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小説|晩産のたしなみ。

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いわゆる晩婚、もしかしたら「晩産」に至れるかもしれない40代のリアルデイズ……。いちコピーライターとして初めて書き残したくなった自分ごとは、苦節9年、不妊治療の行末でした。普通の…
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#エッセイ

DAY32 .  10年目の遅咲きを待ちながら

DAY32 .  10年目の遅咲きを待ちながら

 ふたりめの弟が生まれたとき。すでに弟をひとり従えていた私はもうすっかり母親気どりで、この子の名前は「桃太郎」がいいと言ったらしい。自分にだって、本当はもっとふさわしい名前があるのだと。

 さくら

 5歳の私がなぜか名乗りたがったというその名前は、儚い春の香りがした。

 一年のなかでも、桜の時期が一番好きだ。なんでこんなにも心惹かれるのが、ほんのひとときだけ美しい姿を見せてすぐに散ってしまう

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DAY31 .  今年最後の大勝負

DAY31 .  今年最後の大勝負

 あれだ、あれと同じ感覚。宝くじを買ったときの気持ち。 

 「宝くじなんて、そんなんで運使っちゃたくないし」とか言って、滅多に買わないんだけど。これまで40年以上生きてきて、5~6回くらいは買ったことがある。

 せっかく買っても、「1億円が当たったら」なんてこと、私には全然想像できなくて。「当たったら何を買おう」とか、夢見ることすらできず。とりあえず買ってはみるけど、300円とかしか当たった試

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DAY30.  その闇をも抱くもの

DAY30.  その闇をも抱くもの

 その月曜の朝、私はいつものように遅刻気味だった。もうそんなに寒くはない、まだ暑くもない季節。急げば5分の道のりを、ヒールでぎりぎりいけるくらいの走りっぷりで駅に向かっていた。

 ちょうど、駅まであと一直線となる角のマンションを曲がったところだった。私の行く先、ほんの3メートルほど前に、落ちてきたのだ。

 ダン!!!!!と、大きな音を立てて。男の人が。

「え……」

 颯爽と細身のスーツを身

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DAY29.  すべからく誰を想う

DAY29.  すべからく誰を想う

 やっぱり、あると思う。

 ホルモンに関わる投薬の影響。個人差?気のせい?リスクよりもベネフィット?なんでもいいけど、絶望はする。

 これから数か月、ただひたすらに連続採卵をしていくのだとして。およそ月の半分は、あのモヤモヤと付き合っていくことになるんじゃないの?もしかして。

「弁当ってさ、ちょっとワクワクしない?」

 薄曇りの昼下がり。いつもの草むらを熱心に嗅いでまわる犬にリードを引かれ

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DAY21.  沼の中の泳ぎかた

DAY21.  沼の中の泳ぎかた

 夫がつくるわが家オリジナルの「ラピュタパン」は、私が好きな休日の朝ごはんベスト1、2位を争う。

 単に、食パンに目玉焼きがのっているだけじゃない。バターはもちろん、ケチャップとマヨネーズを夫の加減で絶妙に合わせてつくるオーロラソースをたっぷりと。そこにフライパンで下面だけカリッと焼いた目玉焼きがのって、トーストでほどよく半熟に仕上げられたもの。

 熱々のところへかじりつくと、オーロラソースと

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DAY20.  この世界の愉しみかた

DAY20.  この世界の愉しみかた

 まんちゃん。この子に、名前がついた。ついてしまったと言うべきか。

「お腹にいるときに呼ぶための胎児ネーム? そりゃあ、まんちゃんでしょう」

 夫が勝手に言い出したのを、最初は「なんかヤダそれ」と笑っていたのに。妙にインパクトがあって、それ以外思いつく間もなかった。

 2022年3月26日。妊娠判定日は“今年最強の日”だった。風水だか暦的なものだか、実際のところなんだかよくわからないけれど。

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DAY18.  小さな小さなきらめく卵の物語

DAY18.  小さな小さなきらめく卵の物語

 昨夜遅くまで降り続けた雨の余韻をそこかしこに残す街を、真正面からの太陽がさやかに照らし出している。いつものクリニックへ向かう助手席で思わずスマホを取り出して、カシャーンカシャーンとその光景を撮ってみた。

 2022年3月19日。今日という日は、記念すべき日になるだろうか――密かにそんなことを思いながら。

「ちょっと、何撮ってんの」

 運転席の夫が怪訝な顔をしてこちらを見やる。

「え、いや

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DAY17.   豆ごはんを食べた日のこと

DAY17.  豆ごはんを食べた日のこと

 突然、戦争が始まった。日本で、あきれるくらいのほほーんと暮らしていた私にとっては、本当に突然に。

 右手のスマホには、同じ空の下、遠いウクライナの地で武器配布所に集まった男たちが次々に銃を手に取っていく姿が映し出されている。ダウンジャケットを羽織り、ジーンズを履いた、ごくごく普通の民間人ばかりだ。

 次の動画では、頭に火砲を携えたロシア軍の装甲車が信じられない数連なって大通りを進んでいく。き

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DAY14.  9回目のクリスマス

DAY14.  9回目のクリスマス

「クウホウ、ということですか」

「そうですね。今回の所見からすると……クウホウ、になります」

 医師との会話は、正直それくらいしか覚えていない。流産からもうすぐ4か月、ようやく挑んだ採卵手術を終えての診察室。

 長々といろいろなことを聞いた気がするけれど、最後はこれまで何度も聞いた「次回、生理3日目に来てください」で締めくくられた。結局、得られた情報もその程度だ。今できることはほとんど何もな

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DAY13. たぶん、残念な家事分担

DAY13. たぶん、残念な家事分担

 心も体も健康でエネルギーに満ちあふれているときじゃないと、悲劇なんて書けないものだ。ある人にそう言われたことがある。

 逆に、人はつらいときにこそ喜劇を書くんじゃないか。そのとき彼女はそう続けたけれど、わかったような、わからないような。でも最近になって、ようやくその意味がわかった気もしている。

 表層に出てくる言動とその奥底にくすぶっているもの、それが時々まったく違って、ちぐはぐなのも、どこ

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DAY12.  犬猫のぬくもり

DAY12.  犬猫のぬくもり

 わが家には、猫と犬がいる。男女を女男とは言わないみたいに、犬猫を猫犬と言うと変な気がするのは、やっぱり犬のほうが人間界に根づいた相棒として第一党的なイメージがあるからだろうか。うちの場合は、猫が先住民だ。犬はあとからやってきた。

「犬が飼えるような大人になりたいって、昔から思ってたんだ」

 夫は私の夫になる前、よくそんなことを言っていた。

「自分の子どもは、双子なんじゃないかって気がする」

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DAY10.  タイムラインの世界線

DAY10.  タイムラインの世界線

 子どもがいる未来も、子どもがいない未来も。いまだ描くことができずにいるジレンマの只中で。

 人流が減ったのか、ワクチンの効果なのか、専門家もあまりはっきりとした原因がわからないまま、コロナの新規感染者数は明らかに激減している。

 この9月いっぱいで、とうとう東京の緊急事態宣言も明けるらしい。ここまで長く自粛を強いられ続けると、もはやどこか他人事のようで、私にとってはどうでもいいニュースになり

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DAY9.  愛しのハムサンド

DAY9.  愛しのハムサンド

 クリニックへ向かう道中の私たちは相変わらずだった。家で淹れてきたコーヒーと、コンビニで買ったサンドイッチを朝食にしながら、夫が車を走らせる。

「これ、どれ食べていいの?」

 夫セレクトのラインナップは、それぞれ2つずつ入ったブロッコリー&チキンと、マスカルポーネ入りブルーベリー&クリームチーズ。それから、3つ入りのジューシーハム。

「好きなの食べて」

 いつもの返しがきて、私は重ねて聞く

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DAY8.  意味するもの

DAY8.  意味するもの

 宣告は突然だった。少なくとも、私の体感としては。

 医師たちはきっとこのことを予期して、それができるだけ突然にならないようにと何度も予防線を張ってきたのだろう。

「うまくいく確率は33.3%」「かなり成長が遅い」「子宮外妊娠かもしれない」「これが赤ちゃんを包む胎嚢だとしたら、形がいびつ」「見える位置もおかしい」「一番考えられるストーリーは、このまま流産すること」云々。

 それでもやっぱり、

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