こわいものみたさ

朝が怖い。

どんなに夜遅くに寝ても、朝は等しくやってくる。眠りは強制的な夜の終焉だ。役目を終えた夜たちはひそひそと身を隠し、力強い日が差す。やがて光もショーを終え、闇を運ぶ。そしてまた、一日が終わる。あまりに早すぎるショーだと、感慨に耽ける間も残されてはいない。
過ぎ行く時は、暴力に等しいスピードでわたしの脇を駆け抜けていく。辛さや苦しさを置き去りにするように。その速さに、わたしは耐えることができない。


学校が怖い。

学校は出来る人だけで構成された、社会システムを叩き込むところではない。けれど順応出来ない者から脱落し、落伍者のレッテルを貼っていく。組織というものは、潤滑に動く歯車を求めている。学校は社会の縮図とよくいうけれど、組織という点では社会そのものだ。それでも上手く馴染むことの出来なかった友人は、ビルから飛び降りた。その姿は嫉妬に眩むほど綺麗で、美しくて。そして少し、寂しかった。

人が怖い。

ああでもないこうでもないと他人を評価し格付けする眼差しが、その本人に真っ直ぐに向けられることはない。屈折した尊厳は他者間でしか本来の効能を発揮しないのか?
1人では生きていけないと言っていた癖に1人になっても死なない彼女や、低俗な言葉を並べながら罵っていた相手とにこやかに話すあの人達が生きているのは欺瞞の世界だろうか。わたしにはわからない。
いや、分かろうとしていないだけかもしれない。



老いが怖い。

人は誰でも老いていくものだけれど、居酒屋の前で流れるBGMが琴線に触れるようになってから、急激に大人になった自分を実感する。いつまでも子どものままではいられないのだけれど、必ず死ぬ運命のレールに、いよいよ乗っていることを自覚する。今抱くこの思考も、老いて死んだら全て無になるのだろうか。死という概念そのものよりも、思考が消えることが何よりも危惧すべきことだろうか。



自分が怖い。
何故、今日の自分と明日の自分は同じと言えるのだろう。情報が上手く引き継げただけのコピーではないのだろうか。全く無い話ではないだろう。私は何でも想像出来る。しかし何でも想像出来るというのはその実、とっても傲慢で、本当は何も想像出来ないだけなのではないだろうか。わたしは何かを恐れている。しかし何を?……分からない。


人生はわたしにとって未知のものばかりで、怖いものに満ちている。
わたしはある意味、怖いものみたさで、今日という日を歩いている、のかもしれない。

新しいキーボードを買います。 そしてまた、言葉を紡ぎたいと思います。