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小説

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短編/中編小説をまとめました。。長くないのでサッと読めます。
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#家族

華火116

 遥かなる未来の想像というのは、我々が辿ってきた数千年の歴史を想うより、いくらかは楽なものである。葛西教授は、まるで課題に手をつけようとしない私に向かってそう言った。
 ボードに描かれた様々な風景画、それは彼が創造した新世紀であった訳だが、当時十歳にも満たない少年には理解出来るはずもなかった。
「陸を離れ、空を目指す人類において、困難なのは水、そして食糧の確保だ。我々は天にまで届く太いチューブを介

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彼女は、秋に生まれた

彼女は、秋に生まれた

 まだ物心もつかない幼少期の頃、岡山の東端にある祖父の家にて、静かなる秋を過ごしたのだった。地元の港町より冷え込む朝方、裏庭は小さな池があったが、私が生まれるずっと以前から水は枯れてしまい、池を枠取った岩や木々が虚しくも佇む表情というものを、僅か五歳の少年が縁側から飽きもせずにただ眺めていた。

 私がかねてより望んでいた妹の誕生、そんな生のなんたるかを理解出来もしない子供においても、新たな家族の

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ベースボール

ベースボール

 生まれつき右手の指を、上手く開けない男。僕の兄は、自らの特徴を説明する際、必ずこの言葉を用いた。誰かを妬む訳もない、また自嘲する訳でもなく語る彼の表情は、ユニフォームのストライプと同様、白い柔らかさと闇の顔が同居しているような、なんとも歪な印象を人に与えたものだった。

 僕がまだ小学生の頃だろうか。嬉しそうにグラブを選ぶ兄と母の姿、そんな光景をつまらなく感じた記憶がある。兄は余程のことがない限

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乾いた音色は注ぐに継ぐ

乾いた音色は注ぐに継ぐ

 ここまで揃いの良い親戚を持つというのは、十代の思春期を迎えた当時の私にとって、不幸以外の何物でもない様に思えた。

 GWや夏休み、本来であれば友人や彼女との淡い思い出を作るべく、右に左にと奔走していただろう、かけがえのない時間。携帯のメール受信音を認めれば、嫌でも浮き足立つ我が心。だが喜びを噛み締める暇もなく、私を失望の淵に突き落とすのは、決まって母の一言だった。

「GW(お盆)の三日間、岡

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『文字』を与えたい男

『文字』を与えたい男

 たった数文字が、何故こんなにも悩ましい。
ほんの数文字に、どれだけ愛を詰め込みたい。
洗い物をする妻を早めに休ませ、私は今日何冊の文献を漁っただろう。何回検索しただろう。
それでもなお、君に与える文字というのは、何か期待をさせすぎても重荷になってしまいそうだし、軽々しく決めたくもない、そんな思考をぐるぐると巡り巡って、結局のところ良い案というのは未だ浮かんでいないんだ。

 明け方になって、私が

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雨の日、父を想う

雨の日、父を想う

 あの無口な父が、病に侵されている事実を知ったのは、三年前の六月頃。今日と同様の生温い空気、降頻る雨が我が身を冷やす、この忌々しい梅雨がチラリと顔を覗かせた時期である。
仕事中に母から電話が掛かって来たと思えば、向こうからの会話は歯切れの悪い物ばかり。
「最近、元気でやってるの?」
「盆休みは取れそう?」
などという形式上の言葉が数回行き来した後、実はねぇ......という具合に、父が入院したとい

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台風124号の接近

台風124号の接近

 妻が家庭内で起こす癇癪について、一々名前を付けているのは私くらいのものだろう。先日三日間に渡って、我が家を大いに荒らしたのは『バースデイ』の名を与えた台風123号による物だった。

 彼女の誕生日に用意したメッセージカード、馴染みのジュエリー店に依頼して拵えた物であったが、なんとカードに記載する宛名が別の客のとすり替わっていた。由々しき事態である。
確かに、相手から受け取った物の宛名が、自分では

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散りゆく光の雨

散りゆく光の雨

 十月になっても頭上には、相変わらずの月が浮かんでいた。背後の手水舎と鳥居に続く石段を黄金色に染めて。それでも私が身を疎ませるのは、拝殿の影に潜む鈴虫かコオロギが、そんな情景に感嘆の声を上げたからである。耳障りであるから、足元にあった石の欠片を参道に這うようにして放れば、ひとたび響いた乾いた音で、その感傷的な輩は口を閉ざした。
神無月とはいうが、自らの寝床から見えるその光景をふいにしたとしても、こ

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