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義理だけの世の中なんて御免こうむる

人間味があって筋の通った人のことを、「あの人は義理人情に厚い」と表現することがある。

”義理”と”人情”には、互いに相反する意味があるからこそ、どちらを選ぶべきか?という葛藤を乗り越える強さとやわらかさを持った人に対して、この言葉を向けるのだろう。

”義理”とは、他者との関わりの中で行うべき道徳や規範。

”人情”とは、人の自然な情愛。

例えば、江戸時代に人形浄瑠璃の脚本を書いた近松門左衛門の作品には、義理と人情の相克に苦しむ町人の生き様が描かれている。

好きな女性と一緒になりたいという人情と、その恋を貫けば恩人や友人を裏切ることになるという義理との葛藤に苦しむ主人公が、女性とともに心中するというストーリーに描かれている。

「人としてこうすべきだ!」という”義理”は社会の秩序を守る上で必要だけれど、僕ら1人1人が誰かを愛する気持ちが、その”人情”が、この社会で人と人の温かな繋がりを育んでいることも間違いない。

世の中はもっともっと人情で溢れていいし、義理だけで動くのは違うなと、僕は思う。

だからこそ僕は、義理に流されて自然な情愛を水に流してしまうようなことはしたくない。

受けた恩恵に報いるという義理堅さを大切にしながらも、堅苦しくなってしまった義理を、やわらかな人情で中和するということを、忘れたくない。

例えば、年始になると年賀状を送り合う文化には、お世話になった方への恩返しや新年に向けた挨拶という意味合いがあるけれど、「建前として送った方がいいかな…」となってしまえば、そこに人情はないだろう。

そこに人情があれば、年賀状でなくとも、恩に報いることはできるし愛を伝えることもできる。

・・・凝り固まった義理は、僕らの人情にフタをしてしまう。

新年に「明けましておめでとう」と年賀状を送るのは”義理”だけれど、もし相手が喪中ならば、めでたくはないから、今年は送らず別の手段で相手を大事にしよう…と思いやるのが”人情”だ。

「義理と人情、どちらの方が大切か?」ということを言いたいのではなく、他者との関係性を育む上で、今必要なのはどちらか?ということを考えて行動したい。

先輩と後輩、上司と部下、というような「上下関係」が重視される関係性においては、自らの感情を抑えて義理を守ることで、互いを敬い秩序が保たれる。

一方で、親と子、男と女というような「水平関係」が重視される関係性においては、自然な情愛から生まれる真心から親しむことで、互いを敬い秩序が保たれる。

かつては親と子も「上下関係」であったが、現代は「水平関係」に近づいているように思う。

どちらにせよ、互いを敬い合っていれば、それでいい。

・・・関係性を育む上では、義理が大事なこともあれば人情が大事なこともあるのが現実だ。

そのバランスが難しいからこそ、僕らは人間関係に悩みを抱えてしまう。

どれだけ情け(なさけ)をかけたとしても、相手がこちらに対して情を抱くかどうかは分からない。

どれだけ義理を尽くしても、こちらが大事にしている理(ことわり)を相手も大事にするかどうかは分からない。

だからこそ、自分はどんな人情を抱いたのか?どんな義理を尽くそうとしたのか?という意思を忘れずに捉えておきたい。

義理に流されず、人情にフタをせず、「互いの関係性を温かくするために自分は何をすべきか?」という疑問を、自分に問いかけていきたい。

今年も、一人一人との関係性を大切に。

・・・読んでいただきありがとうございます(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするエッセイです。
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