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DAY12.  犬猫のぬくもり


 わが家には、猫と犬がいる。男女を女男とは言わないみたいに、犬猫を猫犬と言うと変な気がするのは、やっぱり犬のほうが人間界に根づいた相棒として第一党的なイメージがあるからだろうか。うちの場合は、猫が先住民だ。犬はあとからやってきた。

「犬が飼えるような大人になりたいって、昔から思ってたんだ」

 夫は私の夫になる前、よくそんなことを言っていた。

「自分の子どもは、双子なんじゃないかって気がする」

 そんな予言めいたことを言っていたのとちょうど同じ頃。後者はいまだにその影も形も見えないけれど、前者は一応、実現したことになる。はたして犬を飼うに足る大人になっているのかどうかについては、わからないけれど。

 そもそも「犬が飼えるような大人」という概念自体は、何かの映画の影響らしい。そんな思想、夫と出会うまで私には1ミリもなかった。むしろ真逆。「生きているものを飼いならすだなんて、人間のエゴなんじゃないか」。そんなひねくれた思想があった。

 昔、つき合っていた男が誕生日プレゼントにいきなりハムスターを買ってきたことがある。そのトラウマか、いまだにハムスターに対しては苦手意識が拭えない。

 命をそんな気軽に買ってくるなんて、しかもいきなり人に育てろ言ってくるだなんて最悪な男だなと、心底引いたのを覚えている。あのサプライズは、可愛げのある女として喜ぶべきものだったのか……いまだに謎だ。

 実家では、私が東京へ出てからスピッツを飼い始めた。今ではもう2代目で、犬種は同じでも顔も体つきも全然違う犬に同じ名をつけて呼んでいる。私にはまったく理解できない感覚だけれど、当人たちは先代との別れがよほど寂しかったのだろう。

 そういうわけで、ときどき里帰りをするたびに犬とは顔を突き合わせてきたが、自分で犬を飼うまでは接し方もかなりぎこちなかったと思う。たぶん、私はもともと犬好きでもなかったのだ。

 どちらかというと見た目、猫のほうが好みだった。とはいえ実際に触った経験もなく、愛犬家にしろ猫の下僕にしろ、自分とはほとんど関係のない世界だった。



 最近、日に日に底冷えするようになってきて、ソファでテレビを観ていると、猫が当然のような顔をして私の膝の上へ丸くなりにくる。2人で座っていても、いつも夫を乗り越えてでも私のほうへくるから笑ってしまう。

 夫と猫は、どこかライバル関係にあるのだ。たぶん、あの時から。猫がうちへ来たばかりの頃、まさにナウシカがテトに噛まれたときのようなシーンがわが家で起きた。まだ幼かった猫が、夫に噛みついたのだ。まあまあの強さで。

 ナウシカではない夫は、「ほらね、怖くない」とは言わなかった。

「お前……やったな!」

 夫は大げさな身振りでわしっと猫をつかみ、そのままがぶりと噛みつき返したのだった。猫はフギャ――!と大パニックである。

 もちろん本気で噛んだわけではないけれど、そうやって最初は犬をしつけるようなつもりで厳しく猫に接していた結果、夫はすっかり嫌われてシャーシャー言われるはめになった。そこから無事に仲直りしたものの、男同士の微妙な関係はいまだ続いているようなふしがある。

 ちょうど下腹のあたりをじんわり温めてくれる湯たんぽのような猫が、そこでゴフゴフと喉を鳴らし始めた。

 この音は猫が自分のケガを治すために鳴らしていて、人の体も治すかもしれない周波数が出ているらしい。そうして私の子宮も正常運転に導いてくれないものかと、これまで何度、願ったことか。

 流産の自然排出を待っていた頃、あの夏の暑い盛りでも、猫はときどきこうして気まぐれに甘えにきた。あのとき確かに私は治癒されていた感覚がある。体というより、心のほうを。

 そっと、その後頭部を撫でた。すると猫のほうも意識して、ちょっとこちらへ、つうっと頭を伸ばしてくる。彼が毎日丹念に毛づくろいしている毛並みはいつ撫でても柔らかく、どんな極上の生地よりもしっとりと滑らかで、心地好い。

「ねえ」

 傍らの夫に、たった今思いついたことを投げかけてみる。

「猫のちいちゃな頭を撫でるこの感じってさ。もしかして、赤ちゃんもこんな感じなのかな?」

「えー?」

「ちょっとちょっと、ほら撫でてみてよ。この感じよ。めっちゃ気持ち好くない?」

「こんな毛むくじゃらじゃないでしょ、赤ちゃん!」

 夫は笑い飛ばし、私も笑った。




 朝の2時半すぎ。ふっと目が覚めた。熱のこもった布団の中からもぞもぞと手を伸ばし、頭上の棚にのせてある基礎体温計を手に取る。

 ピピ、ピピ、ピピ――。暗闇の中で人工的な青い光を放ち、カクカクと数字が映し出される。36.45。低い。途端にサーッと血の気が引いて目が覚めた。布団を肩にまでかけ直して少し口を閉じてみて、もう一度。36.46。昨日から0.2度も下がっている。

 隣では夫がすうすうと健やかな寝息をたてていた。この間から貼りだした鼻呼吸にするための口テープが効果を発揮しているのか、珍しくいびきもかいていない。

 しばらく布団の中で目をつむって逡巡してみる。が、どうやらこのまま眠れそうになかった。半ばあきらめの境地でトイレへ行くと、その予想を覆すことなく、うっすらと褐色のものがティッシュに滲む。

 いよいよ流産から2回目となるリセットが迫っていた。今回は前回と違って基礎体温もだいたい2層になっていたから、おそらく排卵はしたのだろう。

 ここからまた採卵周期がスタートできる。それはうれしい知らせではあったものの、同時に奇跡が起きなかったことも意味していた。そんなことがそうそう起こるはずはないと思いながら、やはり願わずにはいられなかった「お休み期間中のまさかの自然妊娠」の夢は、儚くも散ったのである。

「はぁ……」

 自室へ上がり、電球色のライトをつけてブランケットを手にギィッと椅子に腰かける。視界の片端で、ベッドに丸くなっていた猫が細い目をして迷惑そうにこちらを見やった。

 まさに、暗澹たる思い。こんなことならダメ元でタイミングなど取らなきゃ良かったのだ。やっぱり、取らずにはいられなかったけれど。

 初めての着床、胎嚢確認、心拍確認、稽留流産、自然排出……乱高下するジェットコースターのような一連の出来事が過ぎ去ったら、いつの間にか季節はひと夏を終え、秋があったかなかったかという間に、もう冬へ差しかかろうとしている。

 年末が見え、その先にはまた新たに歳を重ねることになる来年が待ち構えている中で、気が焦らないようにするのはなかなか難しかった。

 と、そこへ。トットットットッと小さな足音が階段を駆け上がってきた。

 まるでスチャッという効果音でもつきそうな風情でお座りをし、真っすぐにこちらの目をみつめてくる。「おはよう」と言うと、犬は待ってましたと言わんばかりに立ち上がって、勢いよく抱きついてきた。私も身をかがめて、その熱い抱擁に応える。

「ありがと……」

 ふかふか。本当にふかふか。猫のように繊細な滑らかさはないけれど、その毛足の長いふかふかの体を思い切りわしゃわしゃ撫でてやると、彼女は彼女で体全部を使って満ち足りた気持ちを表現してくる。16キロあるその巨体は、たぶん私の冷え切った気持ちを温めるのには最適で、代わりの効かないしあわせな重量感があった。




 犬好きの夫と夫婦になり、ひょんな縁から保護猫を迎えて、その半年後にはブリーダーから犬も迎えた。最初は同じ大きさだった猫と犬。今では自分の3倍以上はある犬を相手に、猫は当初と変わらない上から目線で、平気で取っ組み合いをしたりしている。

 ほとんど夫婦の歴史と変わらない年数を共にしてきた彼らには、最近白髪も混じり始めた。もうすっかり、シニアにさしかかっているのだ。

 結果、彼らとの暮らしは「人間が飼いならす」ようなものではなかった。言うならば、それぞれの性格を理解しながら共存していくための家づくり。それはむしろ、こちらが育てられ、鍛えられているようなところがある。

 もしかすると、ここには子育てに通じるものがあるのかも。ときどきそんなふうに感じたこともあった。

 ただ、犬猫を子どもの代わりに……といった類の発想はない。犬猫は、犬猫という家族であって、子どもとは違う。そんな犬猫と自分の子どもが親友になったら素敵だなと、夢想したことは何度もあるけれど。

「養子縁組って、どう思う?」

 この間、初めて夫に聞いてみた。まったく深刻な雰囲気ではなく、今日の夜は何食べたい?くらいのテンションで。「最近、ツイッターの妊活垢で話題になっててね」と。

「うーん、そうね……」

 夫は言葉を選びながら言った。

「こう言ったら、申し訳ないかもしれないけど。俺は、子どものいない人生が不幸だとは思わないから」

 不意打ちされて、思わず目が潤む。嬉しいほうの意味で。気を取り直して、私も応えた。

「そだね。私も、そうかも」

 夫は隣で前を見て運転している。いつもそうだ。こういう少し真面目な話は、なんとなく面と向かってできなくて、ときどき車に乗っているときに深まっていくような気がする。

「もちろん、縁があれば迎えるよ。でもそれは、猫を迎えたときと同じなのかもね。縁があれば。そしたら全力で子育てすると思う。ただ、なんか自分たちから養子縁組を申し出る気にはなれないというか……」

「うん、わかる」

 それぞれの夫婦で、それぞれの価値観がある。正解はどこにもない。ただ、少なくとも私たち夫婦は、その意見が合致しているようだった。あまり言葉を重ねなくても、たぶんなんとなく、同じ方向を目指して歩いているのだ。

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