何もかも捨てて逃げたい夜に。
社会人として、親として、立場や役割を考えなくて良いのなら、今すぐにでも私は遠くに一人で逃亡したい。
変わり映えしないのに目まぐるしく、自由は無いくせに慌ただしく、そんな生活に飽きた。疲れた。
いつも思う。
なぜ母親の方が時短勤務するのが当たり前で、子どもの都合で調整ばかりするんだろうと。
別に働くことが好きとか、愛社精神とか、そんなものは全く無い。
ただ、素朴な疑問として、子どもが保育園や幼稚園に受かった時点で、母親だけが「時短勤務で給料を減らされるか」 「フルタイムで大変な思いをするか」の選択を迫られる。もちろん時短勤務だって大変な思いはするし、フルタイムだって残業が出来無いと給料は減る。
どちらがどうってことではないけど、
いつもいつも節目ごとに頭を悩ますのは母親側だ。
子どもが熱を出して登園できないときは、会社に謝り、同僚に気を遣い、部下に頼み込み、自分は無理をして過ごす。
突然やって来る園からのお迎えコールもそうだ。そもそも送り迎えだって母親側だ。
父親側が仕事に集中できるように母親が無理をするのであれば、まず母親が働かなくて済むくらいになればいいのにとも思う。
でも残念、いまの時代は共働きが普通であり、共働きでないと少しの贅沢はハードルが高くなるのだ。
給料は上がらないのに物価と光熱費は上がりつづけて、普通に生きててもお金が貯まる計算にはならない。
副業や投資ありきの世の中なのだ。
そんなことを言いたいのではなくて、
とにかく私は遠くに一人で逃亡したいのだ。
時短勤務といえど仕事の量が減るわけではない、ただ単に退社して良い時間が早まるだけで、仕事が終わらなければ持ち帰るし休日返上で働くことになる。
いまの私にはキャパオーバーなくらいだ。
休む時間も十分に取れないまま帰宅し、見たくもないテレビを見て、時間の掛からない料理を済ませて、当たり前のように洗濯などの家事をこなす。
子どもに合わせて、眠くもないのに寝室へ向かう。
夜はこれからってときに、その楽しみすら無い。
一度ベッドに寝転んでから起きるのも苦行である。寝かしつけてから、一人の時間を過ごせばいいと言われそうだが、もうその力すら無い。そもそも寝かしつけに時間が掛かれば予定なんて終わるはずがない。
悲しいことに、ここまで父親は登場しない。父親なんて所詮ただの同居人だ。
仕事が忙しいと言いながら帰宅するなり食事をとり、気の向いたときだけ子どもと触れ合い、あとはスマホゲームと晩酌。子どもが寝てからは完全におひとり様のように満喫している。なんて羨ましい役割なんだろう。
世の中の父親がみんなそうではない。
そんなこと当たり前に分かっている。
ただ、私の同居人はダメな方だった。
子どもは子どもで、やること成すことイヤイヤイヤイヤ。食事前にお菓子を食べたいし、お風呂には入りたくないし、夜更かしだってしたいようだ。決まって甘やかすのは何もしない父親だ。そうするとどうだろう、子どもが好きなのは父親になるのだ。
いつも身の回りのお世話をするが注意ばかりの疲れた顔をしている母親よりも、普段から何もせず気の向いた時は何でも甘やかす父親の方が好きなのだ。無理もないけど腑に落ちない。
となると、母親=私というのは、身の回りのお世話や家事炊事をするが、なぜか鬱陶しがられる存在ということになる。
そんな悲しいことがあって良いのだろうか。
だからやっぱり、私は一人で遠くに行きたい。色々と考えて作るご飯よりも、綺麗に保とうと掃除してきた家中も、私がいなくとも困ることはないだろう。むしろ、清々するだろう。父親と子どもは甘えあって過ごせばいいんじゃないかと思う。
心のバランスが崩れ、なんとか引っ張っていた気持ちはプツッと切れてしまい、いまの私には良い感情なんて1つもない。
何も考えずに馬鹿みたいな仕事量を低い給料で対応させる会社も、セクハラとパワハラだらけの上司も、有ることないこと話して盛り上がる同僚も、人の気持ちなんて考えずに甘えてくる部下も、何もかも何もかも終わりにしたいと思った。
いつか本当に心が壊れるその前に、決断したい。
そんなことを思う夜だった。
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