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歴史記述の権力と、時代の最前線。

『君は今、ものすごく時代の最前線にぶつかって闘っていると感じるなあ。』

そう言われました。

大学生時代、ジャズ研のサークル界隈で知り合った、変わった雰囲気を持つ、他大学の同級生です。

それほど頻繁に話さないのですが、何か不安定な社会の空気になったときに、疑問や吐露を某SNSに投稿したりしたらたまにコメントをくれたりして、深い部分まで話をしたりします。

数日前も、昨今の情勢について某SNSで吐露したことに対してコメントをくれて、そこから数年ぶりに直接通話して色々と語らいました。

音楽学や文学にも精通していて、最近の僕の音楽史系の発信についても見ていてくれたようです。僕は某私立大出身で、向こうは某国立大出身。知識も彼のほうが断然持っています。

曰く、「君のやっていることについて、半分は応援するけど、半分は危ないと思っている。むちゃくちゃ危険なラインにいる」との指摘。

結局、学術研究やアカデミズムが何故あれをやれなかったのかというと、歴史を記すという行為自体の権力性・危険性を自覚する段階に来てしまっていて、迂闊に手を出せないかららしい。だから、特に音楽学の論壇に居る人ほど、アレに否定的な視線を注ぐのだと。なかなか手を出せない領域に、僕は手をつけてしまったというようなことらしいです。

あまりに難解なことは僕にはわかりませんが、実際そういう実感もあって、学術研究ではあの通史や図表をまとめることはできなかったと思います。趣味の個人研究だからこそやってしまえたことであり、つまりは科学的なものではなく個人の表現であるということは自覚してました。そして、このnoteでの音楽史のシリーズにて、音楽史本編に入る前に複数回の記事にわたって長々と書いた序章の部分で、言語論的なジャンルの捉え方だったり、歴史記述の不確実性についてはある程度触れたことではありますが、それでもなお音楽史本編で明快に歴史を断定的に記述していったようなことに対して、おそらく「危ない」ということなのでしょう。わかります。

ただやはり、シンプルに疑問として、純粋に音楽史を調べたときに「クラシック音楽史」しか出てこず、順に追ってもジョン・ケージまでしかたどり着かない。逆に、「ポピュラー音楽史」を調べて遡ってみても、クラシックにたどり着かない。そういう単純な音楽の疑問を解決するのに、あの形しかなかった。僕はそう確信しているし、その点については通話先の彼もわかってくれていて、例の図表については「どこかのタイミングで出てくるべき表だった」「誰かがやるべきだった」とも言ってくれました。

まあでもやはり、純粋な興味から出発していても、深堀りすればするほど西欧植民地主義だったり戦争・差別・思想などの領域に触れることになってしまい、「ここまでくると、音楽の話ではなくて既に政治思想の領域だよ」と言われましたが、そうなると僕が一体何をどこまで目指すのかという話になってくる。

彼は平均律の話を理由にしてバッハを起点とする歴史観を支持していて、そのあたりを批判している僕の書き口についても疑義を呈されました。

(一応、僕の立場で言えば、シンプルに時系列を考えたら、バロックというのは16~17世紀イタリアオペラの誕生から始まっていて、18世紀のバッハはバロックの中でも後期である上に、音楽性も亜流である。著名な作曲家の数を見ても、当時はイタリアが断トツ。ということを再記述しておきます。)

このように、個人の立場が入りすぎているという指摘は図表ツイートの感想でもたまにありましたからね(まあ個人研究だからね、当たり前)。

僕は別に、個人の意見として立場が異なれば反論するだけであって、議論が起こるのは良い事だと思うので、「僕の図や記事を引用して、同じようにnoteなりブログなりで全然問題点を指摘する記事を書いてくれてもいいよ」と言いました。

すると、「いや、まったくその通りで返す言葉がないんだけど、やっぱり迂闊に記述できない段階にあるから難しいんだよなあ…」と唸っていました。笑

だからこそまあ、「危ないラインにありながらも、すごいことだ」というような評をしてくれたのかな。

そして、冒頭の「最前線にいる気がする」について。

明らかに時代の変わり目にある現在。明治維新から第二次大戦終戦までと、第二次世界大戦終戦から2022年までの期間がちょうどまったく同じ年数ということもあり。パンデミックや戦争で世界の勢力図もまた変わってくる予兆もあり。

そういった中で、星野源さんが音楽史の偉人を取り上げる番組をNHKで放送し、J dillaやガーシュウィンを取り扱ったり。YouTubeのみのミュージックのみのさんもポピュラー音楽史の本を発売し、さらに現在日本音楽史を題材にした2冊目を執筆されているとのことで(僕もこのあと日本音楽史に目を向けるにあたって参考にしたいので非常に楽しみなのですが)。

何か同時多発的な問題意識の流れを何となく感じます。

以前、Twitterか何かで僕が『音楽史の図表の中では、クラシック史とポピュラー史がオーバーラップしている戦間期が1番興味深い』みたいなことを言っていたのだと思いますが、それについて通話先の彼も『今このタイミングで20世紀前半の戦間期や大正時代のあたりに注目するべきなのは大正解』と言っていました。

最近、『僕はたまたま音楽についてクラシック史とポピュラー史に疑問を持ったけど、同じような構造が美術史や文学史にも起こっているのでは?』と、門外漢ながら発想が起こり、通話した手前のタイミングでたまたま日本近代文学史について入門をかじってみていたところで、図らずも複数の興味と時代趨勢がリンクした感覚を覚えました。

何か、うまく言えないですが、そういうタイミングなのだと思います。今。

19世紀の植民地主義で確立した西洋中心的価値観と、戦後の冷戦的な構造の上で成立していたアメリカ的な文化。日本だと明治維新での大幅な文化の変化と、敗戦を経ての変化。そして、戦後という期間からまた変わろうとしている現在。そのあたりを総括するタイミングに差し掛かっているというのが、図らずも音楽について調べたことで見えてきてしまったのかもしれないです。正直、数百人程度のフォロワーのnoteや数千人程度のTwitterで喚いてるだけのネットイキリなので、影響力なんぞ大したことないですが、「最前線にいて闘ってる」と形容してくれた真意はそういうことなんでしょうかね。深い意味はわからないですが。

こう、いろいろ議論してくれる同級生は貴重な存在ですし、独自の意見をぶつけてくれながらも、大きくは僕のことを応援してくれたので、ありがたかったです。

いろいろ難しいですが、この時代をうまく生き延びていきたいものです。


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