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JW167 消えた神社

【孝霊天皇編】エピソード22 消えた神社


第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)(以下、笹福(ささふく))の御世。

讃岐(さぬき:現在の香川県)の伝承紹介を終え、彦五十狭芹彦(ひこいさせりひこ)(以下、芹彦(せりひこ))と稚武彦(わかたけひこ)(以下、タケ)は、ヤマトに帰還したのであった。

タケ「・・・ということで、ここはどこじゃ?」

芹彦「吉備(きび)じゃ!」

タケ「吉備と言えば、二千年後の岡山県と広島県東部を指す地域ではないか! まだ、ヤマトに戻れておらぬのか?」

地図(讃岐と吉備の位置関係)

芹彦「実はな、会いたい方がおるのじゃ。」

タケ「会いたい方?」

そのとき、遠方から、一人の男が駆けて来た。

男「おお! 二人とも、よう参った!」

芹彦「伯父上! お会いしとうござりましたぞ!」

タケ「伯父上?」

芹彦「そう! 我(われ)らが伯父、大吉備諸進(おおきびのもろすすみ)殿じゃ! ススムと呼ばれておるぞ! エピソード147以来の登場じゃ!」

系図(芹彦・タケとススムの関係)

タケ「お・・・お初にお目にかかりまする。タケにござる。」

ススム「うむ。よくぞ、参った。わしは嬉しいぞ。」

タケ「さ・・・されど、ススム伯父上は『古事記(こじき)』において、名のみの登場となっていたはず・・・。なにゆえ、吉備に?」

ススム「うむ。作者の陰謀でな・・・。名に、吉備が入っておるゆえ、吉備とは浅からぬ縁(えにし)があるはずと、作者は考えたようじゃ。そこで、笹福・・・じゃなくて、大王(おおきみ)が伯伎(ほうき)からヤマトに戻る折、わしだけ、吉備に向かったのじゃ。」

タケ「た・・・たとえ、そうであったとしても・・・。伯父上には、伝承がござりませぬ。吉備に赴いて、一体、何を?」

ススム「タケよ。まだまだ若いのう。わしに伝承無くとも、吉備に伝承有りじゃ。」

タケ「吉備に?」

ススム「うむ。ささふ・・・ゴホン! 大王(おおきみ)の御世に創建された神社が有るのじゃ。」

芹彦「父上の御世に創建された神社が有ると申されまするか?!」

ススム「その通りじゃ。その名も、寄松神社(よりまつじんじゃ)と申す。」

タケ「御祭神は?」

ススム「伊弉諾神(いざなぎ・のかみ)と伊弉冉神(いざなみ・のかみ)じゃ。熊野(くまの)より勧請(かんじょう)したそうじゃ。ちなみに、勧請とは、神の分霊を迎えるという意味じゃ。」

地図(吉備と熊野の位置関係)
地図(熊野三山)

芹彦「して、伯父上。二千年後の地名でいうと、どこになりまする?」

ススム「岡山県津山市(つやまし)の下高倉東(しもたかくらひがし)になるぞ。」

芹彦「下高倉東・・・。おかしいですな・・・。どこにも、そのような神社が・・・。」

タケ「如何(いかが)致した? 芹彦?」

芹彦「二千年後の地図を見てみたのじゃが、どこにも寄松神社らしき建物が無いのじゃ!」

ススム「うむ。実はな・・・。西暦1911年、皇紀2571年(明治44)5月20日に、すぐ近くの杉森神社(すぎもりじんじゃ)に合祀(ごうし)されてしまってのう。二千年後は、跡形も無いのじゃ。」

タケ「では、二千年後は、杉森神社にて祀(まつ)られておるのですな?」

芹彦「いやぁ・・・。地図を見ておるが、杉森神社というのも見当たらぬぞ!」

タケ「なに?! もしかすると、下高倉東ではないのかもしれぬぞ。周りも探してみよ!」

ススム「目の付け所は良いが、杉森神社で探しても見つからぬぞ。」

芹彦「伯父上ぇ。そろそろ答えを教えてくださりませ!」

ススム「すまぬ、すまぬ。実はな・・・。合祀した折、杉森神社は、高倉神社(たかくらじんじゃ)と改名しておるのじゃ。」

芹彦「なんと! 改名していると!!?」

タケ「いくら探しても、見つからぬはずじゃ。」

ススム「高倉神社は、津山市の下高倉西(しもたかくらにし)に鎮座しておるぞ。どうじゃ? 見つかったか?」

芹彦「有りもうした! 下高倉西に、有りもうした!」

地図(高倉神社)
高倉神社(鳥居)
高倉神社(拝殿)

タケ「されど、なにゆえ、改名したのですか?」

ススム「うむ。これぞ、ロマンじゃのう。」

芹彦「ち・・・父上の口癖!」

ススム「ちなみに、寄松神社が鎮座(ちんざ)していた地には、遺構(いこう)を伝える石碑が建っておるぞ。」

タケ「その石碑の所在は?」

ススム「うむ。山中の笹に覆(おお)われた地に有るらしい。具体的な場所までは分からぬ。」

タケ「せっかく、石碑を建てたというに、詳しい場所が分からぬとは・・・。」

ススム「作者もいろいろ調べたが、このあたり・・・までしか分からなかったようじゃな。」

芹彦「無念じゃ・・・(´;ω;`)」

地図(石碑が有る山)
神社遺構碑

タケ「ところで、創建された年は?」

ススム「来年、創建される予定じゃ。」

タケ「も・・・申し訳ござりませぬ。私たちは、近頃まで、詳しい年代が分からぬ、讃岐の伝承を紹介しておりましたゆえ、来年と言われても分かりもうさず。今は、何年にござりまするか?」

ススム「そうか。知らなんだか。今年は、紀元前256年、皇紀405年(孝霊天皇35)じゃ。」

タケ「なっ! では、来年創建ということは、孝霊天皇36年ということですな?!」

芹彦「タケ! 汝(なれ)は阿呆か?! 当たり前であろう!」

タケ「早う、ヤマトに戻らねば! 来年の1月1日に記事が有ったであろう!?」

芹彦「あっ! そうであった! ま・・・間に合うのか?!」

ススム「わしは、これにて務めを果たしたゆえ、クランクアップじゃ。ささふ・・・ゴホン! 大王に、よろしく伝えておいてくれ!」

こうして、吉備に創建された神社を紹介すると、タケと芹彦は慌てて帰っていったのであった。

つづく

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