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DAY32 .  10年目の遅咲きを待ちながら

 ふたりめの弟が生まれたとき。すでに弟をひとり従えていた私はもうすっかり母親気どりで、この子の名前は「桃太郎」がいいと言ったらしい。自分にだって、本当はもっとふさわしい名前があるのだと。

 さくら

 5歳の私がなぜか名乗りたがったというその名前は、儚い春の香りがした。

 一年のなかでも、桜の時期が一番好きだ。なんでこんなにも心惹かれるのが、ほんのひとときだけ美しい姿を見せてすぐに散ってしまうこの花なのか。いかにも被虐趣味めいている。

 今年は暖冬だから、きっと桜の開花も早いぞとかなんとか、各局の天気予報士はこぞって盛り上がっていたのに。3月ももう半ばにして、散歩道に並ぶ木々のつぼみはまだ頑なに冬の濃い色みを湛えていて。ときどき汗をかくほどの日が来てはまた凍える日々がぶり返すのを、じっと沈黙のままやり過ごしている。

 私だって。まさか自分が30歳をあっという間に超えて、34歳の晩婚になるなんて、しかもそこから10年も不妊治療をこじらせることになるなんて、思いもよらなかったのだ。いわんや、ほんの数週違いの桜をや。

   * 

 もう、こんな時間か。

 今夜は何にしよう、冷凍した黒米ごはんはまだあったな、野菜室にはこのあいだ衝動買いした菊芋がまだ手持ちぶさたに転がっている、夫には少々大人びた味だったから、今日はじゃがいもと一緒に味噌汁に入れてごまかしてしまおうか、ほうれん草も足しておこう、あとは昨日の夜に低温調理した鶏むねをスライスして、ブロッコリーを茹でて、冷凍のエビもあったな、えごま油入りのマヨネーズで和えようか――

 ひとり、そうしてぐるぐる考えながらシンクにため込んだ洗いものをしていたら。

 つぅーっと、冷や汗がこめかみから首筋を流れていき。足元からぞわりと嫌な気配がせり上がってくる。時空がぐにゃりと歪んだような心地がして、我慢できずに目を閉じた。泡だらけの手をなんとかゆすいで、リビングのソファに逃げ込む。

 久しぶりにやってしまった、低血糖的な何か。パックの野菜ジュースをちゅうちゅう飲んで、こうして少し横になっていれば次第に落ち着いてくる。いつものやつ。

 何の診断も受けてはいないけれど。まだアラサーだった頃、往年の俳優じみたあのディレクターがチームに入って、やたらに高圧的な直しを入れてくる日々が始まり。ある日ぷちっと精神の切れる音がして、初めて自ら定期の仕事を降りた、あのときから。ときどきなるやつ。

 起きる時の条件は、だいたいわかっている。何かを一度に考え過ぎたとき。仕事も家事もわりとマルチタスクはできるほうだけれど、それを焦って一度にぎゅんと圧縮しようとすると、そこでぷちっとエネルギーが尽きる。年に数回のことだから、あまり深刻視はしていない。

 たぶん、思考中毒状態。それでなくても日々の思考はとどまることがない。不妊治療を始めてからはなおさら、自ら調べて考えていかないと何も状況が変わらない断崖絶壁に立たされて。

 結局は、くり返し同じような思考をたどっているだけなのだけれど。やめられない。

 ぼーっと、できない。日々、刻々と、一分一秒をおかず、何かを探し、何かを思考している。

 そのうち無意識に呼吸が浅くなって、歯を食いしばって。ときどき意識して息を最後まで吐き、あごを前後左右に動かしてやって、ようやく澄んだ空気が吸え、上の歯と下の歯がくっつかない正常な形を保てるのだ。人間として。

 まさに、とんとんと階段を下りてきた夫にソファの上から話しかけたときには、もう次の思考に移っていた。

「また低血糖ぽくなった……」

「えー。大丈夫?」

「うん、ジュース飲んで落ち着いてきたとこ。夜ごはんさ、今朝もパンにのせて食べたばっかだけど、また鶏むねのサラダチキンでいい? 今度はごはんとさ」

「いいよー」

「……」

「なに、むうっとして」

「残りもので申しわけないですけど……」 

「えー? 申しわけなくないでしょう。こっちは、おいしいなら何でもいいんだよ!」

 屈託なくそう言って笑う夫は、実際に大好きなカレーライスなら毎日食べてもいいというタイプ。液体塩こうじでつくるシンプルな自家製サラダチキンは、仕上げに塩こしょうをしてオリーブオイルやごま油をかける違いだけなのだが、低温調理ならではのやわらかさとジューシーさで、意外と高評価を得ている。

「ジム行ったから、疲れてるのかな」

「今日はまたしごかれたからね。ちゃんと水分とってー」

「はーい」

 本当は、もうさすがに潮時かと不妊治療を断念しようとしていた私の誕生日、私たちは結婚10周年を迎えて。最後の最後、もう少しだけラストスパートをしようと決めた。

 そして、夫婦でパーソナルジムに通い始めたのだった。完全にノリで。夫が見つけてきたリーズナブルなジムに、私も便乗して。私は齢45にして初めてのジム通いにはまっていた。

「――いち、にい、さん、しっ、ごー、ろく、しち、はち、きゅう、じゅっ! よし、がんばった!」

 20kgある鉄の棒を肩にかついで、たった10回、スクワットをするだけで誉められる世界がそこにはあって。回数を重ねれば重ねただけ、ただただ誉めてもらえて。

 ベンチプレスも、前回より少しだけ重いのに挑戦してみたりして。みぞおちから、ふんっと天に向かって持ち上げては下げ、最後の2回は腕をぷるぷるさせながら気合いだけで持ち上げる。

 そのあいだはもう、「私はこのバーベルをなんとしても持ち上げるのだ」しかない。究極のマインドフルネス。

 数えきれないほどの回数、注射針を自分の身に刺し、手術台の上で恐怖して、その成果はまたゼロだと聞かされて、またふり出しへ戻る、それをくり返している不妊治療のただなかで。

 朝起きてから寝るその一瞬まで、ずうっとどこかで治療の糸口を探っている、思考中毒からの解放。筋トレに没頭する時間には、密かにそんな作用もあるのだった。

   *

 内診で見えていた通り、無事に2つの成熟卵が採れた29回目の採卵手術。夫婦で歓喜したのも束の間で、翌日には、そのうち1つが異常受精に終わったことをメールで静かに告げられた。

 そうして採卵から1週間後。朝から夫が注文していたらしいホワイトデーのお返しが届いて、初めて口にするような滋味あふれるショコラサンドを大事にふたりでコーヒーと愉しんだ、その午後に。

 2つめの卵も、その後培養中止になったことが当然のように告げられた。ふたりで重なるようにして握りしめたスマホの画面を、何度も何度も見返すけれど、結果は変わらない。また、ふり出しに戻る。

「……もう、だめかもね」

 思わず口からこぼれた。夫の顔が見れずに、自分の膝を眺めながら言いつのる。

「ふりかけにしたほうはまた異常受精だったし、結局また顕微にするなら、前のクリニックでさんざんやってきてもだめだったわけだし。あれからまた歳もとったし」

「でもさ。まだこれから、あの大谷翔平もやったやつの効果が出てくるかも、なんでしょう?」

「PRPね」

 正確には、PFC-FD。結局、自分の血液から精製した3回分をすべて卵巣に打ってもらったけれど、活性化されたような結果は出ていない。効果は、打って3カ月後くらいから現れ始めるというけれど。

「最初に打ったのが去年の10月だから、もう半年経ってるし、私には効かなかったのかも」

「でも、このあいだ1月末に3回目を打ったでしょう?」

「うん」

「それはこれから効果が出てくるかもしれないじゃん」

 夫は普段、何かとリスクヘッジをしっかりしろと心配性なところがあるのに、なぜかこの治療に関してはいつもポジティブを貫いている。私がネガティブなほうへ落ちていくばかりだから、なおさらそうなるのかもしれない。でも、それだけ望んでいるんだと思う。私たちの子を。

「でもさ、PRPしても、卵胞の数は増えるかもだけど、受精卵の染色体異常が減るわけじゃないって言われてるし」

 痛い。胸が。でも私には、言いたくもないそんな否定を彼にぶつけるしかできなくて、ますます体を硬くする。

「そうだけど。でも確率論からすればさ。卵の数が増えれば、それだけ可能性も上がるってことでしょう?」

「そうだけど。私の年齢で、実際これだけしか卵が採れなくて、本当は途方もない数の卵が必要でさぁ……」

 これ以上の期待、本当にそんなにできないんだって。そうして否定に否定を重ねていたら、いつの間にかぼろぼろと涙がこぼれ始めている。最後に「ごめんね……」とだけ絞り出した。

 「なんで謝るの」と、夫は私を腕の中に入れて背中をさする。その温もりで余計に涙があふれてきて、ぐしゃぐしゃの顔をぼすんと彼の胸に埋めた。

「ねえ、何度も言うけど」

 頭の上から、彼の声がする。私にとっては世界いち、信頼してる声。

「今回も、残念だったけどさ。この先結局、子どもに恵まれなかったねって、なったとしてもさ」

 世界いち、安らげる声。

「子どもがいないのは、すごく残念なことだけど。でもそれは、けして不幸なことじゃないんだからね?」

「……うん。わかってる」

 ああ、もう。涙が止まらない。悲し泣きなんだか、悔し泣きなんだか、幸せ泣きなんだか、わからない涙が。

 その日の夜。「牡蠣が食べたい」と言い出した私に夫も「いいね」と言い、前から気になっていた店へタクシーで出かけた。飲む気満々で。

 ホワイトデーのチョコも、渡し終わればふたりで味わって、いつもより少し特別なはずのディナーも結局、その日の思いつきでお互いを労う場となる。夫婦だ、実に。

 牡蠣とワインでお腹をいっぱいにしてタクシーを止めたら、「どうも!」と小一時間前に見た運転手の顔に驚かされて、こんなこともあるのかと3人で笑いながら帰途につく。

「あそこの店、いまいちだったね!」

「うん、次はないな。牡蠣ならいいってもんじゃないよね」

「そうね。あのさ……悪いんだけど」

 急に改まって言う夫に、びくりとなる。

「やっぱり……アイス買いに行きたいんだけど……」

「あはは! テンション下がってデザートまで頼まなかったもんね」

 そうして家に着いて早々に、今度は犬を連れて近くのコンビニへ足をのばすのだった。近頃流行りのコスパとは。

「あ、今日の月。笑ってる」

 夫に言われて見上げると、目の前の家々と電線のあいだにオレンジ色の細い月。ちょうど月は地表側を照らし出されて、にっこりと弧を描いている。

「ほんとだ。あとは、満ちていくだけかなぁ」

 こうして一日の最後に穏やかな気持ちになれたら。アルコールの火照りを、夫婦おそろいのコンビニアイスで最高においしくクールダウンできたら。それはもう、幸せでしかないだろう。

  *

 ひゃあ、とスタジアムが悲鳴を上げた。そこから怒涛のうなりが広がっていく。おいおいおいおい!

 試合開始に出遅れた私たちは、「え?」「なになに、どうした!?」と近くの中継モニターを見上げる。そこには、今しがたグッズ売り場で真新しいユニフォームとタオルを買ってきたばかりの、ベイスターズ期待のルーキーが映し出されていた。

「デッドボール?」

「えー。……っ、うわ!」

 横っ面を剛速球がそのままパーンとはたいたようなリプレイ動画が流れて、ふたりで固唾をのむ。

「大丈夫かな……」

「まさか、これで終わりとか……」

「えええ……うそでしょ……」

「お」

「おお!」

 ベンチで少し治療をしたらしい彼がまた一塁へ走り出ると、その背中に向けて大きな安堵の拍手と歓喜にわく人々の声がスタジアムを包んだ。

「よかったー。しかしいきなり、ひどいねえ」

「ほんとだよ、何してくれてんだよ!」

「もうみんな、うちのコに何してくれてんだよ!状態だよね」

「間違いない」

 昨日の開幕戦でいきなりホームランを打ったと思ったら、今度は1回裏の1番バッターで、投手一発退場の危険球に見舞われ。かと思えばそこから初盗塁に成功、その後またホームランを打ってしまったのだから末恐ろしい。本当に、うちのコは。

 夫の熱にほだされて、毎度ミーハーな気持ちで観戦について行く私も、今年はこのルーキーの成長が楽しみ過ぎる。誰かの成長を勝手に応援して、逆に何倍もの元気をもらえる、本当の子育てもこんなふうなんだろうか。

 とうとう東京でも桜の開花が告げられた翌日の、3月30日の土曜。私たちは今年最初のベイスターズ戦に足を運んだ。

 3月にぎりぎりすべり込みセーフで開花した今年の桜は、ここ10年でも一番の遅咲きらしい。結婚10年目にして一番遅い春を知った私たちは、結婚して初めて夫の車で球場までやって来た。

「今回は予定よりも卵胞の育ちが遅いみたい……。採卵の投薬と注射もまだ続くから、野球もビール飲むのはやめとこうかな」

 しょんぼりしてそう言う妻に、夫が提案したのだった。

「よし、じゃあ俺も飲むのやめる。その固い意志を貫くために、車で行くか!」

 いつもは球場ではもちろん、うまくすれば中華街でビールと餃子をつついてから参戦するから、基本は電車だ。そうして初めて車で来たら、まんまと渋滞にはまってしまったのだった。

 初めてのアルコール抜き野球観戦は「うちのコ」のお陰で大盛り上がりのまま、6対1の圧勝に終わり。「渋滞さえ避ければありかもな」と夫も満足そうだった。試合が終わってこれからまた帰るのかという気怠さがないらしく、酒がなかったらこんなにも自分は元気なのか!と驚いている。

 日曜日は、珍しく夫のほうから「桜、観に行ってみようか」と散歩のお誘いがあり。しっぽをふりふり飛びはねるようにして前を行く犬に引かれて、夫婦でいつもの川沿いへ向かった。

「さすがにまだそこまで咲いてないかな」

「そうだねー。おととい咲き始めたばっかだし」

 そう言いあい歩いていくと、やはりまだまだ満開にはほど遠い、1~2分咲きといった風情の桜並木が見え出した。しかしその木々の下は、意外と盛況だ。

「全然咲いてないねー。でも、みんなもう花見してるんだ!? ゴザ敷いて、あんなにたくさん……気が早いなぁ」

「飲むための口実なんでしょ。もうあれ、花見じゃなくて〝つぼ見〟だろ……」

 夫のつっこみに、思わず吹き出した。

 こうして毎日、毎月、毎年。なんやかんやと新しい発見をして、私たちは自分の子どもに恵まれなくても、ちゃんと日々を楽しみながら、結構あっという間に一生を終えるのかも知れない。

 結局30回目の採卵は想定していたよりもだいぶ遅れて、仏滅の日に決まってしまった。それに気づいてささやかにまた落ち込み、いや待てよとスマホで検索をし始める。

――仏滅は、ものごとが終わる日。それが良いことなのか悪いことなのかは、その人次第。たとえば悪縁を断ち切り、新しい人生を切り拓きたいときなどには適した日です。

 そんな文言を見つけ出す。そうだ、その人次第だし、私次第。この10年、泥沼を泳いできた不妊治療の悪縁を、ここで終えられるかも知れないのだ。

 このあいだ、採卵結果に撃沈したホワイトデーの翌日は、一粒万倍日と天赦日、寅の日が重なった最強開運日だとのことで。久しぶりに神棚に手を合わせた。今日は心からの願いごとを、しっかり口に出すと良い日だと聞いて。

 ぱん、ぱん! 夫が仕事で会食に出たのをいいことに、大きく二度手のひらを打って、ぎゅっとあわせる。誰に気兼ねすることもなく、思いきり声を出した。

「私は!」

「やっぱり、夫との子どもにどうしても会いたいです!」

「どうか、よろしくお願いします!」

 はは。バカみたいにシンプル過ぎるお願い。でも、これくらいがちょうど良いのかも。ただでさえ信じられないくらい確率の低い無謀な挑戦を、とことんまでやり切ろうとしているんだから、私たちは。

 腹から声を出してみたら、思いのほか胸がすっとした。神様の前で、これだけはっきりと口に出して何かを願うことなんて、考えたら初めてだったかも。

 たぶん、本気の願いごとって、こんなふうに気恥ずかしいものなんだろう。恥ずかしいくらいに本気だからこそ、いつしかまっすぐに願えなくなる。

 「どうせ私には無理だ」が、いつの間にか頭のなかを占拠して、それが当たり前になっていく。歳を重ねれば重ねるほどに、ただでさえキャパオーバー気味になっているところへ輪をかける。

 思考し過ぎるのをやめて、シンプルに、ただまっすぐに未来を願うラストスパートをしてやろうじゃないか。それが、今期の目標だ。

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