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ADHDとか。

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30歳になってADHDが発覚した私の、仕事や家族、恋愛の話を書いていきます。
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記事一覧

ADHDとか。〜その17 恋愛のこと〜

ADHDとか。〜その17 恋愛のこと〜

この『ADHDとか。』をしばらく私は書くことが出来ないでいた。

その理由は、前好きだった人がこの文章を読んでくれていたからだ。

「『ADHDとか。』読みましたよ。すごい文章力!」

私は彼のその言葉でとても救われたし、だから書けていた。

その彼には実は彼女がいたことを知り、私は失恋したあと、これを書くことが出来なくなっていた。

なぜなら思い出してしまうからだ。

しかし、現在私には新しい恋

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母みたいになれない。

母みたいになれない。

私の母は18歳で結婚し、22歳で私を産んだ。

実家は飲食店を営んでいて、母はお店の手伝いもするし、帳簿をつけたりもするし、家計が大変なので朝からコンビニでバイトもするし、それから家事も普通にやってのける。

実家には弟が住んでるけど、父も弟も家事は一切しない。

母は口で頼んだり、指導したりするのが苦手ですぐ自分でやってしまうため、私含めて家族の家事スキルは全然上がらない。

新人バイトを育てた

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荷物が送れない。

荷物が送れない。

送らなきゃいけない荷物があるのに、いざ送るとなると「どこにだせば安い」だの、「梱包を小さくするには」だの、余計なことを考えては送るタイミングを逃し「もう今日は間に合わない。じゃあ明日」となって、そしてまた同じ日を繰り返す。

今日はクライアントさんに「送れなかったので持ち込みします…」と言ったら「ヒグチさん…苦手過ぎる…!」と言われる始末だった。

そして、なぜか「持ち込みなら

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ADHDとか。〜その16 会話する〜

私はあんまり発達障害者にも精神疾患にも見られないことが多い。

そんな人はたくさんいるので、「だから何?」という話なんだけど、一時期要町のイベントバーエデンでバーテンをしたり、こういったADHDのことを書いているせいか、最近発達障害の人と関わることが増えた。

また、最近は発達障害の集いのような、コミュニティも増えて来ている。

同じ障害を持つ同士、共感し合いたいという気持ちはよくわかる。

発達

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ADHDとか。〜その15 お金の話〜

先月はお金がなかった。びっくりするほどなかった。

とりあえずなんとかなった。またなんとかしてしまった(黒字倒産状態だった)。

会社勤めを辞め、フリーランスになって3年経つけど、そもそも仕事は安定しないし、ADHDゆえにお金の管理が出来ないことの方が苦労をしている。

ついでに仕事のやる気もコントロール出来ないのもまた悩みだ。

会社員の頃は給料日が毎月一回しかないことがしんどく、給料日前はお金

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ADHDとか。〜その14 カムアウトする〜

先日、取引先にADHDであることをカムアウトした

去年から新しく取引を始めた会社なのだが、ここに来て仕事が一気に来てしまい、優先順位が付けられなくなってきてしまったのだ。

去年一年、仕事が切れてしまった会社がいくつかあり、その原因の一つに「慣れたと思った(思われた)頃に沢山の仕事が一気に来たり、外注パタンナーの範囲以上の仕事が増えたりして、キャパオーバーした」ことだと私は思っている(相手側から

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ADHDとか。~その13私は本が読めない~

自分には色々とコンプレックスがあるのだけど、その中の一つに「本が読めない」がある。

文字が読めないという訳ではないし、読解力は…大学時代に専門の美術ではない、日本文学演習かなんかの授業での単位で10を取ったことがあるので(私が4年間唯一取った10でもある…)、たぶんそれなりにあると思う…(先生との相性が良かっただけな気もする)。

本を読むのに、集中するのにかなり苦労する。

読んでるうちに気が

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ADHDとか。〜その12 女で生まれたこと〜

「女の子のクセにだらしがない」と言われたことは1度や2度ではない。

家族や親戚にも言われていたし、学校や、会社、もう誰に言われたかも忘れたくらいに言われている。

小学生の頃、忘れ物をする度にシールを貼るグラフを先生が教室の掲示板に掲示しており、それは男女で分けられていたけど、女子の中で私はぶっちぎりのトップだった。

その当時のクラスでは運良くいじめにも遭ってなかったけど、今考えると「忘れ物が

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ADHDとか。〜その11 教員業のこと〜

ADHDの身であるが、なんと私は通信制高校の非常勤講師をやっている。

教えている科目は美術である。

子どもの頃から絵を描くのが好きで、ファッションデザイナーになりたかったけど、高校の時点で専門学校にそのまま行くのは、なんか違う気がして、もっと大きく美術を学びたいと思っていた。

出身の北海道では一番美術が学べるのは教育大だったので、特に教育に全く興味もなく、北海道教育大学函館校に行ってしまった

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ADHDとか。その10〜友人達のこと〜

昔の私を知っている人は、私が随分と変わったと思うだろう。

実際にそう言われたこともある。

学生時代はあまり友達がおらず、私は親友が一人いれば十分だと思うタイプの人間だった。

小学校の終わりと中学時代はクラスの男の子に無視をされるいじめに遭っていて、おかげで私は男性が苦手になり、人間不信にもなった。

いじめのトラウマを引きずって、しばらくはどうしてそんな私一人、男の子から無視されるのだろうと

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ADHDとか。その9〜親の話〜

ADHDが発覚して、それを受け入れられないのは本人が一番かもしれないが、親や家族も受け入れ難いことだろうと思う。

私は30歳になってADHDが発覚したが、そのことで親に対して「何故気付かなかったのか?」という恨みがなくもないし、実際それを言ったことがある。

しかし現在、この先もしかしたら親になるかもしれない自分が、親の立場になって考えてみたときに、もし幼少期や実家にいる間に発覚したときに、両親

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ADHDとか。その8〜障害者手帳の取得〜

私は今障害者手帳3級を取得している。

今年初めての更新をした。

障害者手帳は、フリーランスを本格的に始めたときに、税的にも優遇されることだし、メリットも多いだろうと思い、取得に至った。

しかし、気持ちは複雑で、未だに障害者手帳を見る度に胸が締め付けられる。

頭では「わーい!税金安くなるぞー!」とドライに考えていても、自分の何が変わった訳でもないのに、ポンと国から烙印を押されてしまった気

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ADHDとか。その7〜発覚してから改善されたこと〜

ADHDが発覚して、自分の中でちょっと「私障害者だし」と甘えが出てきているように感じることがしばしばあるのだけど、それでも発覚して改善されたことはたくさんある。

私自体は発覚する前がもう結構昔のことなので、失敗したことなどは忘れ、成功体験ばかり記憶している可能性があり、あとは加齢もあって昔の方が体力もあり、最近は「発覚する前の方がもっと頑張れていたんじゃないか」と思ってしまうこともある。

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ADHDとか。その6〜薬について〜

私は心療内科を通っていたけれど、最初は薬を拒否し、そのためにカウンセリング中心の治療を行っていた。

正直を言うと、病院に通っていることも抵抗があった。

コソコソ行っていたし、誰にも言えないと最初は思っていた。

でも、病院に行けば沢山の、同じくきっと誰にも言えなさそうな人々で溢れかえっていた。

そして、薬を飲むことは怖かった。

依存したらどうしよう、そんなことばかり考えていた。

今の自分

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