少しずつ変わっていった世の中と生活の中で。
最近よく思う。
昔に比べて生きにくくなり、寂しくなったと。大したことではない、小さなことでそう思う。
昔に比べれば夏の暑さは異常で、熱中症アラートが出ると外出を控えることを推奨される。朝なら涼しいとか、夜は窓を開ければ涼しいとか、そんなことは有り得ないのが毎日である。
暑さを我慢しながらもスーパーへ買い物に行けば、なぜか冷蔵ケースの照明は落とされ、暗くなっている。
節電は大切だと思うし、無駄な電力は使うべきではない。でもそこまでして削らないといけないものだろうか。
料金のこともあるのだろうが。
そういえば、どこで買い物をしても袋は有料で、ウキウキして買い物に行ってもしわくちゃのエコバッグに詰め込むばかりで、買い物をする楽しみも減った。
袋くらい買えばいいと、買うこともあるのだが、お会計のたびに申し出るのも少し面倒だと思う。
レストランの注文は話さなくても済むような仕組みが作られたが、なんだか機械任せで無機質な冷たい感じもある。便利だけれど、なんだか寂しかったりする。
スマートフォンは便利だ。
それでも何故かやっぱりガラケーが恋しくなる。便利さを知ってしまえば、高画質や通信速度を知ってしまえば、戻れないだろうけど、戻ってくれないかなと思ったりする。
町の書店は次々と無くなり、大きな書店ではブックカバーすらセルフになっていた。店員さんがブックカバーを付けてくれる手際の良さ、紙の匂い、音、好きだったんだけどな。
嫌な事件も増えているし、服装や言動や立ち振舞い、性別や家族構成など、何をしても誰かの怒りのターゲットになって、ハラスメントは種類が有りすぎて何をしても当て嵌まる気がするし、ゆとりだとか悟りだとか、ZだAYAだとか、色んな区分があってついて行けなくなって。
性格だってカテゴリ分けされて、骨格とかパーソナルカラーとか、自分自身が何者かを調べるツールや方法がありすぎて、本当に好きだったものも分からなくなって。
あれ、こんなに生きづらい世界だったっけ?と、よく思う。
自分よりも年齢が上の世代が、あの頃は良かっただとか元気がない時代だとか言ってた頃、正直めんどくさいと思ってたし、何言ってんだろうとバカにしてた。
でも同じようなことを言うようになっていた。何だか気持ちが少し分かってしまうような。それだけ歳を取ったということだろうけれど。
夏休みは朝からラジオ体操のメロディが聞こえてきて、公園で思いっきり遊んで、水飲み場で涼んで、信じられないほど短いズボンとかスカート履いて、子供だけで夕方までずっと遊んで、駄菓子買って食べて、時々は近所のおじさんおばさんに叱られたりお菓子貰ったり。
そんなこと、たぶん今してたら沢山の「危ない」があるんだろう。
どこで誰か何を考えて行動するか予測もできない世の中。元々そうだったのかもしれないけれど、あまりにも想像するには多すぎる危険。分からなくなる。
今の子ども達って言うと偉そうに思われるかもしれないけれど、楽しいのかなと思ってしまうこともある。彼ら彼女らは楽しいんだろうけど、何かすごく色んなものに気を遣い、縛られ、与えられすぎてるような気持ちになる。大人に振り回されるというのか、疲れそうだと。
なんだかやっぱり、とっても窮屈だ。
難しい大人が増えすぎたのか、時代なのか。
このまま将来は、どんな時代になっていくんだろう。
自分が小学生くらいの頃、未来の話を想像や作り物として書いた本を読んだ記憶がある。未来では全部機械で済ませられて、合理的で効率的で、ムダなんて1つもなく、サプリメントだけで生きていけるような面白半分で読んでいたことが、本当に起こるんじゃないかと思ってしまう。便利さを突き詰めれば、そうなるんじゃないかと。
自分が感じていたワクワク、嬉しさ、楽しさ、ドキドキ、そんな感情すら不要と無駄とされるんじゃないかと思ってしまう。
暑すぎる夏の夜、そんな不思議なことを、子どものように考えていた。
今日はそんな日だ。
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