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指導者と精神医学(5) "戦国三英傑" 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康を精神医学的に考察!

こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です。

シリーズ「指導者と精神医学」も第5回目を迎えました!

これまでは海外の指導者を精神医学の観点から考察してまいりましたが、今回はいよいよ日本の指導者にスポットライトを当てたいと思います。

"日本の指導者”と聞いて様々な人物を思い浮かべると思いますが、おそらく戦国時代における三英傑「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」は上位に入るのではないでしょうか?

信長、秀吉、家康を比較する際、

信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」
家康「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」

…という句が引き合いにされるように、三英傑の性格は三者三様のようですね。

(ちなみにこれらの句はそれぞれ本人らが詠んだというのは間違いだそうです)

そこで、「指導者と精神医学」の第5回目では断片的な記録に基づき、「三英傑のメンタルヘルス」を精神医学的に考察したいと思います。

果たして三英傑は精神医学的にはにどのような人物であったのでしょうか?



【三英傑のプロフィール】

織田信長: 天文3年(1534年)尾張国に出生。戦国時代から安土桃山時代に活躍した大名。桶狭間の戦いや長篠の戦い等で勝利し、天下人となる。天正10年(1582年)、本能寺の変にて明智光秀に謀反を起こされ自害した。


豊臣秀吉: 天文6年(1537年)に出生(出自は不明とされる)。戦国時代から安土桃山時代に活躍した大名。織田信長に支え、本能寺の変では「中国大返し」にて宿敵明智光秀を討つ。その後、柴田勝家、島津義久、北条氏などを次々討伐し天下人となる。慶長3年(1598)年死去。


徳川家康: 天文11年(1542年)に三河国にて出生。戦国時代から江戸時代に活躍した大名。大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼし、天下統一を果たす。慶長8年(1603年)、征夷大将軍に任命され江戸幕府を開く。


【クレッチマーの性格類型】

"戦国三英傑を精神医学的考察”…!と大風呂敷を広げたものの、数百年以上前の人物の性格分析をするのは至難の技です。

その理由は偉人たちのエピソード(武勇伝)は、後世の人々が”盛っている”可能性があるためです(逆に過大にディスっている場合もある)。

そこで今では廃れてしまいましたが、大精神医学者のエルンスト・クレッチマーが提唱した、体型に基づく性格分類である”クレッチマーの性格類型”を元に三英傑の性格を分析したいと思います。

<クレッチマーの性格類型型とは?>

性格・人格・気質を体格・体型によって分類したもの。

具体的には以下の3つに分類される。

<クレッチマーの性格類(性格気質)>
1.細長(無力)型: leptosomatic 分裂気質 schizothymic 分裂病質* schizoid
2.肥満型: pyknic 循環気質 cyclothymic 循環病質** cycloid
3.闘士型: athletic 粘着気質 viscous てんかん病質*** epileptic

<性格気質の特徴>

1.分裂病質: 統合失調症の病前性格

A: 非社交的、静か、控えめ、内気、生真面目、変わりもの(変人)

B: 臆病、恥ずかしがり屋、敏感、感じやすい、神経質、興奮しやすい、自然や書物に親しむ

C: 従順、お人好し(気立てよし)、温和(正直)、落ち着き、愚鈍(鈍感・無関心)

2.循環病質:躁うつ病の病前性格

A:社交的、善良、親切、温かみのある(温厚)

B: 明朗、ユーモアがある、活発、激しやすい(怒りっぽい)

C: 無口(寡黙)、平静、陰鬱(気が重い)、柔和(気が弱い)

3.てんかん病質: てんかんの性格

頑固(融通が効かない)、粘り強い、几帳面、鈍重、爆発性


【織田信長のメンタルヘルス】

先ほど紹介した句「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」から想像するに、短気で冷徹というイメージのある織田信長ですが、果たしてどのような人物だったのでしょうか?

<体型分類による信長の気質>

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偉大な指導者の栄光の影に、苦悩や悲しみあり?歴史上の指導者のメンタルヘルスについて解説!

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