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ショートショート 雪の怪物

 秋から冬にかけて、太陽はゆっくりとその力を失います。北極圏では、力は更に弱く届かなくなります。
 地平線から覗く顔がだんだんと寝坊になり、ほんのわずかな光を見せたかと思うとまたすぐに眠りについてしまいます。北の国の大地を照らすのは水平に動く澄んだ月明かりだけです。

 暗闇。寒さ。静けさ。
 明るく暖かい場所で暮らす生き物たちが忌み嫌うもの。

 粉雪混じりの北風に飛ばされるようにして、日の当たる場所では居場所のなかった、いろいろなものがやってきます。内気で、陰気で、残酷で、優しい。少し変わった生き物たちです。

 あるいは光る黄色い目で、あるいは全身毛むくじゃらで、あるいはもやもやとした霧のような姿で。彼らは永久凍土の上に根を下ろした大きな松や杉の木陰に潜み、どちらが影だかわからないくらい静かに、けれど居心地良さそうに、首まで雪に埋もれて北の国の長い夜を過ごしていました。

 夜に生きる狼が闇に紛れた彼らを見つけ、一声吠えて挨拶すると、またどこかに去っていきます。わずかな月明かりを集めて、鋭い目が光りました。

 遠く海の向こう。水平線の果てから、氷の上を歩いてくるものがありました。全身に雪が積もっていて、まるで小さな丘が歩いているようです。
 狼の吠え声を聞いて、立ち止まります。あたりを伺いました。また歩き出します。

 どこからか、オルゴールの音が聞こえました。
 怪物がまた立ち止まります。
 風が吹いて、怪物に積もった雪が一斉に吹き飛びました。一瞬のことでした。
 中から人の姿が現れました。
 女性のようでした。涙を流していました。
 落ちた涙は北風に吹かれてすぐに固まりました。粉雪が体にあたって溶けて、また固まります。あっという間に人影は氷の柱に覆われて見えなくなりました。上から雪が降り積もりました。そして動かなくなりました。

 すっかり朝寝坊が板についた太陽が地平線からちらりとのぞきます。ほんのわずかな光です。怯えた影の生き物たちが、慌てて雪の中に潜ります。

 凍った海の上にいたはずの、怪物の姿はもう消えていました。

 力を使い尽くした太陽が再び地平線の下にもぐっていきます。

 雪の中から、また影の生き物たちが顔を覗かせました。
 雪の怪物は戻ってきません。
 ひそひそと、影の生き物たちが囁きます。
 みな、誰かと喋るのになれていませんでしたから、てんでばらばらに、言いたいことを、暗闇に向かって話しました。

 「あれはどうしてここに来たのだろう。」
 「まだ温かい体があるのに。」
 「ここまでは来られないだろう。」
 「来られない。」
 「きっと、来ないほうがいい。」
 「来ない方がいいよ。」
 「でも、来てもいい。」
 「そうだね。いつだって、来てもいいんだ。」

 話し声は凍って白い雲になり、空に登って消えました。きっと怪物の耳には届かないでしょう。長い長い冬の夜がまた始まります。

ショートショート No.192

※このショートショートは
12月1日から25日までの25日間毎日投稿される連続したお話です。
連作ショートショート「泣き虫ジンジャーマンの冒険」(全25話)
第一週「サンタクロースと雪の怪物」2

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連作ショートショート「泣き虫ジンジャーマンの冒険
1st week 「サンタクロースと雪の怪物」

「小さなオルゴール」
「雪の怪物」
「北極圏から徒歩5分」
「泣き虫と弱虫のジンジャーマンクッキー」
「どこかにある、なんでもある本屋」

2nd week「書房 あったらノベルズ」

「書房 あったらノベルズ」
「カフェ 空想喫茶」
「珈琲 小雪」
「宝写真館」
「趣味の店 緑のウール」
「洋菓子 トロワ」
「どこにでもいる、なんでもある本屋」

3rd week 「真っ赤な嘘つき帽子」

「阿蘭陀冬至 別れの始まり」
「勇者 あんどう」
「遊び人 たなか」
「戦士 こゆき」
「賢者 さんた」
「ねこの とうめい」
「誰かのための夜」

4th week 「サンタクロースと雪の怪物 (REPRISE)」

「雪の中のオルゴール」
「小雪の怪物」
「不思議なバタークッキー」
「サンタの家まで、あと5分」
「泣き虫ジンジャーマンの冒険」
「ひさしく まちにし」