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指導者と精神医学(7): 聖女か?狂女か?ジャンヌ・ダルクを精神医学的に解説!

皆様、こんにちは!

鹿冶梟介(かやほうすけ)です。

好評シリーズ「指導者と精神医学」も今回で7回目となりました!

このシリーズが人気なのは、皆様が今の世の中に不安を抱き、潜在的に名君・名主を求めているから...、なんてことは思っておりませんが、小生の記事にご興味を持っていただきありがとうございます😆

本シリーズでは様々な指導者を精神医学の観点から解説してきましたが、今回はこれまで紹介した「指導者」たちよりもさらに古い指導者について解説いたします!

それは皆様もご存知「ジャンヌ・ダルク」!。

パリオリンピックが開催中ですが、まさにタイムリーなネタですね!

なぜならジャンヌ・ダルクは女性でありながらもフランスを救った"悲劇の英雄(ヒロイン)"だからです。

彼女がフランス軍を指揮した理由は"神託"を受けて...、という話が有名ですがこの神秘体験について昔から精神医学的に考察が加えられてきました。

要するにジャンヌ・ダルクは精神医学小噺としては鉄板ネタなんですよね...😅

...ということで、今回のnote記事では、救国の乙女ことジャンヌ・ダルクを精神医学的に解説致します!


【ジャンヌ・ダルクとは?】

Joan of Arc (ジャンヌ・ダルク)

15世紀に活躍したフランスの軍人

フランスの国民的ヒロインでカトリック教会における聖人。

「オルレアンの乙女(la Pucelle d'Orléans)」とも呼ばれている。

イギリス軍に包囲されたオルレアンを解放し、シャルル7世をフランス国王として戴冠させた。

しかし、イギリス軍に捕えられたジャンヌ・ダルクは宗教裁判にかけられルーアンにて火あぶりの刑に処された。

Joan of Arc's Death at the Stake: Hermann Stilke

【ジャンヌ・ダルクの生涯】

ジャンヌ・ダルクの生涯はフランス・イギリス間で続いた百年戦争と深く関わるため、当時のフランス歴史的背景と併記したいと思います。

1337年: 百年戦争勃発。
1403年: のちのシャルル7世誕生。
1412年: 1月6日、ロレーヌ地方ドンレミ村にジャンヌ・ダルク(以下ジャンヌ)が誕生
1415年: アジャンクールの戦いにてフランスはイギリスに大敗。
1420年: トロワ和約成立。イギリス王ヘンリー5世とシャルル6世の娘が結婚。一方、王太子シャルルは王位継承権を剥奪される。
1422年: 王太子シャルル、フランス国王を称す。
1425年: ジャンヌ、"神の声"を聞く。
1427年: ジャンヌ(16歳)はボクルールの守備隊長を訪れ、「神の声に従い、オルレアンを救いたい」と申し出る。
1429年: 2月23日ジャンヌ、王太子シャルルと初会見。
     4月29日、ジャンヌ、オルレアンに入る。
     5月8日、オルレアン解放。
     6月18日、フランス軍パテーの戦いでイギリス軍に圧勝。
     7月17日、ランス大聖堂にて王太子は祝聖式を挙行。正式にフランス国王、シャルル7世となる。
     9月 8日、ジャンヌはパリ奪還に参加するが腿に矢傷を受ける。
     12月24日、ジャンヌ、シャルル7世により貴族の称号を授与される。
1430年: 5月23日、ジャンヌ、コンピエーニュにて捕わる。
     7月11日から11月初めまで、ジャンヌはボールボワールの塔に閉じ込められる。
     12月23日、ジャンヌ、ルーアンの城に閉じ込められる。
1431年: 1月9日、ジャンヌの宗教裁判が始まる。
     5月30日、ジャンヌ、ルーアンの広場で火刑に処される。享年19歳。
1437年: 9月21日、フランス、ブルゴーニュとアラス和平を締結。
1450年: シャルル7世、ジャンヌ裁判の見直しを命令。
1453年: 百年戦争終わる
1456年: ローマ教皇がジャンヌ処刑裁判の無効を宣言。
1920年: 教皇ベネディクトゥス15世により、ジャンヌ、<聖女>の列に加わる。


【ジャンヌ・ダルクはメンタルヘルスに問題を抱えていた?】

Jeanne d' Arc :Eugene Thirion

冒頭でもお伝えしましたが、ジャンヌ・ダルクが精神疾患であった可能性について諸説あります。

このパートではジャンヌ・ダルクが罹患していたであろう精神・神経疾患について簡単に解説します。

1.てんかん説

ジャンヌ・ダルクに関する記録の中で幻視・幻聴と思える記述が度々現れます。【ジャンヌダルクの生涯】でも触れましたが、彼女は13歳の時に「イングランド軍からフランスを救え」という神の声を聞きます。
またこの神秘体験の間、教会の方から"強い光"を感じ、天使ミカエル、聖カタリナ、聖マルグリタの姿を見たと証言します。

このような神秘体験は特に"教会の鐘の音"を聞くと生じやすかった様で、この特徴からジャンヌ・ダルクは"特発性部分てんかん"であった...、という説が生まれます。

たしかに特定の"音"に反応しててんかん発作を起こす患者さんは少数ながらおります。

例えば音楽てんかん(musicogenic epilepsy)などは時々報告されており、たとえばジャズやクラシックなど特定のジャンルの音楽がてんかん発作を誘発します(日本ではYMOのライディーンを聴いたら発作が起こる...という珍しいケースが報告されてましたね)。

しかし「教会の鐘の音」がトリガーとなるというのは、なんとも神秘的でちょっとロマンチックですよね。


↓「ライディーン」、若い方でも耳にしたことがありますよね?


2.統合失調症説

幻覚(幻視・幻聴)、そして神に守られいているという守護妄想 (仏: delire de protection)があったことから、ジャンヌが統合失調症であったのでは...?という説も当然ありました。

ここで現在の米国精神神経学会の診断基準DSM-5を基に、ジャンヌが統合失調症の診断基準を満たすか調べてみましょう。

Schizophrenia 295.0(F20.9)
A:以下のうち2つ(またはそれ以上)、おのおのが1か月以上(または治療が成功した際はより短い期間)ほとんどいつも存在する。これらのうち少なくとも1つは(1)か(2)か(3)である。
(1)妄想=>YES: 守護妄想の他に各種宗教妄想を認めた。
(2)幻覚=>YES: 神の声を聞いた。
(3)まとまりのない発語(例:頻繁な脱線または滅裂): NO?=>宗教裁判にかけらたとき澱みなく自らの神性を語った。
(4)ひどくまとまりのない、または緊張病性の行動: YES?=>イギリス軍をぶっ倒すという点では一貫していましたが、興奮したら手がつけられずかなり好戦敵だったそうです。
(5)陰性症状(すなわち感情の平板化、意欲欠如)=>NO:非該当
(項目B以下は割愛)

American Psychiatric Association.Schizophrenia. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (DSM‑5), 5th ed. Washington, DC: American Psychiatric Association, 2013:99-105.


上記5つの項目のうち、2-3個は当てはまりそうなので統合失調症とみなせそうです。

しかし、当時の文化的背景から「神のご加護」を信じることは決して妄想とは言えず、従って幻覚だけでは統合失調症とは言えないのでは...、という考えが病跡学的には優勢のようです(この解釈については鹿冶の考察で補足します)。


3.摂食障害説

ジャンヌ・ダルクの病跡学として「てんかん説」「統合失調症説」はある意味鉄板ネタなのですが、ちょっと変わった説もご紹介いたします。

米国の作家メアリー・キャサリン・ゴードンはジャンヌ・ダルクが「摂食障害」であった可能性を指摘しております。

ゴードンによれば、ジャンヌ・ダルクは「性的魅力がないほど痩身」「食べ物に関心がない」「月経がなかった」「完璧主義」「過活動」などの摂食障害(神経性無食欲症)としての特徴を多数持ち合わせていた...と述べております。

ただしこの説はかなり弱いことは賢明な皆様ならお分かりでしょう。

なぜなら当時において戦場は慢性的な食糧不足に陥りやすかったので、ジャンヌが痩身となり無月経に陥ったのはある意味当然ですよね...(精神疾患といより栄養失調に傾きやすかったのです)。


4.トランスジェンダー説とレズビアン説

これもマイナーでありますが当時の文化背景を加味する興味深い説です。

ご存知の様に当時のヨーロッパにおいて女性が戦場に出て、しかも軍を統率するということは極めて珍しい話です。

またジャンヌ・ダルクは「女の命」とも言える髪をバッサリ切ったというエピソードもありますし、彼女に関する歴史的記録においてはほとんど「男装」していたとされております(当時のキリスト教では女性の男装は罪とみなされたそうです)。

そして、異端裁判にかけられた時、裁判官が男装をすることを悔い改めよと誘導しましたが、彼女は男装を「神と天使の戒めである」と主張し突っぱねたそうです。

神や天使の名において男装をする…、これは生まれながらの性自認と生物学的性が一致していないと言えるため、ジャンヌはトランスジェンダーであった…という説が生まれたようです。

ただし、前述の通り女性が軍人として戦うことは極めて稀であり、軍隊に女性がいるということ自体が様々な問題を起こすと危険(強姦など)があり、身を守るために仕方なく男装していた...、と考えることもできます。

おまけですが、ジャンヌ・ダルクの性癖についてはもっと突っ込んだ「レズビアン説」もあり、たとえば小説家のVita Sackville-Westによるとジャンヌ・ダルクは女児や女性とベッドを共にしていたそうです。

...が、当時のヨーロッパでは旅先(巡礼など)で見知らぬ女性同士が一緒にねることは普通のことだったそうなので、このレズビアン説も否定的と言われております。

ちなみに補足ですが、かつて同性愛は宗教的罪あるいは精神病と見做されておりましいたが、現代の精神医学ではトランスジェンダーやレズビアンは病気とは見做されておりません(<=ここ大事なところです!)。


5.自己愛性パーソナリティ障害説

もうひとつオマケですが、これまたマイナーな説をご紹介します。

それはジャンヌ・ダルクが自己愛性パーソナリティ障害であったという説です。

彼女の性格を表すと、信仰心熱く、熱心、強迫的、気が強い、怖いもの知らず...、などが代表的なのですが、めちゃくちゃ「自信家」かつ「ナルシスト」であったとも言われております。

また自らを神の遣いと称し、誇大的で「特権意識」を持ち、しばしば支配的で傲慢な態度をとっていたそうです。

ジャンヌ・ダルクは民衆から圧倒的な支持を得ていましたが、このような傾向から軍の中でも反感を持つ者はおり、彼女がイギリス軍に囚われた時シャルル7世が彼女を助けなかったのも彼女の傍若無人な振る舞いが影響したと言われています。

ただし、この説は先ほど紹介した「摂食障害説」を唱えたメアリー・キャサリン・ゴードンが主張している説であり、正直言って信憑性には疑問符がつく説なのです😅


6.正常者説

病跡学的研究がある一方、ジャンヌ・ダルクの精神疾患説について批判的な解釈もあります。

この批判の根拠としてシャルル7世が精神疾患、すなわち狂人について詳しかったことが挙げられます。

ジャンヌ・ダルクを受け入れたシャルル7世のその父親、すなわちシャルル6世は精神疾患に罹患しており「狂気王(le Fol)の二つ名を持っておりました。

Français : Charles VI (1368-1422), roi de France: Gillot Saint-Evre

余談ですが、シャルル6世は「ガラス妄想(自分の体がガラスでできていると思い込む妄想)」という珍しい妄想に悩まされておりました。

もしジャンヌ・ダルクが精神障害者であるなら、狂人を知るシャルル7世が見抜けないはずがない...、と言うのがジャンヌ・ダルク精神疾患説を批判する材料となっております。

また火刑に処される前の裁判の時の記述においても、ジャンヌ・ダルクは堂々と澱みなく質問に答えていたそうで、統合失調症のような精神障害でおこる異常な言動はなかったそうです。

このような根拠から現在のヨーロッパにおいては「ジャンヌ正常説」が有力視されているようです。


【鹿冶の考察】

600年以上前の…、しかもたった3年しか歴史の舞台に現れなかった人物であったにも関わらずジャンヌ・ダルクに関する資料は数多く残っており、それゆえこの様な病跡学的な考察も多数出現しました。

特に欧州では前述のように「ジャンヌ・ダルクは正常だった」と主張する学者が多いようですが、この意見にはちょっと注意が必要です。

ジャンヌ・ダルクの生涯でも紹介しましたが、1920年に 教皇ベネディクトゥス15世がジャンヌ・ダルクを<聖女>の列に加えました。

要するにカトリック教会はジャンヌ・ダルクを「神格化」しちゃったのです。

「聖人」と認めた人物が実は「狂人」であった...、などという話をキリスト教圏である欧州の人々が認めるのは容易なことではないでしょう。

従って1920年代以降にパブリッシュされた学説の多くにバイアスがかかっていると思うべきと感じます。

実際ジャンヌが聖女に加わる前の19世紀においては、フランスの精神科医・医学史研究者であるCalmeil LFがジャンヌ・ダルクのことを神秘妄想(仏: théomanie)と診断を下しております。


<ではジャンヌ・ダルクは何の病気だったのか...?>

小生が思うに…、やはり統合失調症説が有力でしょう。

統合失調症説への反論として、「幻視は統合失調症においては典型的でない」という意見があります。

たしかに幻視は統合失調症において珍しい症状なのですが、ジャンヌが幻視を体験したのは13歳。

実は児童・思春期に発病する統合失調症は、しばしば幻視(人の影、悪魔)を伴うことが知られております。

また幻聴については統合失調症にしばしば見られる「命令幻聴」であり、誇大妄想、守護妄想、神秘妄想なども統合失調症患者に現れます。

特に命令幻聴に基づくジャンヌ・ダルクの行動化は統合失調症の「させられ体験(作為体験)」のようにも受け取れます。

加えてジャンヌ・ダルクは非常に好戦的であり慎重に作戦を遂行すると言うよりは、「突撃あるのみ!」と相手をボコすことしか考えておりませんでした。
戦闘中に矢を受けて負傷した時も、すぐに鮮烈に戻って戦闘を指揮したそうです(まさに狂戦士...)。

このような猪突猛進な態度や痛みに対する耐性は統合失調症の精神運動興奮状態でしばしば見られます。


<妄想は世界を変える>

最後に社会学的観点から妄想について語りたいと思います。

ジャンヌ・ダルクが生きた15世紀フランスは100年戦争という長い膠着状態下、社会は行き詰まり閉塞感が漂っていたと思います。

戦争、ペストなどの疫病、魔女狩り...、まさにカオスで見通しの立たない沈鬱な時代...。

そんな混沌とした時代に祖国フランスを救うべく突如として現れたのが聖女ジャンヌ・ダルクでした。

ジャンヌの功績は賞賛されるべきものですが、農民出の者しかも少女が何故そのようなことが可能であったのか...?

それはおそらく妄想に裏打ちされた"絶対成功する"という揺るぎない自信がこの偉業を成功に導いたのではないでしょうか。

乱世においては例え妄想であっても指導者の自信こそが人々の考えや行動を変えていくのです。

そうです、妄想は世界を変えるのです!

東方遠征やギザのピラミッド建築などの偉業は、最初に提案した者が少しでも気持ちがブレれば成就しなかった誇大妄想でしょう。

アレキサンダー大王やクフ王も、オルレアンに向かったジャンヌと同じ目をしていたのではないでしょうか。


↓映画「ジャンヌダルク」、リュック・ベッソン監督でしたよね。


【まとめ】

・フランス救国の乙女ジャンヌ・ダルクの精神疾患説について解説しました。
ジャンヌの疾患仮説としては、てんかん説、統合失調症説が有名ですが、このほかにも摂食障害説、トランスジェンダー説、自己愛性パーソナリティ障害説などがあります。
しかし近年の学説ではジャンヌ・ダルクは正常であったという説が有力です。
ただしこのジャンヌ正常説はカトリック教会が彼女を「聖女」とみなしてからの話なので、バイアスがかかっている可能性があります。
・小生はジャンヌ・ダルクは統合失調症であったと思います。
・統合失調症の妄想は混沌とした時代の希望の光となり得るかも知れませんね。


【参考文献など】

1.Joan of Arc-Hearing Voices. Schlidkrout B, Am J Psychiatry, 2017

2.Undiagnosing St Joan: She Does Not Need a Medical or Psychiatric Diagnosis. Phillips J et al., J Nerv Ment Dis, 2023.

3.American Psychiatric Association.Schizophrenia. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (DSM‑5), 5th ed. Washington, DC: American Psychiatric Association, 2013:99-105.

4.Gordon M., (2001): Joan of Arc. London: Phoenix.(amazon)

5.Pernoud P., Clin M., (1998): Joan of Arc. London: St. Martin’s Press.(amazon)


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