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DAY8.  意味するもの


 宣告は突然だった。少なくとも、私の体感としては。

 医師たちはきっとこのことを予期して、それができるだけ突然にならないようにと何度も予防線を張ってきたのだろう。

「うまくいく確率は33.3%」「かなり成長が遅い」「子宮外妊娠かもしれない」「これが赤ちゃんを包む胎嚢だとしたら、形がいびつ」「見える位置もおかしい」「一番考えられるストーリーは、このまま流産すること」云々。

 それでもやっぱり、突然だった。

「心拍が見えないですね」

 目の前の画面には、ただ無言の細胞が黒々としているばかりで、その言葉が意味するものを明示している。

 1週間前、そこには私たち夫婦の遺伝子を受け継ぐ心拍が映し出されていた。そこで確かに脈打っていた命。何度もネガティブな可能性をつきつけられた後で、本当に奇跡のような力強さを見せてくれた命。その記憶はまだ生々しく私の脳裏に焼きついているのに。

「この部分が赤ちゃんですが、先週から大きさもほとんど変わっていません。詳しくは診察室で」

 カーテン越しにごくさり気ない口調でそれだけ言って、医師は早々に内診を打ち切った。

「……はい」

 そう答えるのがやっとだった。

 体の奥がぞくりとして肌が粟立ち、暑すぎず寒すぎず調整されているはずのクリニックで、衣服の下がじわりと湿り気を帯びる。内診室から出てひとり待合室のソファに腰かけると、いい加減に結った髪の間を気持ちの悪い汗が伝っていった。

 指先から少し血の気が引いているのを自覚しながら、駐車場で待つ夫にLINEをする。

〈成長してないみたい。心拍が見えないって〉

 それだけ送ると、すぐに返信があった。

〈え〉

 ひと呼吸あとで、もう一通。

〈そっか〉

 それ以上夫は何も聞かず、私も何も返信できない。また数十分待たされてから診察室に呼ばれ、改めて診断が下された。

「流産、ということですか?」

「もうまったく、可能性はないのでしょうか?」

 私の少しばかりの抗いもむなしく、医師は言った。

「はい。可能性は、ゼロですね」

 とても申し訳なさそうに、でも有無を言わせない口ぶりだった。

〈流産みたい〉

 会計を待ちながら、また夫にLINEをする。明確な報告。すぐに、いつもの調子を取り戻したように返信が来た。

〈そっかー。残念だけど、、ワクチンの予約をしよう!〉

 妊娠初期は避けた方がいいかもしれないと延期していたコロナのワクチン接種。もしも今回、妊娠が継続できなかったとしても、「ワクチンが気兼ねなくすぐに打てると思えば」という妙な慰めは、夫がくり返し言っていたことだ。

 毎回、何かと1万円近くしていた会計が、今日はたったの1960円だった。拍子抜けしてますます物悲しい気持ちになりながら、帰途に着く。

 あいまいな顔で夫と笑みを交わし、車の助手席に乗り込んだものの。それから夫の顔を直視することができなくなった。自分でもよくわからないモヤモヤしたものが、胸元のあたりに渦巻いている。

 地下駐車場の出口をぐるぐると上がって地上に出ると、朝から土砂降りに見舞われていた空はだいぶ落ち着いていた。薄曇りの下で無機質に照らし出された虚ろな街並みが、視界の端を横切っていく。

 そうして無言のまま、窓の外を眺め続けた。スマホを見るでもなく、夫に声をかけるのでもなく。

 何かを言葉にしたら、そこから一気に堰をきってしまいそうな気がして。私はひとり心の中で、夫に「ごめんね」とつぶやくのだった。

 誰が悪いとか、何が悪いとかいう話ではないのはもちろんわかっているけれど、そうつぶやかずにはいられなかった。私がそうだったように、心拍を確認してから夫が日に日に期待を膨らませているのを、隣でずっと見ていたから。

 数日前にはとうとう我慢ができなくなって、前々から気になっていた妊娠出産本をアマゾンでポチってしまった。夫用として話題になっていた本まで買い、「願掛けもかねて」と夫に渡してしまったところだ。

 ぼうっとそんなことを考えていたら、音もなく涙が出てきてしまって、自分でも驚いた。体のどこにも力が入っていないのに、不思議なほどはらはらと落ちていく。

 はらはら、はらはら、止まらない。

 しばらくそのまま、嗚咽するでもなく静かに重力に任せていたら。同じように無言で前を向いてハンドルを切っていた夫がふいに左手で私の手を握ってきて、その気配が伝わってしまったのを悟った。

 その顔を見ることができないまま、それでも隣で静かに鼻をすする夫を感じて、ますます涙が止まらなくなってしまう。

 こんなはずではなかったのだけれど。あのとき目にした拍動、そこで生きていたものの実在感は、自分が頭で想像していた以上に大きなものだったらしい。

 これまで7年間、何度となく妊娠が失敗に終わった結果をつきつけられてきたのに、それらとは明らかに違う喪失感だった。

「よし」

 だいぶ長いこと無言が続いたあと、家が近づいてきたところで夫が言った。

「今日は、ケーキでも買って帰るか!」

 思わず笑う。まったく、お祝いじゃないんだからと心の中でつぶやきながら、涙声になりそうなのを抑えて言った。

「いいね」

 言わずともわかる、お気に入りの店へ。今日もチーズケーキにしようか、明日のおめざ用にシュークリームも買っておこう。それとも、最近流行りのマリトッツォなど、あの店でも出し始めているだろうか――。



 あれから1週間。私の基礎体温は変わらず高いままで、胸も張っていて、腫れぼったい。毎朝の寝起きは最悪だし、昼間の眠気も強く、頭も常にどこか酸欠のような感じがしていて、なんとなく胸やけもしている。

 これは、つわりなのだろうか。夏バテなのだろうか。相変わらず判別がつかない微妙なところなのももどかしい。

 いわゆる、稽留流産。赤ちゃんの成長がもう止まってしまっているのに、そのままお腹の中にとどまっているこの状態では、妊娠継続と同じような症状が続くことがあるという。そんな酷なことって、あるだろうか。

 この宣告を受けた多くの人たちと同じように、私も心のどこかで「奇跡」を信じたくなってしまう。もしかしたら、医師の誤診だったんじゃないか。そういえば、やけに内診の時間が短かった気もする。私たちの子は、本当はお腹の中でまだちゃんと生きているんじゃないか……妄想は尽きない。

 次の受診まで、あと3日。たぶんそれまでには、自然に出てくるだろうと医師は言っていた。生理と同じか、それよりも少し多く血が出るくらいだろうと。

 でも、ただそれを待つのもまた酷だった。むしろ、このまま出てきてほしくない気持ちのほうが強くなってしまう。

 いつまでも自然に出てこなければ手術が必要になる。その手術は、中絶手術とほとんど変わらないようだ。それもまた、とてつもなく嫌だった。

 出てきてほしくない気持ちと、手術にはなりたくない気持ち。頭ではわかっていても、いつの間にか「奇跡」を願ってしまう自分もいる。

 新型コロナのデルタ株によって完全に医療がひっ迫し、酸素ステーションなるものまで登場して、普通に救急車が呼べない今。ただでさえリスクの高い高齢出産を目指して、このあとも不妊治療を続けていくのには、それなりの覚悟も必要になる。

 もう、これから先のことを考えて、夫とも話し始めなければいけないのかもしれない。でも、それを話し合うことは、私の勝手な「奇跡」が完全否定されるようで、どうしても気が進まないのだった。

 あの日、夫が淹れてくれた中煎りのブラジルコーヒーと一緒に、間違いないスフレチーズケーキをじっくり堪能して、いつものふたりに戻ってから。何ごともなかったかのように過ごしたこの1週間、ほとんどその話題には触れていない。

「そうだ」

 ここのところ忙しくしていた仕事がひと段落して手持ち無沙汰になったところで、今日はフジロックだったと思い出す。

 新潟の苗場スキー場ではいつもより少なめに客も入れつつ、この3日間はユーチューブでライブが無料配信されていた。

 もともと音楽は詳しくないのだけれど、何度か行ったことがあるフジロックは、やはり心が躍る。そして、今日は密かに観たかったダチャンボというバンドの配信があるのをチェックしていた。

 なぜか、10年以上前に彼らをたまたま観たときから、ずっと好きなバンドだ。かといって、ファンというほどでもない。フェスで出ていたら必ず観に行く、くらいの気持ち。CDを買ったこともある。そもそも、普段、あまり音楽を聴かない私には、ファンと言えるようなバンドはいない。好きか、そうでもないか。それだけ。

 そして、このダチャンボは、とにかく「観て聴く」のが好きなバンドだった。CDも聴くのだけれど、できればライブか映像で。彼らがいつも、あまりに楽しそうに音楽を奏でるのを観ると、何とも言えない多幸感に包まれる。

 久しぶりにライブで観るダチャンボは、相変わらずダチャンボだった。本当に、永遠に観てられるな。そんなふうに思いながら、ただただ生配信にひたる。

〈サル~ビア~~~〉

 耳慣れた懐かしい曲が流れてきて、この1週間できっと一番何も考えることなく、その心地好い波に乗った。そのとき。

〈意味なんかないよ〉

 画面の中で、そう彼が言った。

〈楽しいから、やってんだよ!〉

 聞く人が聞いたら、このコロナ禍に!などと言われそうでもあるけれど。なぜだかその言葉はすうっと胸の奥に沁み入ってきて、私はいつの間にかひとり微笑んでいるのだった。なんとも言えない、清々しい気持ちになる。

 そうだよね、意味なんかない。私は相変わらず「奇跡」を頭の片隅に置いたまま、ノンアルのオールフリーをぐびりとやって、その顔とその音に酔い痴れた。

 改めて観ると、彼らもすっかりおじさんの部類になっている。けれど、完全に音楽でイってしまっているその顔は、相変わらずたまらない。

 やっぱり彼らは、最高だった。


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