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DAY9.  愛しのハムサンド

 クリニックへ向かう道中の私たちは相変わらずだった。家で淹れてきたコーヒーと、コンビニで買ったサンドイッチを朝食にしながら、夫が車を走らせる。

「これ、どれ食べていいの?」

 夫セレクトのラインナップは、それぞれ2つずつ入ったブロッコリー&チキンと、マスカルポーネ入りブルーベリー&クリームチーズ。それから、3つ入りのジューシーハム。

「好きなの食べて」

 いつもの返しがきて、私は重ねて聞くのだった。

「チキンのと、デザートのマスカルポーネのは、1つずつね。あとハムが3つあるけど…1つ、私も食べようか?」

 運転する夫の顔を半笑いでのぞき込む。

「む」

「ハムサンド3つも食べたら、さすがに飽きるでしょう?」

「食べたくない奴にはやらないよ。むしろ、俺用のだし!」

「なんか、かわいそう…」

「むかつく!」

 私たち夫婦の間ではお決まりの、ハムサンドをめぐるやりとり。

 私が持つハムサンドのイメージは、ペラペラのハムをマーガリンと挟んだだけの、味気ないパサパサのサンドイッチ。「ちょっと貧乏くさいサンドイッチ」とさえ思っている。

 対して夫のハムサンド愛は強く、もっと奥深いものなのだという。ただ、家でつくるにしても、変にお中元でもらうような高級ハムなどは使わずに、よくある安いロースハムでいいらしい。

 バターではなくマーガリンを塗るというのも私のイメージと同じだったが、そこへたっぷりのからしマヨネーズと玉ねぎのスライスが必須なのだそうだ。

「ほんと、わかってない。たまにレタスとかが無駄にたくさん挟んであるの買ってくるけど、そういうことじゃないから」

 私がいい加減に選ぶハムサンドは、どうやら違っていたらしい。コンビニに並ぶものでは「ジューシーハム」が夫のお気に入りだ。

 実際、この1種類だけを3つ入りで売るくらいだから、少なからずファンがいるのだろう。結局夫は意地を通し、他の2つを食べた上で、3つ入りのハムサンドをひとりで平らげたのだった。



 のんきに夫婦でハムサンド論争をくり広げながら行った検診日。私は担当医師に流産手術の予約をするように言われ、1週間後の9月1日に決まった。

 流産の最終宣告を受けてから、夫の前では口にも顔にも出さないようにしていたけれど、やっぱりどこかで願わずにはいられなかった「奇跡」も、結局、起こることはなかったのである。

 朝、起きがけのトイレで真っ赤な血がどろりと出てきたのは、検診から2日後のことだ。流産の自然排出。命を終えてしまった胎嚢を取り出す流産手術の必要はなくなったが、それから一カ月近くトイレで血を目にする日が続いている。

 自然排出の開始から、だいたい1か月から1か月半ほどで次の生理が来ることが多いと担当医師は言った。

 人間の体とは不思議なもので、この流産の出血がある間にも、子宮で卵胞が育ち、排卵し、やがて生理がくることもあるらしい。さすがにその排卵はうまく育つ確率が低く、採卵まではしないということだったが、中にはそこで自然妊娠に至る猛者もいるようだ。

 少なくとも次の治療開始までには、もう少し時間がかかりそうだった。

 どうせならこのタイミングしかないと、3週間をおいて2回打つことになっているファイザー社の新型コロナワクチンを予約し、すでに1回目を打ち終えている。

 世の中はいつの間にか秋を迎えていて、夜になると鈴虫が騒がしい。新しい首相が決まる自民党総裁選も始まったところだ。

 およそ自分とは関係のないところで、シルバーウィークにもさしかかっている。テレビからはコロナ禍の高速渋滞映像が何度も流されていたが、我が家は特に遠出をする予定もなかった。

 このままあっという間に年が変わって、またひとつ、歳をとってしまうのだろうか。

 フリーランスで仕事をしていると、よほどきっちりと管理していなければ、平日も休日もなくなってくる。取引先もいろいろだから、それぞれが自分の都合でスケジュールを言ってきて、普通に勤めていたらありえないスケジュールになることも、ままある。

 いい加減な輩も多いらしいけれど、私は締め切りを平気で破れない性質で、「本当にこれだけの仕事を全部終えられるのか」というプレッシャーにはいつも押しつぶされそうになるし、締め切りが重なると心底投げ出したい気持ちになる。

 けれど、それを全部やり遂げられたときにはアドレナリン大放出で、爽快感極まりない。どこか、麻薬じみたところがあるのかもしれない。

 逆に、ぽっかりと時間が空いて急に暇を持て余すこともあって、実はそのほうが私にとってストレスになっている節もあった。

 暇というのは、少しだけ怖い。こんなふうに私生活にもぽっかり穴が開いているときなどは、特に。


 いつだろう、たぶん思春期。高校生になったくらいから、私には邪悪な思い癖があった。

〈死ねばいいのに〉

そんなことを、頭の中でひっそりと呟く。

〈私、とか〉

 その憎悪の対象は、いつでも自分自身なのだった。これまでに何度、独り言ちてきたか知れない。自分だけが聞こえる声で、密かに呟いてきた呪いの言葉。

 もちろん、自死を実行しようとしたことなどないし、希死念慮というほどたいそうなものでもない。ただただ、無性にそんな言葉を吐きたくなるときがあるだけだ。

 それは大抵、暇なときだった。何ごとかに追い詰められているのでもなければ、自分の不幸を嘆くような重大な事態が起きているわけでもなく、ごくごく平穏な時間にこそ、ふいに訪れる。

 大学に入り、ひとり暮らしを始めてからは、なおさらその癖をこじらせた。恋人などもいて人並みに満たされていながら、ひとりになると〈自分など死んでしまえばいいのに〉などと思う。

 「死にたい」ではなく、「死ねばいいのに」。自分自身の命を標的にしているくせに、どこか他人事なのだった。

 当時は学校へ行く以外はアルバイトばかりしていたけれど、ひとりで家にいるとそのまま無の感情に陥った。深夜にも真っ暗になりきらない、あかあかとした都心の空を見やりながら。延々と煙草をくゆらせていると、やがてまた朝が来る。

 そんなモラトリアムの日々は、私に何か深遠な思考をもたらすものではなく、自身の中に広がるどうしようもない虚無を突きつけられるものでしかなかった。

 今、自分のこれまでを振り返ってみても、別にそこまでの毒親だったわけでもなく、それなりの学歴や仕事を得て、そこまで誰かを恨んだり羨んだりすることもない、いたって普通の人生だった。なぜこんな感情が湧いてくるのかは、自分でもよくわからない。

 その思い癖がいつの間にかなくなってきたことに気がついたのは、今の夫と出会ってからだ。

 あまり美談でもない。夫がプロポーズさながらに私に言ったのは、「幸せにする」ではなく「幸せにしてほしい」だった。「幸せにしてもらえそう」だったから、私を選んだらしい。

 実際、夫はなかなかの曲者で、結婚したての頃は何かと思い悩むことも多かった。

 根はやさしいのだけれど、気に入らないことがあるとすぐにキレるし、いまどき家事はまったくやらない派だし。むしろ、あまりに思い悩むことがありすぎて、悪い癖を出す「暇」がなかったのかもしれない。

 そんな夫との暮らしを「大変でしょう」といつも気遣ってくれる義母とは、不思議なほど気が合った。彼女が結婚した息子と離れてから鬱を発症してしまったのは、もしかすると私に「暇」がなくなったのと真逆のことが、彼女に起こったからだったりするのだろうか。

 それでも、結婚して数年経ったあるとき、ふと気がついて夫に言ったことがある。

「この間、思ったんだけど。私、別に今、死んでもいいと思ってるわ…」

「なにそれ」

「いや、なんか特に悔いとかないし、『絶対に生きたい!』って気持ちもないなぁって。今日死んじゃったら死んじゃったで、まあしょうがないというか。みんなそうかな?」

 あはははと笑う私に、夫は心底引いた様子で「ひどい」と言った。どうやら、自分を残して死んでもいいと思っているなんて信じられない、ひどい妻だということらしい。そういう意味では悪かったなぁと、素直に「ごめん」と謝ったのだった。



 よもや私は、自分が生きるために、子どもが欲しいと思っているのだろうか。

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