ADHDとか。〜その12 女で生まれたこと〜

「女の子のクセにだらしがない」と言われたことは1度や2度ではない。

家族や親戚にも言われていたし、学校や、会社、もう誰に言われたかも忘れたくらいに言われている。

小学生の頃、忘れ物をする度にシールを貼るグラフを先生が教室の掲示板に掲示しており、それは男女で分けられていたけど、女子の中で私はぶっちぎりのトップだった。

その当時のクラスでは運良くいじめにも遭ってなかったけど、今考えると「忘れ物が多くてだらしない」っていう理由でいじめられる可能性もあったなぁと思う。

ADHDが起こしやすい行動例に遅刻や忘れ物が挙げられるが、それらはだらしないという言葉に直結する。

そして「男の子は多少やんちゃでだらしがなくても仕方ない」と許されても女の子は許されないものだった。

吉村明美の『薔薇のために』という漫画の中で、天涯孤独になり、離婚した母親の家に入るようになった、家政婦のように扱われるブスな主人公のゆりが、家事を一切しない腹違いの美人な姉の芙蓉に家事をしないことをやんわりと咎めるシーンがある(このシーンだけ切り取るとゆりへのいじめっぽさがあるが、この漫画はそういうシーンばかりではない)。

芙蓉が「どうしてパンツを洗わないイケメンは許されて、パンツ洗わない美人は文句を言われるのかしらね?」みたいなセリフを言うシーンがある。

ゆりは呆れるが、その家の家政婦のばあやは言う「芙蓉さんに出来ない家事はありません」と。

芙蓉はバツイチで、結婚時代はしっかりとした専業主婦をやっていたのだ、というくだりがある。

「女のクセに」「女なのに」という言葉を言われる度に自尊心は傷ついたし、同時に疑問が湧いたのだった。

なぜ女に生まれたら、だらしなくならないのだろうか?

私は「女に生まれて良かった」と思ったことが一度もない。

それどころか「男に生まれたかった。男ならここまで苦労していない。」、「性別なんてなくなればどんなに良いだろう。」とよく思う。

ADHDの女性は日本では苦労すると私は思う。

日本の伝統的(そのあたりの伝統もどの時代からか怪しげだが)な女性像は、大人しく、男性を立て、細やかな気配りが出来て、料理、掃除、洗濯と家事をこなし、お金はしっかり管理して、みたいなものなんじゃないかと思うけど、
ADHDの人達が気配りが上手とはあまり思えないし、私なんかは料理は上手いけど、掃除、洗濯はテンでダメ、お金の管理が苦手過ぎて、いっそ毎日お小遣いでももらって生活出来たらと思うし、求められる女性像をやろうと努力すると、鬱になってしまいそうだ。

私は仕事が好きだし、今後万が一結婚や出産をしたとしても仕事し続けたいと思っている。

家にこもって家事ばかりしている自分を想像したら、狂ってしまうかもしれない。

家事が出来ないなら、パートナーに頼るか、アウトソーシングする必要がある。

その分仕事で稼いでいくことが必要になるけど、しかし、日本で仕事を頑張っていても、給与面からも男女差をつけられることも多く、難しいなと思うことがしばしばある。

IQ検査の結果を聞いたときにカウンセラーの先生に「こんなことならもっと勉強すればよかった」と言ったことを覚えている。

どこかでそんなに勉強しなくてもいいと思っていたし、それは女だし、っていうのがあったんじゃないかと思う。

それに自分が頭がいいとも思っていなかった。

今もしやり直せるならしっかり勉強して、研究者とかになりたかったなぁと思うこともある。

私は男性にモテない。

それこそ20代は全然モテなくて、世の中のモテる女性像になろうとしてみても、うまくいかないし、自分らしくもないから自信も持てないし、辛うじて寄ってくる男の子に「女子力がない」だの、部屋に来たら「汚い」だの散々言われてきた。

そのくせ仕事で目立つので、当時の自分はわかってなかったけど、妬まれて、そういう「でも、女性としてはダメじゃん」と攻撃されていたようにも思う。

私は、そういう世間の女性像から離れている自分のことを、男性が笑ったり、揶揄するので、いつしか自虐的に自分のことを語ったり、見せるようになった。

そうしていくうちに、私はどんどん自信をなくした。

自信がなくなると、今度はプライベートでの男性との関係がうまくいかなくなり、支配的な男性に振り回されたり、その度に本当に何度も精神を病んで、過呼吸を起こしたり、追い詰められて私の方が相手を殴ってしまうこともあった。

学生時代のいじめの経験もあり、ある時期まで本当に男性が苦手だったけど同時に男性が羨ましかった。

なりたい自分になろうとすると、男性に愛されなくなるんじゃないかという不安がいつも私を支配した。

だけど、私は今、世間が求める女性らしさを捨てつつある。

そもそも向いていると思えないし。

私はなりたい自分を選ぶことにした。

自分は可愛いと言われても本当はあまり嬉しくなかったし、女子力が高いって褒められてもちっとも嬉しくないので、そんな自分を目指すのをやめたのだ。

そうしたら不思議と、女性のように気遣いの出来る男性とだんだん仲良くなるようになった。

みんな優しくて繊細だ。

ちょっと前に恋人がいたのだけど、彼はハンカチとティッシュとさらにウェットティッシュを携帯しているようなマメな人だった。

私はそれらの何一つも携帯していないので、トイレから出たら彼にハンカチを借りたし、食べこぼしたら(私はよく食べこぼすのだ)彼がウエットティッシュを出してくれた。

これでいいんじゃないか、と私は思った。

それでも前の恋人は、女性らしいパートナーが欲しかったようで、結局別れてしまったけど、人なんてそれぞれで、自分に合った人間を一人でも見つければいいのだな、と思ったら気が楽になった。

ちなみに私の家は事務所兼なので、結構人が家に来るのだけど、私は掃除が苦手なので仕事を手伝ってくれる人や客人に申し訳ないと思いつつ、そのうち客人が家の掃除をするような家になった(笑)。

たまに友達にお金を出して掃除をしてもらうこともある。

私が掃除するより、その時間私は働いていた方が効率がいいと思うし。

男性の求める女性像は、男性が家事などの厄介事から逃れるための謂わば既得権益のようなもののように思っている。

既得権益を守るために、女性の自信をなくしてつけ込んでやらせようとしたり、女性の職を奪ったり、そういうものなのではないかと思う。

きっと既得権益を守りたい人達はたくさんいるだろう。

でも、そういうものから手を切り離して、自分の特性を理解して、お互いの違いを認め、支え合っていける人々と細々と暮らした方がずっとずっと楽だと思う。

男脳、女脳などないと否定された現在、男女の差なんて身体性しかないと思う。

私の性自認は、身体は女性だけど、今は正直よくわからない。

時々女性を好きになりそうになることもあるけど、それは男性に嫌気がさしたからかもしれないし、本当にそういう気持ちがあるのかもしれない。

でも、特に不安になったりすることもないし、もしかしたらいつかは「女に生まれて良かった」と思うこともあるのかもしれない。

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