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違和感の正体はお互い様の欠如

日常で"ささいな違和感"を覚えた時に、僕らがすべきことはいったい何だろう?

放っておく?原因をつきとめる?

いずれにせよ、なんだか『違和感の正体』は僕らの周りをフワフワと漂っている

・・・違和感の辞書的な意味は、「自分の身体に不調をきたすこと」

そして、それが転じて「他者としっくりこないこと」という意味もある

違和感を覚える時というのは、自分と相手の間に流れている空気が淀んでいるような、そんな感覚を僕は覚えている

けれど、僕らはその感覚を「こいつなんか違うな…」という、『他者の人格』や『お互いの相性』の問題で、片付けようとしがちだ

時には、自分自身を責めてしまうこともあるかもしれないね

ちなみに

違和感の”違”には、「間違っている」「ある状態からずれていて正しくない」という意味がある

つまり違和感を覚える時というのは、"和"からずれている状態

自分の中に穏やかさがなくて、心が乱れていたり、お互いのことを大切に思い合えていない状態

ひらたく言うと、なんだか心地の良くない、フワッとした状態のこと

・・・違和感を覚える時には、僕とあなたの間に流れている空気が淀んでいたり、自分の心の状態が間違ってしまっているんだ

自分も相手も、悪くないんよね

心の状態が、整っていないだけ

そのフワッとした空気は、お互いの思いやりある行動で、じわりと醸成していくもの

なかなか簡単じゃないけどね

そのフワフワ感を水に流してしまいたくなって、「誰かが悪い!」という原因を求めがちだけれど…

それで、その淀みが清らかになるわけじゃない

ただただ調和がとれていなかったり、流れが滞ってしまっている

自分の気持ちに嘘をついて、輪を乱すまいと、空気に流されて周りに同調してしまったりさ、、、

協調して、周りのことを大切に想った上で、安易に同調しないことこそが、和の精神

コミュニケーションの仕方が、なんだか間違っていたりさ、、、

(例えば)

自分の感想を投げかけるだけの、一方通行になってしまうと

言葉のドッチボールになってしまって、キャッチボールができていない

にも関わらず、「相手が自分のボールを取ってくれない」
と、違和感を覚えることもある

お互いに、本音を言い合えないような空気感だったりさ、、、

建前ばかりでなく、自ら本音を話さないと、相手も本音を言い出しにくい

それは、お互い様だよね

そんな状態から、調和は生まれないんよね

僕自身も、他者と協調することを大切にしすぎて、自分についての話や私見を、奥にしまってしまうことが多々あるんだ

その結果、あとから違和感を覚えて、自分はダメダメだ!と責めてしまうこともあった

・・・だけどやっぱり、違和感を覚えた時には、自分や相手の『人格』まで否定してしまわないことが大切だと思う


「何かがおかしい・・・」というフワフワ感に気づけたのなら、これからは、自らの行動で和に向かって踏み出すことができるはずだ

そのボールは取りにくいから、投げるスピードを落としたり、投げ方を変えてほしい!と、伝えることだってできる

空気は、お互いの思いやりで醸成していくもの

空気をかき回すために、自ら風を起こす時もあれば、冷え切った空気を温めるために、周りに頼ることも必要

違和感の正体はきっと『お互い様の欠如』だ

違和感を覚えた時って、お互いの間に流れている空気に、不和が混じってしまっているだけだったりする

その不和は、空気が温かければ温かい時ほど、穏やかにほぐしていくことができるんよね

放置して、どちらか一方のせいにして、空気が冷えれば凝りが固まってしまう

その際、淀んだ空気をとにかく清らかにしよう!と、正しさに流されるのではなくて

・・・その淀みを流動させるために、

「自分がどう動いて、風を起こすか?」

「コミュニケーションの間違いを水に流して、関係をどうやって温め直すか?」

こういった己の行動を、なめらかに整えて、心を養っていきたいと僕は思う

・・・本日は以上です

読んでいただきありがとうございました(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者のツイートを深堀りするエッセイです。
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