「感性を磨く」
何かを始める時に、明確な理由を持って始める人と何となく始めようと思ったから始める人がいる。
俺は何となくそう思ったから始める割合のほうが圧倒的に多い。
何となく始めたことが意外と自分の性格に合っていて継続できたり、面白い出会いが多く、
何となく始めなければ良かった。と後悔していることはないんじゃないかな。
だから最近は、
理由ってそんなに大事か?
と思っている。
そして俺は、何でもかんでも理由を聞いてくるやつが大嫌いだ。笑
もちろん、理由があることは悪いことではない。
明確な理由があるなら、迷うことなく突き進めるからね。
でも、理由が絶対にないといけないなんてことはないし、
理由に縛られる必要もないし、理由を求める必要もない。
むしろ、理由を求めると他人の言葉で語るようになり他人の人生を生きるようになってしまう可能性が高くなる。
だって、理由を求めるって中(自分)にないものを外(他人)で探すってことでしょ。
そしてその結果、
自分の感性が鈍くなってしまう。
自分の感性が鈍くなると、自分の人生なんて歩めないよね。
はじめた理由、好きな理由、良いと思った理由等々、
理由を考え出すと思考に走って他人と比べてしまったり、理由を他人に決められてしまうから他人の人生を歩んでしまうんだ。
何度も書くけど、理由があることは悪いことではない。
ただ、その理由はだれが決めたことなのかが重要。
理由に縛られたり求めたりすると、
理由しか見なくなる。
例えば、
ある人を好きになったとする。
でも、その人の好きな理由を聞くと、結局その人自身を好きなんじゃなくて理由が好きだったりすることが多い。
だから、理由が変わればその人のことを好きじゃなくなる。
こういうことがよくあるから、理由なんてあと付けでよくないか?と思うんだよね。笑
じゃあ、「何となく」のなにが良いのか。
一番は、感性が磨かれることだ。
何となくってつまり直感ってことでしょ。
直感って
今まで生きてきた自分の経験+何世代にも渡って受け継がれてきた遺伝子の経験から生まれるもの。
経験したことがないのになぜか恐怖を感じるものとかは、過去の遺伝子が恐怖を感じる経験をしたからだったりする。
つまり、直感って経験に基づく想像以上の莫大な情報量から生まれているから、
かなりの確立で合ってるんだよね。
もっと書くと、「何となく」という直感って自分の感性でしょ。
だから、「何となく」が自分の中で起きたときって、
自分の感性と向き合える絶好の機会なんだ。
その「何となく」を大切にして行動していくとだんだん自分は何が好きか嫌いかがわかってくる。
最初は難しいかもしれないし苦手かもしれないけど、
その感性を言語化することで、さらに感性が磨かれ尖らせることができる。
結局、思考に走るから他人と比べたり繕おうとして理由を求めてしまうんだ。
そして感性が鈍くなり、自分の人生を歩めなくなる。
「何となく」という直感は思考に関係していないから、そこを尖らせて言語化できるようになれば自分がわかってくる。
考えるな、感じろ。
内側(自分)にある感性を無視しないで理解しよう。
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