もちこ。

あのとき言いたかったこと、伝えたかったこと、話したかったこと。いま書き出したいこと。

もちこ。

あのとき言いたかったこと、伝えたかったこと、話したかったこと。いま書き出したいこと。

最近の記事

時代で考えれば自然だろうと必死で消化する毎日の中で。

いま、令和。平成の次、昭和の次の次。 時代で括ると失礼なのかもしれないが、どう考えたって生きにくい時代になっていると思う。 利便性はどんどん進化して、スマホ一つあれば買い物でも口座開設でも投資でも仕事でも、大体は解決できるようになっている。それはすごいこと。 でもやっぱり、生きづらい。 多様性の時代なんて言われたりするけれど、どこが多様性なんだと思うこともある。 反対に色んなものが狭まる気もする。 職場にいる年配の女性。 高齢者と言えばそうだが、歳を重ねても元気に働く姿に

    • 心の中で答えが出ているのに悩む理由なんて。

      毎週末、心に引っ掛かる不安と焦り。 ワーママであることを辞めたいと思うばかり。 モチベーションが保てなくなってきた。 あらゆることに疲れ、笑うことも勿論。 未だに古い考えの会社と従業員で、子どもがいると分かれば『次は、いつ産むのか』『何人子どもを作るのか』の質問攻め。  有給休暇を申請すれば嫌味を言われ、最終的には『権利だから別に良い』と後味の悪いフォローで終わる。 仕事は増えるだけ。給与は変わらない。 文句を言うだけの男性社員は出世し、媚び諂う女性は少しずつ実権を握る

      • 子どもの為なのか、子どもの所為なのか。

        先日、子どもの発達相談の受診日だった。母親である自分のメンタルが揺らいでいる時は極力避けるようにするのだが、メンタルダウンは前もって分かるものではなく、ちょうど周期的なものも重なり、私自身がボロボロ状態で子どもの発達について相談することになった。 メンタルダウンしているとき、自分のどこに涙スイッチがあるか分からないものだ。子どものことを上手く話そうとしても頭が回らない。先生の話を聞きながら唇を噛み、泣くもんかと堪えたが、ふと気を緩めた瞬間に涙は溢れ出た。 子どもは周りのスタッ

        • 少しずつ変わっていった世の中と生活の中で。

          最近よく思う。 昔に比べて生きにくくなり、寂しくなったと。大したことではない、小さなことでそう思う。 昔に比べれば夏の暑さは異常で、熱中症アラートが出ると外出を控えることを推奨される。朝なら涼しいとか、夜は窓を開ければ涼しいとか、そんなことは有り得ないのが毎日である。 暑さを我慢しながらもスーパーへ買い物に行けば、なぜか冷蔵ケースの照明は落とされ、暗くなっている。 節電は大切だと思うし、無駄な電力は使うべきではない。でもそこまでして削らないといけないものだろうか。 料金のこ

        時代で考えれば自然だろうと必死で消化する毎日の中で。

          普通ということに縛られる毎日の中で。

          普通の子、普通の性格。 育てやすい子、お利口な子。 子どもが乳児だった頃に、きっとこれからも良い子なのだと思って過ごしていた。 よく眠り、よく笑って。 そのまま大きくなって、手が掛かることは無いのだろうと思いこんでいた。 それがどうだろう、発達相談を考えるほどになるとは思わなかった。 普通ってなんだろう。 まるで道徳の時間のような疑問。 周りと比べても仕方ない、一人ひとりが特別で…なんて、歌詞のようなセリフ。 周りと比べても仕方ない、そう思いながらも周りの子は視界に入る。

          普通ということに縛られる毎日の中で。

          本当の自分と、なりたい自分と、思い込んだ自分のこと。

          つくづく自分は馬鹿なんだと、自己嫌悪。 今日もまた上手く出来なかった、やれなかった。まただ。もう何度目だと。 本当の自分はこんなにも冷たく、理想の自分はいつも温かく、なりたい自分はいつも穏やかである。 仕事が上手く行かないのか、対人関係に疲れているのか、家庭が辛いのか、育児が苦しいのか、どこを切り取っても自分が楽しいと思える瞬間が無い日々を過ごす。 周りから、聞きたくもないのに夏の予定が耳に入る。あの人は温泉に行くだとか、あの人はテーマパークに、あの人は帰省、あの人は海外

          本当の自分と、なりたい自分と、思い込んだ自分のこと。

          細く弱く、いつか折れそうな気持ちのままで。

          時々に通知を頂く「スキ」機能に、喜びを感じながら過去の投稿を読み返すと、もう何ヶ月も、いや、年単位で放置していたことに気付く。 思うことは日々止めどなくあるのに、書こうとすると筆が止まる。その原因の過半数は疲労だが、思ったことを下書きとして書き溜めることは未だに変わっていない。 最後の更新から何か変わっただろうか。 そう思い、自分が残した文字を読む。 悲しいほどに何も変わらなかった。 思っていることも悩んでいることも、辛いことも不安なことも、何も変わらなかった。 悪くなっ

          細く弱く、いつか折れそうな気持ちのままで。

          子育てに向いてない、そんなわたしの話

          元々、子供が好きなわけではない。 そう言うと誤解されそうだが、育児は責任を持ってやっているつもりだ。 自分の子供も嫌いなのか?可愛くないのか?…そう言われそうだが、そんなことは思っていない。 幼児を育てている自分に対して、つくづく子育て向いてないなと感じることが多い。 仕事をしながら育児をする人は数え切れないほどいる。自分だけがしんどいとは思わないし、自分が最も大変だとも思わない。でも、いまは無理なのだ。全てにおいて余裕がないし、子育てを楽しいとか幸せとか思えないのだ。

          子育てに向いてない、そんなわたしの話

          心が日に日に弱っていく、それでも朝が来る。

          近頃、もうそれは本当に心が摩耗している。 いつもなら美味しく食べられていたものが美味しいと思えない。そもそも食べたいと思うものを選ぶのに時間が掛かる。 理由が分からなくても涙は止まらない。 朝は起きられない、夜は眠れない。 集中力が落ちて動悸がする。次から次に決まっていく仕事と依頼に応えることで頭がいっぱいになる。期待されているから期待に応えようと頭をフル回転させる。そうするとバッテリーが擦り切れていく。 言われる前に考えて動き、問題を予測して改善点を考えて動き、課題を見つけ

          心が日に日に弱っていく、それでも朝が来る。

          何もかも捨てて逃げたい夜に。

          社会人として、親として、立場や役割を考えなくて良いのなら、今すぐにでも私は遠くに一人で逃亡したい。 変わり映えしないのに目まぐるしく、自由は無いくせに慌ただしく、そんな生活に飽きた。疲れた。 いつも思う。 なぜ母親の方が時短勤務するのが当たり前で、子どもの都合で調整ばかりするんだろうと。 別に働くことが好きとか、愛社精神とか、そんなものは全く無い。 ただ、素朴な疑問として、子どもが保育園や幼稚園に受かった時点で、母親だけが「時短勤務で給料を減らされるか」 「フルタイムで大

          何もかも捨てて逃げたい夜に。

          どうか、この時間を大切に。

          五月病って言葉を、最近、私の周りでは聞かなくなった。コロナの影響で外出が減ってリモートが定着したからだろうか。原因を職場だと決めつけて考えてしまったが、休み明けにオフィスに出社する時の憂鬱さったら、本当に…。 思い返すと、そこまでゴールデンウィークに思い出が詰まっているわけではない。夏休みや冬休みの方が、断然良い。 大人になってから長期休暇なんて殆ど取れなかった。1日の終わりが早くて、こんなにも毎日同じことが出来るんだなと退屈するほど、変わり映えしない日々。 大人が退屈す

          どうか、この時間を大切に。

          どこまでもお節介なくせに信用できない人達の話。

          「次の子どもの予定は?」 「はやく二人目を作らないとね」 「つぎは女の子?男の子?」 出産後、こんな言葉を何回聞いたことか。 職場でもご近所でも、自分の人生において特に影響の無い人ほど、他人の人生にズケズケと踏み込んでくる。 そもそも、私が何人子どもを産もうと彼ら彼女らは支援をしてくれるわけではない。何の責任も無ければ大して興味もないくせに、まるで挨拶のように他人の家族計画に口出しをしてくる。 正直言って、少子化を止めようとか使命感なんて持っていないし、1人で何とか出来る

          どこまでもお節介なくせに信用できない人達の話。

          マスクに守られていたのは自分の心だった。

          そのまま出掛けても咎められず、怪訝な顔をされない最近。マスク生活に慣れ過ぎて、未だにマスクを店頭で見かけたらストックとして購入している。 100円ショップで30枚入が買えるようになって、もうどのくらいだろう。 一時期は、1箱が3000円くらいでも安価だと思えるほど、マスクに対しての価値が大きかった。 夏場は、さすがに暑くて嫌だった。 某アパレルブランドは快適さを売りにした通気性の良いマスクを販売し、お客さんが殺到したとニュースで話題になった。通気性の良さとウイルス防御が、ど

          マスクに守られていたのは自分の心だった。

          新入社員だった私に宛てた届かない手紙の話。

          拝啓 この手紙、読んでいるあなたは… このフレーズって有名だよね。 メロディに乗せて読めるもんね。 心に刻み込まれている。 15の私だと幼すぎるから、成人して働き始めた私に向けて、メッセージを残したいと思う。 いつか科学の力でタイムトラベルが出来るようになったら、このメッセージを読んで、どうか考え直してほしいことが沢山ある。 それまで、このアカウントが生きているのか、間違いなくログイン出来るかは定かではないけれど、どうか見てほしいと思う。 新卒で入社した企業で働き始めた

          新入社員だった私に宛てた届かない手紙の話。

          そろそろ限界に近いところにいる私の話

          会社を辞めたい。 そんなことは、今まで何十回、何百回と思った。初めて思うことでもない。 でも、今の私にはもう無理だと思った。 ワーママ、時短勤務、小1の壁。 ただ漠然と、辞めたくなるのは、そういうことが理由になると思っていた。 でも、そうじゃなかった。 関係無いと言えば嘘になるかもしれないけど、それらがキッカケではなかった。 「コップの水が、溢れた」 その例えがピッタリだと思った。 そのコップが小さいわけではなかった。 少しずつ、少しずつ、容量は増えて大きくなっていた

          そろそろ限界に近いところにいる私の話

          だれかの「休養」という選択に勇気をもらった話。

          芸能人は住む世界が違う。何が本当で何が嘘なのか分からない、イメージでしか判断できない、そんな存在。イメージが仕事に繋がるのだから、どうであれ本当の姿を見せないのもプロ…と勝手に考えている。 プレッシャー、妬み嫉み、ストレス、そんなもの何処の世界でも負担は負担だ。受け取り手が「つらい」と思えば辛いことだし、「大したことない」と思えばそれまで。  一般人の私でもストレスやプレッシャー、意外と妬み嫉みも受けてきた。 やること成すこと細かく干渉され、まるで監視されているような感覚で、

          だれかの「休養」という選択に勇気をもらった話。