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ショートショート 小雪の怪物

  夢を見る。
 どこまでも続く暗闇と、雪と、氷の夢。

 見るのは決まって店で居眠りをしている時で、最近私はひどく眠い。眠くなるたびにお店のコーヒーをカウンターの中で飲む。1日に5、6杯くらい。「小雪」の常連さんは長居の人が多くて、お代わりもしてくれる。けどせいぜい2、3杯だ。自分の喫茶店のコーヒーを一番飲んでいるのが自分だなんて、少しカッコ悪い。

「そこは、北極だよ。」
 ミドリさんが言ってた。『緑のウール』のおばあちゃん。
 人間は眠っている間、魂が身体を離れるんだって。で、大抵はある程度離れると耐えきれなくなって戻ってくるんだけど。
「あんたは、執念深くてしつこそうだから、魂が丈夫だよ。離れても平気なんだ。どんどん離れて、地の果てまで行って、凍ついた北極までたどり着ける。」
…んだって。ちょっと酷い。
でも、ミドリさんの言うことはあたってる。別れた旦那がほったらかしにしたこの店を、私はまだ続けてる。執念深い、以外の何ものでもない。もともと何の愛着もなかったのに、くやしくて意地で続けてた。嫌な人間だ。

 夢の中で、私は雪に覆われた怪物で、それは、きっと私がそうなるのを望んでるからだと思う。

 怪物になってしまいたい。醜い、怪物に。

 中途半端に綺麗な見た目を褒めてくれる男の人はたくさんいたけど、誰も側に残ってくれなかった。人は見た目じゃないものね。見た目じゃない何かを、あの人たちは見破ったんだろう。

 日に日に、眠る時間が、北極にいる時間が長くなる。

 この前は、こんな夢を見た。

 どこまでも続く暗闇。吹雪いていた。体に粉雪があたっては、飛んで行った。裸足で、雪に埋もれながら進んだ。
 音がした。
 私は、執念深い女だ。本当にそうだ。わかった。あれが、何の音か。

 三階建ての、小さな家があった。その三階で、あの音がした。走る。四つん這いになって。嫌だな。くやしい。私、あれ、欲しいんだ。諦めたつもりだったのに。潔い女でいたかった。もっと大人だと思っていた。自分が嫌だ。壁にすがりついて、軽々とよじ登る。身を翻して、屋根に昇る。ガラスの窓に手をかける。見えた。あれが。
 力をかけた。私は、今、心通りの醜い化け物で、だから、きっと、ガラスが。このガラスも。ヒビが入った。割れた。部屋の中にもぐりこみ、机の上のオルゴールを手に取った。欲しかった。忘れたことなんかなかった。忘れられなかった。嬉しい。どうしよう。嬉しい。口から歌が漏れる。

 「小雪さん?」

 カウンターに田中くんが座っていた。また眠っていた。こっち見てて、苦笑いする。寝顔なんて、知り合いに見られたくないのに。コーヒーをいれる。田中くんに。私にも。

 うとうとすると、大抵お客さんが起こしてくれる。「小雪さん…。」遠慮がちに。「ちょっと、小雪さん!」笑いながら。「小雪さん?」びっくりして。みんなが私の名前を呼んでくれる。その度に戻される。怪物から、小雪に。笑わなくちゃ。心配してくれている。瞼が重い。

 怪物になりたい。執念深い性格を、そっくりそのまま写した姿になりたい。
目の前が吹雪いて、真っ白になって、体に雪が降り積もる。

 醜い、化け物。そうなったら、みんなきっと私を諦めてくれる。肩の雪を払う。流す涙が片っぱしから凍る。いい人探しなさい、とか、まだ頑張れるわよ、とか。そしたら私、楽だ。毎日無理して笑っていなくてもいいもの。

 「小雪さん?」

 声がする。吹雪の音でよく聞こえない。北極。雪と、暗闇。裸足で氷の上を歩く。寒さに脳幹が痺れる。身体中の粘膜が凍ってヒビが入る。手にはオルゴールがある。口から歌が漏れる。踊り狂う。なんだろう。なんだっけ。なにが嬉しいんだっけ。これ。これ、なんで欲しかったんだっけ。踊る。裸足で。もう、嫌だな。もう戻りたくない。自由がいい。暗闇で。誰にも見つけられない。誰のものにもならない。

「小雪さん!!」

 誰かの叫び声。もう知らない。一瞬だけ、体に痛みが走る。どこか遠くで私の身体が倒れた。もう、いい。心はここにある。北極に。ずっと欲しかったものは手の中にある。どうして欲しかったのかは、もう忘れてしまったけれど。

ショートショート No.211

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※このショートショートは
12月1日から25日までの25日間毎日投稿される連続したお話です。
連作ショートショート「泣き虫ジンジャーマンの冒険」(全25話)
第四週「サンタクロースと雪の怪物 (REPRISE)」2

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連作ショートショート「泣き虫ジンジャーマンの冒険」
1st week 「サンタクロースと雪の怪物」

「小さなオルゴール」
「雪の怪物」
「北極圏から徒歩5分」
「泣き虫と弱虫のジンジャーマンクッキー」
「どこかにある、なんでもある本屋」

2nd week「書房 あったらノベルズ」

「書房 あったらノベルズ」
「カフェ 空想喫茶」
「珈琲 小雪」
「宝写真館」
「趣味の店 緑のウール」
「洋菓子 トロワ」
「どこにでもいる、なんでもある本屋」

3rd week 「真っ赤な嘘つき帽子」

「阿蘭陀冬至 別れの始まり」
「勇者 あんどう」
「遊び人 たなか」
「戦士 こゆき」
「賢者 さんた」
「ねこの とうめい」
「誰かのための夜」

4th week 「サンタクロースと雪の怪物 (REPRISE)」

「雪の中のオルゴール」
「小雪の怪物」
「不思議なバタークッキー」
「サンタの家まで、あと5分」
「泣き虫ジンジャーマンの冒険」
「ひさしく まちにし」