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時代で考えれば自然だろうと必死で消化する毎日の中で。
いま、令和。平成の次、昭和の次の次。
時代で括ると失礼なのかもしれないが、どう考えたって生きにくい時代になっていると思う。
利便性はどんどん進化して、スマホ一つあれば買い物でも口座開設でも投資でも仕事でも、大体は解決できるようになっている。それはすごいこと。
でもやっぱり、生きづらい。
多様性の時代なんて言われたりするけれど、どこが多様性なんだと思うこともある。
反対に色んなものが狭まる気もする
心の中で答えが出ているのに悩む理由なんて。
毎週末、心に引っ掛かる不安と焦り。
ワーママであることを辞めたいと思うばかり。
モチベーションが保てなくなってきた。
あらゆることに疲れ、笑うことも勿論。
未だに古い考えの会社と従業員で、子どもがいると分かれば『次は、いつ産むのか』『何人子どもを作るのか』の質問攻め。
有給休暇を申請すれば嫌味を言われ、最終的には『権利だから別に良い』と後味の悪いフォローで終わる。
仕事は増えるだけ。給与は
少しずつ変わっていった世の中と生活の中で。
最近よく思う。
昔に比べて生きにくくなり、寂しくなったと。大したことではない、小さなことでそう思う。
昔に比べれば夏の暑さは異常で、熱中症アラートが出ると外出を控えることを推奨される。朝なら涼しいとか、夜は窓を開ければ涼しいとか、そんなことは有り得ないのが毎日である。
暑さを我慢しながらもスーパーへ買い物に行けば、なぜか冷蔵ケースの照明は落とされ、暗くなっている。
節電は大切だと思うし、無駄な電
普通ということに縛られる毎日の中で。
普通の子、普通の性格。
育てやすい子、お利口な子。
子どもが乳児だった頃に、きっとこれからも良い子なのだと思って過ごしていた。
よく眠り、よく笑って。
そのまま大きくなって、手が掛かることは無いのだろうと思いこんでいた。
それがどうだろう、発達相談を考えるほどになるとは思わなかった。
普通ってなんだろう。
まるで道徳の時間のような疑問。
周りと比べても仕方ない、一人ひとりが特別で…なんて、歌詞の
本当の自分と、なりたい自分と、思い込んだ自分のこと。
つくづく自分は馬鹿なんだと、自己嫌悪。
今日もまた上手く出来なかった、やれなかった。まただ。もう何度目だと。
本当の自分はこんなにも冷たく、理想の自分はいつも温かく、なりたい自分はいつも穏やかである。
仕事が上手く行かないのか、対人関係に疲れているのか、家庭が辛いのか、育児が苦しいのか、どこを切り取っても自分が楽しいと思える瞬間が無い日々を過ごす。
周りから、聞きたくもないのに夏の予定が耳に入
細く弱く、いつか折れそうな気持ちのままで。
時々に通知を頂く「スキ」機能に、喜びを感じながら過去の投稿を読み返すと、もう何ヶ月も、いや、年単位で放置していたことに気付く。
思うことは日々止めどなくあるのに、書こうとすると筆が止まる。その原因の過半数は疲労だが、思ったことを下書きとして書き溜めることは未だに変わっていない。
最後の更新から何か変わっただろうか。
そう思い、自分が残した文字を読む。
悲しいほどに何も変わらなかった。
思ってい
心が日に日に弱っていく、それでも朝が来る。
近頃、もうそれは本当に心が摩耗している。
いつもなら美味しく食べられていたものが美味しいと思えない。そもそも食べたいと思うものを選ぶのに時間が掛かる。
理由が分からなくても涙は止まらない。
朝は起きられない、夜は眠れない。
集中力が落ちて動悸がする。次から次に決まっていく仕事と依頼に応えることで頭がいっぱいになる。期待されているから期待に応えようと頭をフル回転させる。そうするとバッテリーが擦り切れ
どこまでもお節介なくせに信用できない人達の話。
「次の子どもの予定は?」
「はやく二人目を作らないとね」
「つぎは女の子?男の子?」
出産後、こんな言葉を何回聞いたことか。
職場でもご近所でも、自分の人生において特に影響の無い人ほど、他人の人生にズケズケと踏み込んでくる。
そもそも、私が何人子どもを産もうと彼ら彼女らは支援をしてくれるわけではない。何の責任も無ければ大して興味もないくせに、まるで挨拶のように他人の家族計画に口出しをしてくる。
マスクに守られていたのは自分の心だった。
そのまま出掛けても咎められず、怪訝な顔をされない最近。マスク生活に慣れ過ぎて、未だにマスクを店頭で見かけたらストックとして購入している。
100円ショップで30枚入が買えるようになって、もうどのくらいだろう。
一時期は、1箱が3000円くらいでも安価だと思えるほど、マスクに対しての価値が大きかった。
夏場は、さすがに暑くて嫌だった。
某アパレルブランドは快適さを売りにした通気性の良いマスクを販売