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ショートショート 珈琲 小雪

 「お前、今更シャツの襟直したりしてどうしたの?」
 泣き虫のジンジャーマンクッキーが本屋さんの頭の上で言いました。
 「うるさい。」
 本屋さんがぴしゃりと言いました。頭の上に手をあてて、ジンジャーマンクッキーを寝かせます。
 「じっとしてろよ。髪が乱れる。」
 「なんだよ。泣くぞ。」
 「いいから。俺が泣くぞ。」

 小さく深呼吸して、『珈琲 小雪』の店内に入りました。簡素な、昔ながらの喫茶店です。飾りがない分、清潔でした。飴色のカウンターに、赤い革張りの椅子。壁に作り付けの棚に、カップが整然とならんでいます。

「こんにちは。あれ? 小雪さん?」

 本屋さんが店内を見渡すと、カウンターの内側で、女性が一人木の椅子に座って、眠っていました。

「小雪さん?」

 小さな声で本屋さんが女性に話しかけます。起きる様子がありません。
 本屋さんが静かにカウンターの椅子に腰掛けました。ちょっと辺りを見回して、それからカウンターに肘をついて座りました。女性を眺めているようでした。

「本屋、変態なの?」
 髪の中からジンジャーマンクッキーが顔を出しました。
「…変態じゃないよ。」
「『人の寝顔をにやにやしながら眺めるタイプの変態じゃない』人?」
「…小雪さんぐらいにしかしないよ。」
「好きなの?」
「うーん? 綺麗な人じゃない?」
「うーん? そう? ちょっと歳とってない?」
「初めて見た時、『目から星が出てる』って、比喩じゃなく思ったよ。」
「目、覚ましたら、出る?」
「出るよ。ばちばちに出る。」

 くしゅ、と女性が小さなくしゃみをしました。まぶたがあいて、カウンターの人影に気がついて目を見開きました。慌てて立ち上がります、うっかりしてさっきまで自分の座っていた木の椅子を倒しました。

「わわわわ。」

 椅子をあわてて元に戻します。本屋さんが頭の上のジンジャーマンクッキーを押さえ込んで隠しました。

「なに笑ってるの、田中君!」
「そんなところで寝てると風邪引きますよ、小雪さん。」
「うーん……。寝てたなんて言いふらさないでね。」
「はーい。僕だけの秘密にしておきまーす。」

 本屋さんの髪の中で『「僕」ってなに?』とジンジャーマンクッキーがつぶやいて手のひらで頭皮に押しつけられました。

「珈琲飲む?」
「もちろん!」

『お前さっきも飲んだだろ』と言い出す前にジンジャーマンクッキーが手のひらでまた押しつけられました。「ぎゅう」と小さい声がしました。

「今日は何しに来たの?」
「選挙があったでしょ? そうすると、補助金とかの予算が変更になるんですよ。だから、その辺の資料を……。」
「また、難しい話?」
「他の話でもいいですよ。」
「仕事の話じゃなくても?」
「もちろん。」

白くて分厚いカップにコーヒーが湯気をたてて出てきます。

「実はね。最近、私店でよく居眠りしてるみたいで……。今のが初めてじゃないのよ。」
「夜、眠れてないんですか?」
「そんなことないと思うんだけど…。」

「やっぱり、変態だ。」
 小雪が困ったように考え事をするのを眺めて、本屋がふふと少し笑ったのを聞きのがさなかったジンジャーマンクッキーが言いました。

「なに? 田中君?」
「なんでもありません。」
「よく眠れる本とかある?」
「みんな、すぐに本に頼るなあ……。」
「だって、特技でしょ?」
「うーん…できれば他のことでお役に立ちたいんだけど……。」
「他のことって?」
「うーん……。なんか、こう、アドバイス的な……。」
「じゃあ、あれ。」

 小雪さんがカウンターの隅においてある大きな置き時計を指差します。ガラス越しに瀟洒な時計盤と、その下に波と鯱の模型が飾られているのが見えました。

「からくり時計?」
「お客さんにもらったの。オーストラリアのお土産なんだって。」
「また…。お土産にしてはだいぶ高そうじゃないですか?」
「うーん…。そう。多分ね。だいぶ高いね。」
「困ってる?」
「困ってる。」
「……。」
「……。」
「再婚する気、ないんですか?」
「踏み込むのね、田中君!」
「……コンサルタントですから。」
「前の旦那の話したっけ?」
「いいえ。」
「……しましたよね?」
「忘れました。」
「野心家で、乱暴者で」
「『美人が好きで』。」
「ほら、話したでしょ。『美人が好きで』。私より美人見つけて、逃げちゃった。もうこりごり。あんな揉め事、お腹いっぱい。私、この店があればいいわ。」
「それだけですか?」
「何が?」
「再婚しないの。それだけ?」
「眠れる本、ある?」

 小雪さんがにっこりと笑いました。本当だ、瞳がきらきらして、まばたきするたびに目から星がでるみたいだ、と髪の中で覗きながらジンジャーマンクッキーは思いました。

 ため息をついて本屋さんが伝票にボールペンで書きつけました。

「こんなの、どう?」

 ぴりりと破ってわたします。

「怪談?」
「『小雪』だから。ご馳走様です。」

 お金をカウンターにおいて、本屋が店を出て行きます。
「なんかお前不機嫌じゃない?」とジンジャーマンクッキーが言って、また頭に押しつけられました。

夜までに、小雪さんのところに本が届きました。こんな本です。

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ショートショート No.198

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※このショートショートは
12月1日から25日までの25日間毎日投稿される連続したお話です。
連作ショートショート「泣き虫ジンジャーマンの冒険」(全25話)
第二週「書房 あったらノベルズ」3

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連作ショートショート「泣き虫ジンジャーマンの冒険」
1st week 「サンタクロースと雪の怪物」

「小さなオルゴール」
「雪の怪物」
「北極圏から徒歩5分」
「泣き虫と弱虫のジンジャーマンクッキー」
「どこかにある、なんでもある本屋」

2nd week「書房 あったらノベルズ」

「書房 あったらノベルズ」
「カフェ 空想喫茶」
「珈琲 小雪」
「宝写真館」
「趣味の店 緑のウール」
「洋菓子 トロワ」
「どこにでもいる、なんでもある本屋」

3rd week 「真っ赤な嘘つき帽子」

「阿蘭陀冬至 別れの始まり」
「勇者 あんどう」
「遊び人 たなか」
「戦士 こゆき」
「賢者 さんた」
「ねこの とうめい」
「誰かのための夜」

4th week 「サンタクロースと雪の怪物 (REPRISE)」

「雪の中のオルゴール」
「小雪の怪物」
「不思議なバタークッキー」
「サンタの家まで、あと5分」
「泣き虫ジンジャーマンの冒険」
「ひさしく まちにし」