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「村上春樹にすら編集者はいますよ」~AFTER DGITAL TAKLを視聴して~②


※前回の記事の続きになります※

よかったらこちらもご覧ください!


8月19日19:00より「AFTER DGITAL TALK『言葉と編集のこれから』」を視聴しました!


Noteでもおなじみの株式会社WORDS CEOの竹村俊介さんと、株式会社ビービット 東アジア営業責任者の藤井保文さんとの対談が行われました。


前回に引き続き今回は、お話の中で特に興味深かった部分。
「発信する上で気をつけること!」について書いていきます!


多少僕の感想も含まれていますので、ご理解ください。


① 「感情」と「ロジック」と共存させよ

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結論から言うと、
誰かに読んでもらうためには、「事実」にプラスして書き手の想い、熱意が伝わるように、つまり「感情」を乗せなければなりません。


藤井さんは発信する際に気を付けるべきことの一つ目として「ロジック」を挙げられました。

藤井さんの言葉をお借りするならば、ロジックとは

論理的に正しく、意見と事実が分かれていて、ある程度裏が取れているか。

ということです。
「意見」を主張する際には、その意見に導いた根拠となる事実を提示せよ、ということですね!
確かにそれだけで、文章は堅い砦を得たように防御力(納得感)が生まれます。

と同時に、「意見」も大事であると藤井さんは述べられました。

前回の記事でも書きましたが、情報がいつでも手に入るこの時代、「情報だけ」の文章は読まれません!(断言)

しかし、かといって「感情」過多の文章もまた問題。

すき屋のメガ牛丼を食べた次の日のように胃もたれしてしまいます。

大切なのは、「感情」と「ロジック」を共存させること。

言い換えれば「意見」と「事実」を文章の中にバランスよく織り交ぜること、と僕は解釈しました。
確かにそうすることで、双方が活きてくる気がしますよね!


僕は、この話を聞いて電化製品などの取扱説明書を思い出しました。

あれすごく苦手なんですよね……。共感できる方いませんか?

取扱説明書は事実ベースでつらつらと、操作方法について羅列しているだけ。
まあそういうもんだと言われたらそうなのですが。

それよりも、Youtubeなどで使い方を説明する動画や、ブログを見て参考にする場合が個人的には多いです!

何故ならそれ自体が、楽しめる「コンテンツ」として成立しているからだと思います。

投稿者の感想が「意見」であり、使い方の説明が「事実」なわけですね。

我ながら、ピンときそうな例を挙げられて驚きました。
ご褒美に今日のお昼は、牛丼を摂取したいと思います。


② 「それ伝える必要ある?」

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藤井さん「そもそもこれは伝える必要性あるのかな?と考えてみる」

ちょっと正直思い当たる節があり過ぎて、自分の過去の文章を、赤面しながら読み返した次第でございます。

「誰に届けるか」の前にまず「何のために届けたいのか」、これは発信の根本となりうる考え方だと思いました。

読者の方に納得してもらえる、説得力のある文章を書くためにも、目的意識を持って書くことは重要なのです!


「そこに、目的はあるんか?本当に人に伝える意味はあるんか?」
大地真央さん扮する、おかみさんが浮かんできそうですね。


しかし、この論点に関しては、「考える必要がある場合と、ない場合もあるよな」というのが、僕の正直な感想です。

何故なら、エッセイなどは特に、投稿者さんが「特に目的もなく書いていたら、稀代の名文が生まれた」という例も、多くあると思っているからです。

とはいえそんな例は本当に、本当に一握りだと思います。
それができるのは、天才かベテランか、そうでなければ天才かつベテランです。

少なくともビギナーズラックなど、この文章世界にはほぼ通用しないと考えています。というかベテランほど、目的意識は高いのではとも……。(ベテランさんに問うてみたい。)

だからこそ、世界凡人選手権代表の僕は、この言葉を胸に刻んで参りたいと思うのです。


③ 「誰が」書いて「何を」書いているの?

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こちらは竹村さんが述べられた論点です!

簡単に言うと、「誰が」書いているのかと、「何を」書いているのかが、結びついている必要性があるということです。


例えば、こんな悲劇が起こり得ます。


どうしても伝えたいことがある!
自分が感じた昨今の世界情勢と、問題点と、愛しさと切なさと心強さをコトコト煮込んで……
やっとの思いで作りあげた、自分の想いを込めた渾身の一作!

物凄い熱量のこもった文章になることは間違いねぇ!
届け!この想い!!

~~~

読者「……いや、お前は誰だ?」

【終了のお知らせ】



……悲しすぎますが、誰しも経験しつつ、経験させたことがあるのではないのでしょうか。

つまり、どれだけ熱意があっても、発信者に「どんな想いが前提としてあるか」を示していなければ、有名人でない限り、読者に伝わるのは難しいのです。

ここで僕の恥を晒すとすると、このコロナについての持論をぬらぬらと語った一作があります。


深夜テンションで書いたとはいえ、本当に「いや、お前は誰やねん」となりますね……。

戒めとして、敢えて消さない、リライトしないと決めています。
良かったら読んでみて「いやお前(略)」となる感覚をお楽しみください。

さて、このような悲劇に対して、発信者として行うべきことは何か?
竹村さんは以下のように述べられています。

自己紹介に、「発信するコンテンツ」、「想い」を書く。

ということです。
シンプルですが、確かに重要だと思います。
特に、有名人でないからこそ、この部分はネックになるのでしょう。

確かに、発信するのに“著名”である必要はないですが、「自分は“これ”について書く!」という宣言を、一つ落としておくだけで、「著者」と「コンテンツ」が結びつき、文章に呼吸が生まれるのです。


まとめ

今回の、トークイベントにて得た知見をまとめます!

前回の記事

☑「~である。」「~だ。」調よりも、“自分の言葉”として書く。
☑「顧問編集者」とは経営者の想いをコンテンツ化する仕事である。

今回の記事

☑文章には「感情」「ロジック」を織り交ぜる。
☑その文を書く目的を明確化させる。
☑プロフィールに「何を書くか」を名文化し、「著者」と「コンテンツ」を結びつける。


あとがき

さて、今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

今回の記事、いかがだったでしょうか?
これから発信をされる方にとって、少しでも参考になれば幸いです!

もし「もっとこう書いた方が伝わるよ」とか、コメントでアドバイス等いただけると、泣いて喜びます!

今回の対談を聞いて、僕は「とはいえ書く時は自由でいたいよなあ」と思いました。甘ちゃんです。
ただ、本当に「誰かに刺さる文章」を書きたいとき、「有益な情報」を流したいとき、上記のポイントは欠かせないと思います。

僕のようなnote発信者は、執筆と同時に編集を行わなければなりません。
時には、書くだけ書いて、そのまま「えいや」と投稿ボタンを押すときもあります。

そして大抵その時は、さも自分が傑作を書いたような気でいる。
しかし、翌朝読み直してみて頭を抱えてもんどり打ちたくなる。

自分で自分の作品を編集することは、「謙虚」さの表れかもしれません。
常に自分の文を見直し、自分と対話する。
これだけで、日々の発信は少しずつ息をし始めるのではないでしょうか。


「みんな一人一人が編集者」それがnoteで発信することかもしれませんね。

さて最後に、そんな気持ちをいつでも思い出させてくれそうな、竹村さんがぽつりと言った、名言でさよならしたいと思います!
(おそらく、竹村さんもこの言葉が取り上げられるとは思っていないでしょう)


「村上春樹にすら、編集者はいますよ」
竹村俊介(株式会社WORDS CEO)


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