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軟水のたそがれ【フォトエッセイ】

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毎週日曜日の夜に更新 社会心理学の立場から感じたことをツラツラと… 日常が冷たく流れてしまうその前に、身近な温もりに気づいてもらえるような、そんな文章を意識しています。 写…
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#エッセイ

『迷惑をかける』とは「相手を迷い惑わせる」ということで、頼っちゃいけないわけじゃない。

『迷惑をかける』とは「相手を迷い惑わせる」ということで、頼っちゃいけないわけじゃない。

この1週間は、「ここ数ヶ月で子供の自殺が大幅に増加している」というニュースにひたすら心を痛めていた。

※この記事は、2020/11/29に書いたものをリライトしました。

日本の15〜34歳における死因トップは『自殺』という現状がある中で、こうした社会課題を解決するために自分がすべきことは何か?と、色んな悲しみを想像していたのがここ最近の僕だ。

マクロな視点ではなく、目の前の人に対して、ミクロ

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【最終回】必要とされるよりも必要とする自分で在りたい

【最終回】必要とされるよりも必要とする自分で在りたい

2019年3月からおよそ2年間、毎週(日)の夜に更新してきた【軟水のたそがれ】

数にして、111本。

今回で区切りをつけて、一旦、最終回と致します。

最後の最後で、更新が月曜日になってしまいました。すみません。。。

ただし今後も、毎週(日)の夜にnoteを更新することは続けて参りますので、また読んでもらえると嬉しいです。

新しいマガジンのタイトルは…

【朝陽を待ち侘びて】

これにしま

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義理だけの世の中なんて御免こうむる

義理だけの世の中なんて御免こうむる

人間味があって筋の通った人のことを、「あの人は義理人情に厚い」と表現することがある。

”義理”と”人情”には、互いに相反する意味があるからこそ、どちらを選ぶべきか?という葛藤を乗り越える強さとやわらかさを持った人に対して、この言葉を向けるのだろう。

”義理”とは、他者との関わりの中で行うべき道徳や規範。

”人情”とは、人の自然な情愛。

例えば、江戸時代に人形浄瑠璃の脚本を書いた近松門左衛門

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夜明けを待つ

夜明けを待つ

毎週(日)の夜に更新している【軟水のたそがれ】

この文章を書いている今は、月曜日の夜。

昨日から3回書き直し、結局どれもボツにした。

書いても書いても、自分にウソをつくような内容になったり、悲壮感が漂う内容になってしまったから。

構ってちゃんをしたいわけではなく、ただただ自分を整えたいだけなのに、その踏んばりがきかない自分がいる。

なので今回は、朝に撮った写真と共に夜明けを待とうと思う。

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必要とされる人になるためどんな役を演じようか

必要とされる人になるためどんな役を演じようか

昨日、いつものように笠岡の港で写真を撮っていたら、その風景にわずかな"飽き"を感じている自分に気がついた。

ついにきたか…と、ちょっぴり寂しい気持ちに。

それは、「新潟から移住してきた人」というポジションに間もなく終わりを告げ、ある種の"ボーナスタイム"が終わったことを意味するからだ。

岡山のソトから来た人から、岡山のウチに馴染んだ人へと、やるべきことがゆるやかに変わっていくという、今はそん

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日本人の奥底に根付いている『清き明き心』を僕らは忘れてしまった

日本人の奥底に根付いている『清き明き心』を僕らは忘れてしまった

僕ら日本人は、「清らかであること」を美徳と捉えることが多い。

清らかさとは、曇りなく晴れ渡り、爽快で清々しい(すがすがしい)状態を指す。

正直さや誠実さ、思いやりの精神や忠実な姿勢を忘れずにいることが、僕らの誇りとなっているんだ。

その反対に、裏切りや卑怯な行い、私利私欲を尽くした思いやりのない行動は「きたないこと」として、忌み嫌われるだろう。

こうした感覚は僕らの中で当たり前に存在してい

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もっともっと強くあるために忘れたくないこと

もっともっと強くあるために忘れたくないこと

僕は普段から柔和な姿勢を大切にしているけれど、その内側には『強さへの意志』が明確にあると感じている。

一方で、「正しさ」を求め争うことや、「優劣」を決めるために競うことへは、いっさい興味がない。

強さや弱さと向き合って、逃げずに立ち向かい、戦っていたい。

上に立つことがあったり、下で仕えることがあってもいい。その立場に囚われることなく、ただただ強くなりたい。

『戦う』というと暴力的なイメー

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ピュアな気持ちを忘れない

ピュアな気持ちを忘れない

「俊和なら大丈夫!」と思ってもらえる人に、僕はずーっとなりたかった。

***

6年ほど前、東京で一人暮らしをしていた僕は、新潟の実家で暮らすという決断をした。

姉夫婦や、その子どもたち(2人の姪っ子)との仲を、大切な家族との関わりを、深めたかったからだ。

それ以前の姉との仲は、互いにどこか放任的で、「まぁ、あいつはあいつで好き勝手に生きてるだろう」みたいな関係だった。

だけれど、その関

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人を憂う気持ちは永遠に刹那に深まっていく

人を憂う気持ちは永遠に刹那に深まっていく

ここ最近は毎日、港の景色を眺めている。

チャリですぐ行ける距離に海があるという今の環境は、子どもの頃の僕がずっと憧れていたものだ。

美しい景色と出逢う度に感じるのは、この時間が永遠に続けばいいのに…ということ。

その一方で、「もしこの陽が沈まなければ、明日がやって来ることもないよな」と、その景色の移ろいを肯定し、受容し続けている。

もしかすると『永遠』とは、「変わらずに続くことでそこにある

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自由と安心と、愛するということ

自由と安心と、愛するということ

本日は『愛するということ』について、おもいを綴ってみたい。

僕らが愛という言葉を目にした時に思い浮かべるイメージは、「恋愛」「親子の愛」「親友との友愛」「性愛」「神からの寵愛」など、多岐にわたる。

今回は、どんなかたちの愛であっても共通するような普遍的な愛について、そして『愛するということ』という行動について、考えてみたい。

愛するということは、愛する人(愛したい人)を、今よりも自由にして差

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僕が発信を続ける意味とは・・・

僕が発信を続ける意味とは・・・

Twitterを中心に自分のことを発信し続けて、2〜3年が経った。今ではこうしてnoteもつらつらと書いている。

僕が発信を続ける意味とは、いったい何だろう?

***

そこには当然「この気持ち、分かってくれー!」という自己顕示欲がある。

それと同時に、自分の言葉が誰かの心へ染み込んだと感じた瞬間にたまらなく嬉しくなるような、貢献心を満たしたいという欲求もあるだろう。

・・・ただし、僕は目

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違和感の正体はお互い様の欠如

違和感の正体はお互い様の欠如

日常で"ささいな違和感"を覚えた時に、僕らがすべきことはいったい何だろう?

放っておく?原因をつきとめる?

いずれにせよ、なんだか『違和感の正体』は僕らの周りをフワフワと漂っている

・・・違和感の辞書的な意味は、「自分の身体に不調をきたすこと」

そして、それが転じて「他者としっくりこないこと」という意味もある

違和感を覚える時というのは、自分と相手の間に流れている空気が淀んでいるような、

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エモさを深く掘り進めて共感を育む

エモさを深く掘り進めて共感を育む

先日は誕生日という節目を迎え、色んな人からお祝いの言葉を頂戴し、様々なSNSを通じて多くの人と交流をした。

ただ、その"人数"には大した意味がないと思っている。

連絡を取ることでその人の表情や好みなどを思い浮かべて、「どんな人か?」という特徴を自分がどれだけ知っているかの方が大切だからだ。

そしてそれは、とても幸せな時間。

そういえば…

「あの時一緒にあそこへ行ったよなぁ」とか、「一緒に

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人間関係は「染まらずに溶け込む」

人間関係は「染まらずに溶け込む」

他者との間に不和は付きものだけれど、人間関係は「染まらずに、溶け込むこと」が大事だと感じている

何かミスをしたり、間違いを犯したり、相手を傷つけるようなことをしてしまったり、、、

他者との間に、ピリ辛な空気が流れることもある

その時に僕らがすべきことは、いったい何だろうか?

「ごめんなさい!」と、とにかく謝ること?

罪悪感を抱きながら、相手の顔色を伺って、ペコペコし続けること?

・・・

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