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わたしには体力が足りない
何もかも、投げ出してしまいたい夜がある。
ひとり、ベッドに横になって見上げた天井には染みが多く、それがわたしの不安と、えも言えぬ焦燥感を引き立たせる。
どうも。久しぶりの文章です。
あっという間に日常が過ぎていきます。わたしの周りの環境も、色々と変わりました。時の暴力的なまでの速さに振り落とされないように必死でしがみつくしかできない、今日この頃です。
日常に殺されないようにしたい。
それが結
分かりやすくも、分かりにくくも、言語
苦しい。
しんどい。
でも、「何が」わたしを苦しめているのかわからない。
こんなことはないだろうか。
生きていくうえで、漫然とした辛さがある。なんとなくしんどい。この気持ちは何だろう。
言葉に重きを置くわたしにとって、こんな言葉はただの逃げであることはわかっている。
わたしは今日も書く。自分を引き受けていくのは、今日も明日もこの先も自分でしかないから。自分の気持ちには、自分でしっかり蹴りをつけ
過小評価を恐れるわたしは、今日もひとりコンビニスイーツを喰らう。
一昔前の携帯小説的タイトルを引っ提げてみました。
わたしは最近になってちょっとした気づき、いわゆるプチ発見をした。それは、わたしなりの機嫌がいい時と悪い時のバロメーターを言語化してみましょうという、心理学的アプローチに基づいて自身についてリスト化していた時のことだった。
うきうきメーター
7(MAX) じっとしていられない、どこかに行きたくなる
6 本やグッズをどかどか買う
5 やたらと人と
HUMMERの三輪車への今は亡き郷愁
大は小を兼ねるというのは、本当だろうか。
例えばカゴや鍋のレベルなら分からなくもない。しかし機能性を重視するがあまり大きな洗濯機を買うと、所定のスペースに置けないことがある。大型車と軽自動車じゃ用途が違うかもしれない。
大人は子供時代を経験しているから、子供の気持ちが分かる、とも限らない。
誰かの経験一つとっても、他者と絶対に同じになることはない。例え似たような経験をしていても、である。
だか
そういう考え方もある
断捨離出来ないタイプである。
物も、人との関係性も。人から貰ったものは、どれだけ些細なメモであっても捨てることが出来ない。出来ることならずっと手元に残しておきたいし、絶縁することなく多くの人の傍に居たい。しかし現実、それは不可能だ。出会いがあれば、別れがある。使わなくなった物が押し入れの奥底に眠り、やがて忘れ去られていくように、人との関わりも、使わなければ切れていく。勿論意図的に切るようなことが
なんて世界はままならぬ!
わたしの敬愛する人物のひとりに、お笑い芸人「ピース」の又吉直樹氏がいる。彼はつい最近、YouTubeのとある企画の中で、「自分の人生に期待し過ぎない」ことを説いていたが、日々色々と考えてしまうわたしにとっては最大の救いとなる言葉だった。
人間、他者と関わっているうちは、自分の思い通りに完全になる瞬間など微々たるものに過ぎない。何が起きても、「まあそういうこともあるよな」と心を凪のようにして過ごすの
ついに終わってしまった…
昔から、「選択」と「喪失」にばかり着目した物語を書きがちだった。
現在進行形で書いている話は、それとは少しテイストが違うのだけれど、今でも何かを選択すれば、喪失がやってくること、それが怖いのに変わりはない。
小さい頃からよく家族に、のろまだの愚図だのと言われてきた。のろまや愚図と言われなければならなかった所以について改めて考えてみると、わたしの属性として、「物事の取り掛かりが遅い」というのがあり
ファッション絶望したくない!
月曜日。また、新しい1週間が始まる。
にもかかわらず、校舎に入ってきた小学生の少年Aくんはやけに憂いを帯びた表情をしていた。
「どうした?なんでそんなテンション低い?」
聞けば、塾のテキストの終わりが見えないことに絶望しているらしい。
「塾のテキスト、まだこんなにある…」
そりゃ、始まったばっかりだしな。新学期。
「学校の宿題も多いんだよな…」
それはお気の毒に。頑張ってくれ。