子命(あまのたね・のみこと)が過敏に反応した。

天種子(あまのたね)「えっ!? ほんまか? では、我(われ)のじいちゃんも知っておるのか?」

安芸津彦「こやねっちゃん(天児屋根命〔あまのこやね・のみこと〕)のことは、よう知っとるよ。」

天種子(あまのたね)「わ・・・我のじいちゃんを、こやねっちゃ・・・。」

稲飯(いなひ)「天種子のじいちゃんは、ニギハヤヒ殿と一緒に降臨して、また天に戻って、我(われ)のひいじいちゃんと、改めて降臨してるんやったな。」

天種子(あまのたね)「また天に戻ってるんが、よく分からんのやけど・・・。」

サノ「まあ、良いではないか。それより、安芸津彦よ。他に、解説せねばならぬことはあるか?」

安芸津彦「そうですのう。わしは阿尺国造(あさか・のくに・のみやつこ)、信夫国造(しのぶ・のくに・のみやつこ)、伊久国造(いく・のくに・のみやつこ)などの祖でもありますな。」

大久米(おおくめ)「阿尺(あさか)は福島県郡山市周辺、信夫(しのぶ)は福島県福島市周辺、伊久(いく)は宮城県角田市(かくだし)周辺のことっすね?」

安芸津彦「よう勉強しとるのう。そうじゃ。」

三つの
三つの国造

イソ「広島から遠く離れし、東北地方の国造の祖ともなっているのをみると、安芸津彦殿の一族は、大和朝廷内でも信任の厚い一族だったのでしょうな。」

安芸津彦「褒めても何も出んぞ。」

ミケ「それだけじゃないっちゃ。安芸国府の在庁官人(ざいちょうかんじん)で、平安時代には、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の祭祀を司り、勅使代(ちょくしだい)も務めてきた田所家(たどころ・け)も、安芸津彦の子孫であると伝わってるんやじ。」

厳島神社1
厳島神社2
厳島神社鳥居

サノ「兄上。在庁官人とは?」

味日(うましひ)「それについては、俺が説明するっちゃ。在庁官人というのは、地元の有力者が、地方官を務めるということやじ。勅使代っちゅうのは、天皇の使者の代行役ということっちゃ。イソ殿が申していた通り、信任の厚い一族やったんでしょうね。」

安芸津彦「褒めても何も出んぞ。」

サノ「されど、それだけ忠誠心の厚い男であったというのは間違いなかろうな。」

安芸津彦「なんと・・・。お褒めの言葉をいただき、真に嬉しい限りにござりまする。」

味日(うましひ)「さっきまでと全然違うっちゃ!」

サノ「まあまあ、良いではないか。それよりも、まずは水稲耕作教室と灌漑公共工事じゃ。いろいろ視察もせねばな。」

イソ「安芸国の各地を巡るのですね?」

サノ「じゃが(そうだ)。稲作に適した地、そうでない地、いろいろと見定めねばなるまい。」

イツセ「そのためには、安芸津彦殿に先導を御願いせねばならぬな。」

安芸津彦「この地は、我が庭のようなもの。お任せくだされ!」

サノ「うむ。頼んだぞ。」

こうして安芸国振興作戦が開始されたのであった。


つづく





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?