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DAY13. たぶん、残念な家事分担

 心も体も健康でエネルギーに満ちあふれているときじゃないと、悲劇なんて書けないものだ。ある人にそう言われたことがある。

 逆に、人はつらいときにこそ喜劇を書くんじゃないか。そのとき彼女はそう続けたけれど、わかったような、わからないような。でも最近になって、ようやくその意味がわかった気もしている。

 表層に出てくる言動とその奥底にくすぶっているもの、それが時々まったく違って、ちぐはぐなのも、どこかでバランスをとろうとする人間の性みたいなものなのだろう。

 不妊治療は、けっして楽しいものじゃない。ただ、意外と私たち夫婦は、毎日バカみたいに笑って過ごしていたりする。




「ふぅ…」

 ほとんど無意識にため息が出ていた。夫が仕事の打ち合わせに出た金曜日。ひとり、自宅でうつうつとする午後。

 風邪をひいたわけでもなければ、どこかが痛むわけでもない。ついこのあいだ自治体の健康診断をしたばかりだし、その結果は夫が「そんなはずはない」と二度見をするほど100点満点の結果だった。数か月前に流産したとはいえ、今は恐らくどこも悪いところなどないのだろう。哀しいくらいに。

 ただ、目の前の雑事をこなすためのヒットポイントが、どうにも足りていない感じがする。

 今日は洗濯機こそ回して干し終えたものの、掃除機もかけられていないし、キッチンのシンクでは昨日の夕食で使った器やフライパンがまだ水に浸かっている。嫌なピンク色の筋が出てきたトイレなども早く掃除してしまいたいし、玄関はもう少しすっきりと整えたい。

 食器棚の中身も今一度、器の配置を見直したいし、自分の部屋のクローゼットだって中身を全部ひっぱり出して、ときめくかどうかの基準とやらでブラッシュアップしてみたい。

 やりたいことは、いくらでも出てくる。きっとそれらをすべてやり遂げられたなら、私は今よりもずっと気持ちよく「おうち時間」が過ごせるのだろう。それは十二分にわかっている。それでも体は緩慢として、刻々と時間だけが過ぎていく。

 最近だと、「もっと夫婦で家事を分担すればいい」だとか、アドバイスされたりするんだろうか。でも、そういう話ではないのだ。確かにうちは家事など全然しない夫だけれど。

 ときどき私がどんなに家事を怠っていたとしても、夫はそれに対して文句を言ったことがない。

 実際は神経質なところもあって、年末の大掃除を頼むとこだわりがすごいし、食品の賞味期限に関してはうるさいところもある。でも、たとえわが家がゴミ屋敷になったとして、それはあまり気にならないらしい。本人いわく。

 慣れない家事をときどきしてもらって、結局その詰めをこちらですることになるより、意外と気楽な関係なのかもと思っている。生粋のフェミニストには、きっと理解しがたい感覚だろう。

 もしもこの先子どもができたら、そうも言っていられないだろうけれど。家事分担については、それぞれの夫婦で、それぞれ好きにやったらいいんじゃないかと思っている。

 とりあえずこれをやってくれればというのは、大雑把な私がやるよりも嬉々としてこまやかにやってくれる年末の水まわり大掃除と、ときどき思いついたようにつくってくれるごはん。

 クックパッドのレシピだって何だっていい。夫が苦心して私よりもずっとていねいに肉や野菜を切ってつくる出来たてのごはんは、どこかの有名店からデリバリーするより、断然美味しい。

 このコロナ禍、密かに楽しみにしているものの一つだったりする。




 ごはんって、不思議だ。人間みたいに、いちいち食感や匂いや取り合わせなんかを考えてその一食をつくり上げようとする動物なんて、ほかにはいないのだから。

 単に、生きていく上で必要な栄養素を体にとり入れる行為のようで、おざなりのひとり飯で妙に気分が落ち込んだり、いつもと違うちょっとした贅沢をするだけで高揚したり。いつもと同じ「うちのごはん」を食べる時間が、地味にしあわせだったりする。

 結婚して7年、もう少しで8年目になろうかというわが家にも、いつの間にか定番になった「うちのごはん」がいくつかできた。

 たとえば、ハンバーグ。普段でも、何かの記念日でも、夫がまず一番に所望するやつ。

 いつもつくるのは、牛豚ひき肉200gくらいがベースになっている。ほんの少し水を足して練ったら、みじん切りを塩にまぶして絞った玉ねぎ半分と、にんじんのすりおろしを同じくらい足して、さらに練る。塩コショウとケチャップを少しだけ、そこへ卵を1つ入れてもんだらタネが完成。鉄のフライパンで焼き上げる。

 決め手はソースだ。残り半分の玉ねぎをスライスしてバターで炒めたら、ケチャップをどばどば入れて、メープルシロップとソースを少しずつ垂らし入れる。塩コショウで調えて、温めればできあがり。たまに、気分できのこ類も混ぜたりしている。

 それから、卵焼き。私は甘いので育ったのだけれど、甘いのが嫌いな夫に合わせて自分なりに思考錯誤してきた。

 今のところ、卵3つに、味噌汁用につくっておくいりこ出汁を小さなお玉で1杯弱くらい、白だしとみりんも少し入れて、塩は入れずに焼くレシピで落ち着いている。

 箸だけで巻いて焼き上げたいところだけれど、そこはいまだにフライ返しでつくる感じ。余裕があれば、大根の鬼おろしを添えると豪華だ。

 おでんは、結婚した頃に行った夫の叔母の家で食べたのが忘れられなくて、そこに近づけるべく毎年精進している。たぶん、四国のほうの味。

 基本の出汁は、カツオといりこで。酒もたっぷりめに入れて、きび砂糖は大さじ2ほど、みりんと醤油をおたま1杯ずつ、あとは塩を小さじ半分ほど。

 牛すじが必須で、大根は輪切りにして角をとったものをしっかり下茹でしてから、ゆで卵やしらたき、こんにゃく、練り物などと一緒にぐつぐつ煮込む。じゃがいもも、まるまる入れたりする。はんぺんや餅巾着は、食べる少し前にのせて火を通せばいい。

 これもまた、決め手はからし酢味噌のほうだったりする。讃岐の甘くない白みそを、おたま1杯ほど。そこへ、練った山清の「鬼からし」を大さじ1ほど。お酢は大さじ2、きび砂糖と白ごまをすりおろしたのを大さじ1ずつ。あとは、おでんの出汁を少し入れて混ぜるだけだ。

 こちらはまだまだ改良の余地があるものの、この酸味と辛みとほのかな甘みは絶妙におでんに合う。

 密かにこだわっているのは、米とコーヒーだ。

 米は、浄水でさっとゆすいだら、敢えてしっかり研ぐ。10分水に浸したあと、ザルに上げて20分、そこからまた水を入れてHARIOのごはん釜で炊き上げる。

 炊き立てを木のしゃもじでさっくり混ぜたあと、布巾をかけて蓋をし、少し水分を飛ばすのもポイントだ。どこかの料理研究家の話を聞きかじったのをもとに、いつしかこれがわが家のやり方になっていた。

 コーヒーも、聞きかじった完全な自己流が固まりつつある。

 お湯を沸かしたらポットで88度まで冷ます。コーヒー豆はだいたい中煎りのものを買ってきて、電動ミルで中挽き。ペーパーフィルターに一度お湯を回しかけて、コーヒーを入れたところへさらに回しかけ、1分ほど蒸らす。

 その間に落ちたお湯は捨ててしまい、あとは何度かに分けて淹れていく。コーヒーがぷくぷくと膨らむように、だんだんと湯量を増やしながら。

 この2年弱、新型コロナのおかげで、ますます楽しみが食ばかりになっていたけれど。

 東京の新規感染者数も夏には連日5000人台を記録していたのが、10月、11月と秋が深まるにつれてどんどん減り、最近ではもう一桁の日もあった。

 そろそろ、家の外へ出始めないと。本当に何のために生きているのか、わからなくなってくる。



 久しぶりにクリニックへ出向いたのは、ちょうど10日前のことだ。生理3日目の受診。その日から私はまたクロミッドを飲み始め、子宮内で卵胞をすくすくと育て、それを採卵する予定だった。私自身、その予定を信じて疑わなかったところがある。

「hcgが、まだ2.1ありますね…」

 初めて見る顔の担当医師が、血液検査の結果を記した紙をこちらへ寄こした。

「え…それは…」

「今期の採卵は見送りましょう」

 こともなげにそう言われて、思わずぽかんとしてしまう。

 もうとっくに胎嚢の自然排出は終わり、何の跡形もなくなってしまったはずなのに。体はいまだに妊娠を維持しようとするhcgホルモンをわずかに出し続けているという。

 夫も、私とまったく同じ感想を抱いたらしい。LINEで知らせると、すぐに〈なんと…そういうこともあるのか〉と返ってきた。

 続けざまに、もう1通。〈このあいだの検査の結果もこれから出るし、万全を期するなら今回は見送るっていうタイミングなのかもね〉

 治療を中断していたこのお休み期間中、夫は大学病院の泌尿器科で初めて男性不妊の検査を受けていた。

 所見に異常は見られなかったものの、血液や精液検査の結果は1か月後と言われて、まだ出ていない。確かにその答えを待ってから動くほうが効率よく治療ができる可能性はある。

 それもそうかと思いながらも、〈年内に移植までいきたかったけどな…〉と恨みがましくLINEを返した。 

〈まあ、あと2回って心に決めてるなかで、まだ万全じゃないよっていう意味だとしたら。悪いばかりの話じゃないと思うよ〉

 夫から返ってきた文面を見て、改めてその言葉の重みを噛みしめる。そう、私たちは「あと2回にしよう」と決めたのだ。あと2回、胚盤胞の移植ができたら、それで不妊治療を終わりにしようと。

 長年じわじわと考えてきたなかで私がようやくその決意をして、流産後に思い切って夫に言ったとき。返答は、想像以上にシンプルだった。

「そうだね」

 それは、夫が初めて不妊治療の終わりを認めた瞬間だった。結婚する前からずっと、そうは言わなくても子ども好きなのがにじみ出ていて、きっと自分の子どもが欲しくてたまらないのだろうなぁとわかってしまう夫の、ついに腹を決めた瞬間。

「でも…」

 夫は続けた。

「次の1回で、たぶんかたがつくと思うけどね」

 そう言って笑った。慰めでもなんでもなく、夫は本気だ。私はといえば、お気楽にもすんなりと、その思考の中にいた。

 うん。次は、きっとね。私も信じてる。


 日曜日。今夜は夫が丹精込めて肉を焼いてくれるらしい。最近見つけたあの肉屋で、また散歩がてら赤身のステーキ塊を300g、200gと買ってきた。

 今は、塩コショウをして室温に戻しているところ。これから夫が鉄のフライパンで焼き目をつけたあと、じっくりミディアムに焼き上げることになっている。

 そのあいだ私はソファでゴロゴロと、犬猫をもふりながら至福の待ち時間を過ごすのだ。家事分担、バンザイ。

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