ご報告

お久しぶりです。
細々と創作活動を続けてきたのですが、ここ最近のメインの仕事、つまり会社員としての激務が祟りまして、持ち前の双極性障害を再発させてしまいました。

昔からひとつのことを集中してやる、っていうのがどうも苦手で、協調性もなくて、偉い人に唯唯諾諾と従うのも苦手、というどうしようもなく社不なわたしを拾ってくれた会社には感謝しかないのですが、もう恐らく数年で限界がくるだろうなという印象です。
もともと業界としてもあまり未来が明るい印象はないので、数年以内には離れるつもりです。
……在宅ワークしたいな。
コロナ禍において外出の機会はめっきり減りました。もともとは結構外に出るタイプだったのですが、ひとり暮らしを初めて半年強。すっかり家に居着いてしまった今日この頃です。
この環境、ほんとたまらんのですよ。

さて、問題なのは、会社を離れて何をするのか、ということです。
潜在的な能力がある訳でもなく、やりたいこと(職業として、恒常的に)がある訳でもない。まぁとりあえず病気を治せ、ということなのですが。この病気というのがまぁ厄介で、毎日人生サイコー!!いぇーい!!!という高揚感と、米津玄師が懐メロになる前に何かなさねばという謎の焦燥感と、生と死の狭間を揺蕩うしかないどん詰まりの日々を往還しながら生きていくというもので、なかなか難しいな、と思います。

いつも生きづらくなると、失敗したな、という思いが頭を過ぎるのです。
また上手く擬態できなかった、鍍金の皮が剥がれた、他人の真似ができなかった、という様に。

わたしは心の中に芥川がいます。
生きにくくなると彼の存在がどんどん頭をもたげてきます。
そしてわたしに言うのです。
お前の幸せはまだ遠い、と。

いいのだよ。
どうにせよ幸せかどうかなんて考えている間は、きっと幸せではないのだから。

敬愛する中村文則氏は、作中でよく「幸福は閉鎖だ」と語る。
その通りなのだ。残念なことに、この時代に幸福を求めることは、閉鎖的であり、排他的な行為で有り得るのだった。

どうしたものか。
開放的な幸福はないものか。
なんとか他所に気を配りながら、世界全体で幸福になっていく方法はないのだろうか。
またしても思いを馳せてしまう。
そのうちはまだ、わたしはわたしであると思う。
そして今日もこうしてひとり、駄文を連ねるばかりです。

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新しいキーボードを買います。 そしてまた、言葉を紡ぎたいと思います。