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JW171 そして、閉会へ

【孝霊天皇編】エピソード26 そして、閉会へ


第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。

すなわち、紀元前255年、皇紀406年(孝霊天皇36)1月1日、大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくる・のみこと)(以下、ニクル)が日嗣皇子(ひつぎのみこ)に定められた。

それから数日後か、数か月後、饒速日命(にぎはやひ・のみこと)(以下、ニーギ)の子孫たちによる「ニーギ集会」が開かれたのであった。

集会の参加者は下記の通り。

まずは、物部氏(もののべ・し)から四名。

物部出石心(もののべ・の・いずしごころ)(以下、いずっち)。

その息子の大水口(おおみなくち)(以下、みなお)と大矢口(おおやぐち)(以下、ぐっさん)。

更に、ぐっさんの息子、鬱色雄(うつしこお)(以下、コー)。

尾張氏(おわり・し)からも四名。

尾張建斗米(おわり・の・たけとめ)(以下、ケット)。

その息子の建宇那比(たけうなひ)(以下、うな吉)と建田背(たけたせ)。

更に、どちらかの息子、建諸隅(たけもろすみ)(以下、ケモロー)。

それと、来賓(らいひん)のニクルを合わせた、九名の集会である。

系図(ニーギ集会)

今回は、三つの神社のうち、残りの一つを紹介していきたい。

みなお「ほな。次は、丸田神社を紹介するで!」

丸田神社(鳥居)
丸田神社(拝殿)

ぐっさん「誰が祀(まつ)られてんねん?」

ケモロー「保食神(うけもちのかみ)だがや。」

うな吉「食べ物の神様だで。」

ニクル「それで・・・どこに祀られておるのじゃ?」

ケット「京都府京丹後市(きょうたんごし)の甲山(こうやま)だがや。」

コー「兜山(かぶとやま)の麓に鎮座(ちんざ)してるで!」

地図(丸田神社)

ニクル「ところで、前回紹介された、三嶋田神社(みしまだじんじゃ)や矢田神社(やたじんじゃ)とは、どういった繋(つな)がりが有るのじゃ?」

地図(三つの神社)
三嶋田神社(拝殿)
矢田神社(拝殿)

ケモロー「そ・・・それは・・・。」

建田背「正直に申せば、何の意味もないがや。」

ニクル「意味も無く、三つの社(やしろ)を創建したと申すか?」

ケモロー「た・・・建てたかったから?」

ぐっさん「他にも、三嶋田神社と丸田神社に至っては、十一代目の時に創建されたという伝承も有るみたいやな。」

ケット「しょ・・・諸説有りなんだわ!」

ニクル「これが、ロマンと申すものじゃな?」

いずっち「そういうことにしておくんなはれ。」

ニクル「ところで、三つの神社が鎮座しておる、京丹後市の丹後(たんご)とは、如何(いか)なることぞ?」

ぐっさん「丹後が、気になるんでっか?」

ニクル「前回、丹波国(たにわ・のくに)が紹介されておったが、それと、何か関わりが有るのではないかと思ってな・・・。『丹』の字が通じるであろう?」

丹波国

ケット「さすがは、日嗣皇子! 大いに関係が有るでよ! 丹後とは、丹波から分離した地域なんだわ。」

ニクル「分かれたと申すか?」

建田背「奈良時代の西暦713年、皇紀1373年(和銅6)に丹波国から分離したんだがや。」

西暦713年、皇紀1373年(和銅6)以前
西暦713年、皇紀1373年(和銅6)以降

ニクル「なるほど。では、我(われ)らが生きていた頃は、丹波国だけであったということか・・・。」

みなお「そういうことになりますなぁ。」

いずっち「ほな。次の神社紹介に移るでぇ!」

ニクル「まだ、有るのか?」

コー「次は、愛媛県に鎮座する神社やで。」

ぐっさん「ほんで(それで)、何て言う神社なんや?」

ケモロー「その名も、出雲崗神社(いずものおかじんじゃ)だがや。」

ぐっさん「愛媛県の、どの辺に鎮座してんねん?」

うな吉「松山市(まつやまし)の冠山(かんむりやま)山頂。道後湯之町(どうごゆのまち)だがや。」

ぐっさん「冠山・・・。」

ニクル「名前に出雲(いずも)と付いておるが、出雲と関わりが有るのか?」

ケット「祀っとる神様が、素戔嗚命(すさのお・のみこと)と、嫁の櫛名田比売(くしなだひめ)なんで、出雲という名前が付いとるんだで。」

ニクル「なるほどのう。」

ぐっさん「ちょっと待てい! うな吉! これは、どういうこっちゃねん?!」

ニクル「如何(いかが)致した?」

ぐっさん「地図を見てたら、冠山の頂上には、湯神社(ゆじんじゃ)しか、有らへんのですわ!」

地図(湯神社???)

うな吉「ええところに気が付いたなも(気が付いたね)。二千年後は、湯神社と一緒になっとるんだわ。」

ニクル「別々の神社が、同じ地に祀られておるということか?」

うな吉「その通りだがや。湯神社が、地震の影響で、引っ越して来たんだわ。それから、ずっと、同じ地に祀られとるんだがや。」

湯神社・出雲崗神社(注連柱)
湯神社・出雲崗神社(拝殿)

ぐっさん「それを最初に言わんかい!」

うな吉「ほんなこと、言われてもなぁ。」

ニクル「す・・・すまぬ。我(われ)のせいじゃ。」

いずっち「なんで、日嗣皇子様のせいになりますのんか?」

ニクル「我(われ)が、出雲との関わりについて尋ねてしまったがゆえ・・・。」

ぐっさん「そ・・・そないなこと、有らしまへんで! わ・・・わては、そんな意味で言うたんと、ちゃいまっせ!」

ニクル「分かっておる。されど、解説に割り込んだは、事実じゃ。すまぬ。」

ぐっさん「い・・・いやいや、日嗣皇子様に謝(あやま)られたら、わて、どうしたらええんか・・・。」

コー「おとん! ここは、謝(あやま)っとき!」

ぐっさん「せ・・・せやな。すんまへん! わて、調子に乗ってました!」

ニクル「い・・・いや、こちらこそ、すまぬ。」

こうして、長く続いた「ニーギ集会」も、ようやく閉会となったのであった。

つづく

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